第9話


 ──カリカリ。


 簡素な店内音楽を聞き流しながら、ノートの上にインクを走らせる音が続く。

 エアコンの低い唸りと、遠くで食器が触れ合う乾いた音が混ざり合う。


 窓際の席。

 外から差し込む光は強いのに、店内は柔らかな陰影に包まれている。


 ガラス越しの外は、真夏の光に焼かれて白く滲んでいる。

 通りを歩く人々の輪郭が、陽炎の向こうでゆらゆらと揺れて見えた。


「……あの〜、陽菜はるな


「なに?」


 おずおずと、葉月から遠慮がちに名前を呼ばれる。

 ペンを動かす手は止めずに、一応要件を聞く。


「何でわたし達は、こんな所で勉強を……?」


 視線だけを少し上げると、葉月が半ば泣きそうな顔でこちらを見ていた。

 ノートは開いているものの、ほとんど何も書かれていない。


「葉月がここのパフェを食べたいって言ったからよ」

 

 さらりと答える。


 新メニューのパフェが発売される。とのことで、それを食べたいと葉月に誘われて駅前のカフェに来ていた。


 冷房の効いた店内は、外とはまるで別世界だ。

汗で張り付いていたシャツも、今ではさらりと乾いている。


 涼しい顔のわたしとは対照的に、葉月は声を荒げていた。


「言ったけど!食べるだけでいいじゃん!?あぁぁぁ。何で夏休みに、わざわざカフェで勉強しないといけないの……!?」


 椅子の背にもたれかかり、力尽きたように項垂れる。ストローを咥えたまま、天井を見上げている。


 ……最近、図書室でも似たような光景を見た気がする。


 だが、これも葉月のため。

 最終的に、甘やかすと自分に返ってくるのだ。


「夏休みの最終日に、あなたの課題の面倒を見るのが嫌だからよ」


「ひ、ひどい……!そんなこと」


「中学の頃を忘れたとは言わせないわ」


 ぴたりと動きが止まる。

 心当たりがあるようで、「うぐ」と言葉に詰まる。


 初めの数日だけは真面目にやって、夏休みも終わり寸前。そこからわたしに泣きついてくる。夜遅くまで付き合わされて、結局わたしが大半を教える羽目になるのだ。

 それが毎年の流れだった。


「う、わたしだってもう高校生なんだし、夏休みの課題くらい計画立てて出来るし」


「じゃあ、もう課題でわたしを頼ることはないのね」


「…………ごめんなさい」

 

 苦しそうな顔で、即座に視線を逸らして謝罪。


 分かればいいのだ。



 ペン先が紙の上を滑る。規則正しい音が、また静かに続いていく。


 外では、相変わらず忙しなく蝉が鳴く。ミンミンと耳を刺すような音が、ガラス越しにわずかに伝わってくる。

 行き交う人々は、額の汗を拭いながら歩いている。


 アイスコーヒーを冷やす氷がからん、と音を立てた。

 ストローで軽くかき混ぜると、氷同士が触れ合ってまた小さく鳴る。


「陽菜さ、鈴蘭すずらんちゃんとなんかあった?」


 完全に休憩モードに入っている葉月は、クリームソーダのバニラアイスをつついている。

 溶けかけたアイスが、ゆっくりと緑の液体に沈んでいく。


「どうしたのよ急に」


 ペンは止めないまま返す。


「だって、夏休み始まってから鈴蘭ちゃんと会ってないでしょ?」


 その言葉に、ほんのわずかに手が止まる。


 太ももを閉じる。

 

 意識するまでもなく、身体が反応していた。

 まだ少し残る違和感を隠すように、足に力を入れる。


 気にしてない、と言えば嘘になる。

 わたしの中で、あの行為は"恥ずかしいこと"として記憶に残っているらしい。


 思い出そうとしなくても、ふとした瞬間に蘇る。


 触れられた感触。

 残された熱。

 耳の奥で響くような鼓動。


 つまり、七森のせいだ。


 ストローを噛む。

 頭の中に残る熱をコーヒーの苦味と共に、喉の奥に流し込む。

 苦味が下に残る。



「陽菜が鈴蘭ちゃんをあんまりよく思ってない理由は、まあ、何となく分かるけどさ」


「別に、よく思ってないわけじゃないわ」


 少しだけ語気が強くなる。


「でもさ〜、鈴蘭ちゃんの話すると、怖い顔するし」


「そんなことない」

 

 言いながら、視線を落とす。


 グラスの中で、気泡がゆっくりと浮かび上がっていく。


 葉月はそれをじっと見つめながら、ストローをくるくると回した。

 気泡の漂うエメラルドグリーンを一口、喉に流し込んでから。


「鈴蘭ちゃんのこと嫌い?」


「別に」


 嫌い、と言葉にするのは憚られた。


 胸の奥に引っかかるものがある。それを無理に言葉にすると、余計に形が歪みそうで。


 何も食べていないのに胃が重くなる。


「好き?」


 一瞬、言葉に詰まる。


「……普通よ」


 淡々として事務的な返答。

 自分でも分かるくらい、温度のない声だった。


 どこか探るような顔で「ふーん」と、クリームソーダから伸びるストローを弄ぶ。

 グラスの中で、泡が弾ける。


「じゃあさ、鈴蘭ちゃんが陽菜のこと好きだったら?」


「ありえないでしょ」


 考える余地もなかった。


「ありえないの?」


「あの子が好きなのは、わたしに嫌がらせすることよ」


「……うーん」


 納得していないようで、口を歪めて唸っている。

 葉月は何か言いたげに思案していた。視線が宙を泳ぐ。


 しばらく黙り込んで、視線だけが、わたしをじっと見ている。


「わたしから見たら、お母さんの気を引きたい子供って感じに見えたけどなぁ」


「お母さんって、あなたね……」


 思わず溜め息も漏れる。


「いや、ほら。好きな子にちょっかいかける、みたいな?」


「小学生じゃないんだから」


「高校生でもいるよ」


「……七森が?」


「うん」


「ないわね」


「わー、言い切ったよ」


 ペンの動きを止める。

 インクが紙にじわりと滲む。


 珍しく、随分と踏み込んでくる。


 課題をやりたくない、わけではないのだろう。それでも、心の内を見透かそうとする葉月の瞳は、あまり好かない。


「葉月、課題は?」


「あっ、やります……」


 肩をすくめて、渋々ノートに向き直る。

 ……やっぱり課題をやりたくないだけかもしれない。 


 カリカリ、と再びペンを走らせる音。


 焦げ茶色に染められたグラスに結露が滴る。

 水滴がコースターを濡らして、輪のような跡を広げていく


 不貞腐れたように課題に取り組む葉月を、片目でちらっと見た。

 頬を膨らませながらも、ちゃんとペンを動かしている。


 ……仕方がない。

 静かにペンを置き、ノートを閉じる。


「葉月」


「ん〜?」


「パフェ、注文しましょうか」


 一瞬の間のあと。

 その一言で、勢いよく顔が上がった


「やった!!」


 さっきまでの不機嫌が嘘のように、顔を輝かせる。


 本当に分かりやすい。



 ***



 目の前に、小さな星空がある。


 運ばれてきたパフェは、思わず息を呑むほど綺麗だった。


 グラスの中は紺色のゼリーが幾重にも重なり、キラキラと輝く銀粉が星のように覗く。

 クリームにはアラザンが星屑のように散りばめられて、ブルーベリーのアイスが夜闇を思わせる。


 光を受けて、静かに煌めいていた。


「わあ……」


 星空のパフェに葉月が感嘆の声を漏らす。


「食べるのが少しもったいないわね」


「写真撮っとこ〜」


 スマホを取り出し、角度を変えながら何枚も撮る。

 その間にも、アイスは少しずつ溶けていく。


「早く食べなさい、溶けるわよ」


「あ、ほんとだ!」


 慌ててスプーンを手に取る葉月。

 わたしもスプーンを差し入れる。

 撮影会もほどほどにして、アイスが溶ける前にいただくことにする。


 夜空の一片を切り取って口に含む。


 ひんやりとした甘さが、舌の上で広がる。

 ブルーベリーの酸味と、クリームのまろやかさが溶け合う。


「……!」


「おいしい!」


 黙々と食べ進めるわたしと、一口で大袈裟な反応をする葉月。


「これやばい、めっちゃ好きなやつ!」


「大げさね」


「ほんとだって!」


 全く逆なのに、こうして仲良くカフェに行ける。


 反応は違うのに、同じものを食べている。同じ時間を共有している。

 何気ない会話をして、甘いものを食べて、笑って。


 ……どうして、七森とは出来ないのだろう。

 

 スプーンを持つ手が、わずかに止まる。


 椅子の上で足を組み直す。

 

 無意識に、触れないように。



「別にさ、陽菜が嫌ならそのままでもいいと思うよ?」


 また、顔に出ていたのか。

 葉月の声が、少しだけ柔らかくなって。


 目を伏せる。


「ただ。一人しかいない幼馴染なんだし、ギクシャクしたまんまっていうのも、もったいないっしょ?」


「まあ……」


 トッピングのブルーベリーを噛む。

 小さく弾けて、甘い果汁が広がる。

 さっきよりも、少しだけ酸味を強く感じた


「……そうね」


 口の中に残る味を、ゆっくりと飲み込む。

 甘くて、少しだけ酸っぱい味がした。


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