第25話 余計な奇跡と、石鹸の輝き
聖教国の魔導艦が水平線の彼方へと逃げ去り、港にようやく静寂が戻った。
俺は、心地よい疲労感(と深刻な睡眠不足)に身を任せ、その場にへたり込んだ。
「……終わった。バルガス、もういいだろ。俺は寝る。誰が何と言おうと、今から四十時間は寝るぞ」
「ははっ、見事な采配でございました! 武力を使わず、ただの『鉄の棒』で最新鋭艦を退けるとは。これぞ魔王陛下の智謀、語り草になりますな!」
「智謀じゃない、ただの物理だ……。おいアルス、お前もさっさと肩を冷やして寝ろ。明日はまた用水路の続きだぞ」
俺はフラフラと城へ向かった。
だが、そんな俺の背中に、空から聞き慣れた「パリン」という乾いた音が降り注いだ。
1
『あははは! すごい、すごーい! 魔王様、今の見た!? アルス君のあのフォーム! 聖剣を振るうよりずっと輝いてたわよ!』
ノルンの興奮した声。
彼女たちにとって、先程の命懸けの防衛戦は、手に汗握るスポーツ観戦のようなものだったらしい。
「……ノルン。お前らが煽ったせいで、うちの貴重な労働力が過労死するところだったんだぞ。少しは自重しろ」
『えー? でも、おかげで新しい「流行」が生まれそうよ? ほら、天界のみんなも「人力って意外とエモい」って盛り上がってるんだから!』
嫌な予感がする。
彼女たちが「面白い」と思ったことは、往々にして下界にバグとなって降り注ぐ。
2
翌朝。俺がようやく手に入れた「泥のような眠り」を貪っていた時、バルガスが再び部屋に飛び込んできた。
「陛下! 陛下、一大事です! 島中に……島中に『清潔の奇跡』が溢れております!」
「……は? 清潔?」
俺が渋々外へ出ると、そこには目を疑う光景が広がっていた。
昨日、アルスが鉄の杭を投げ放った港の周辺。そこから波紋のように、島全体の空気が「不自然なほど」澄み渡っていたのだ。
「……なんだこれ。空気が美味すぎるだろ」
「それだけではありません! リリナ殿が魔族たちに推奨していた『手洗い』のバケツの水が、今朝から勝手に聖水に変化しておりまして。……水虫に悩んでいたオークたちが、一瞬で完治したと狂喜乱舞しております!」
どうやら、リリナが地道に続けていた「衛生管理」という合理的な行動に、女神たちが勝手に「聖域化」という祝福を上書きしたらしい。
3
俺は頭を抱えた。
「神のいない、普通の国」を作ろうとしているのに、やってくる難民が元英雄で、その行動がいちいち「神話」として解釈されてしまう。
「……リリナ。お前、何かしたか?」
「いえ……。私はただ、石鹸を泡立てていただけなのですが。……なぜか泡から後光が射して、汚れと一緒に魔族さんの心の闇まで浄化してしまったみたいで……」
困惑するリリナ。その背後では、ピカピカに浄化された魔族たちが、「これが陛下の目指す、清浄なる魔国か……!」と拝み始めている。
『ふふっ。いいじゃない、魔王様。あなたの「内政」に、私たちがちょっとだけ「デコレーション」してあげたのよ。これでこの島は、世界で一番綺麗な場所になるわ!』
(余計なことを……。これでまた、人間領の連中が「聖地」だの「資源」だのと言って押し寄せてくるだろ!)
4
俺は、澄み渡る青空を仰いだ。
女神たちの善意は、止まることを知らない。
俺がどれだけ「地味」を貫こうとしても、彼女たちはそれを「劇的」に塗り替えていく。
「……バルガス。全領民に伝えろ。この『清潔』は一時的なバグだ。明日には元に戻るから、今のうちに徹底的に掃除を終わらせろ、とな」
「ははっ! 奇跡すらも『掃除の好機』と捉える陛下の合理性、流石でございます!」
俺は返事をする気力もなく、再びベッドへと潜り込んだ。
人間たちの襲来は退けたが、女神たちの「おもちゃ」としての注目度は、さらに跳ね上がってしまったようだ。
「……だめがみ。……お願いだから、次はもっと『地味なギフト』にしてくれ。……例えば、防音性の高い枕とかさ……」
俺の切実な願いは、聖なる輝きに満ちた島の中に、虚しく響くだけだった。
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