第5話


 神社の石段を登る。


 屋台の明かり。

 提灯の灯り。


 石段を登るほど、視界がどんどん明るくなる。

 背後の暗がりを振り返れば、夜がゆっくりと迫ってきているのに、前へ進むほど光に包まれていく。


 太鼓の音と笛の旋律が参道の奥から響く。


 参道を中心に様々な屋台が開かれていた。


 夏の暑さとは違う、心地よい熱気。

 人の体温。火の熱と、匂いが混じり合った空気。

 不思議と気分が昂揚する。


「すごい人ね」


「今日は混んでるんだね」


「いっぱい屋台ある〜!」


 葉月はもう屋台に夢中だ。


 綿菓子とたこ焼きの匂いに、葉月が鼻をひくひくさせる。


「犬みたいね」


「失礼な!嗅覚が鋭いって言って!」


「同じ意味よ」


「ふふ、確かに」


 待て状態の葉月を見て、七森から提案する。


「とりあえず、歩きながら考えようか」


「うん!」


 人の流れに沿って参道を歩く。

 肩と肩とが触れ合う距離。

 気を抜けば、すぐに誰かとぶつかりそうになってしまう。


「あっ、りんご飴!」


 艶のある赤い果実を見つけると、人混みの中を先に進んでいく。


「ちょっと葉月」


 追いかけようとした瞬間。


 横から人がぶつかる。

 肩が押され、視界がぶれる。

 突然の衝撃に足元が揺れた。履きなれない下駄が一瞬浮いたような感覚。


 踏み外す。


 そのとき。


 手首を掴まれた。

 想像していたより大きくて、温かい手に。


 反射的に振り向く。


「危ないよ」


 七森だった。


 倒れないように腕を引かれる。

 思ったより強い力。

 そのまま一歩、七森へと近づく形になる。


 不思議な子だ。

 わたしよりも勝っているのに、わたしが前に出ようとすると邪魔をする。


 わたしの身体に傷をつけて、楽しむような変な趣味もある。


 嫌いなくせに一緒に夏祭りには行くし、わたしの手を取ったりする。

 

 ──理解できない。



「ありがと」 


 そっけないお礼。

 特別な意味はない。


「うん」


 七森の手は。まだ離れない。

 人の流れに押されて、話すタイミングを見失っているのか。それとも。

 ……もう大丈夫だと思うのだけれど。


「ちょっと──」


「おーい、二人ともー!」


 屋台の列の前で葉月が手を振る。


「おぉ?」


 繋がれた二人の手。

 好奇の目が、人形のようにぱちくりと瞬く。


 ニヤニヤ、と口を緩ませる。


 葉月の様子に気付いたのか、七森がやっと手を離した。


 手首に残る七森の温もりを携えて葉月の下まで歩く。


「…………」


 後ろで七森が自分の手を見つめている。


「おお?なになに〜、二人で手繋ぎデート?」


「違うわ」


「えー、絶対繋いでたじゃん」


 ……否定したのはそっちじゃない。


「離しちゃったの?いいとこだったのに」


 ニヤけた顔。

 わたしにだけ聞こえるくらいの揶揄う声。


 人の話を聞きなさい、本当に。


「人とぶつかったのよ」


 事実をそのまま説明する。


「浴衣だったし、ちょっとよろけちゃったのよ」


「ふ〜ん、そっかそっか」


 言いながら、わたし達を交互に見比べる。

 本当に楽しそうに笑った。



 ***



「ん!射的だって!」


 りんご飴を頬張った葉月が指を向ける。

 屋台からコルクを弾く乾いた音が響く。


 射的屋台は珍しい。


「やってみよ!」


「いいわよ」


 お祭りならではの屋台だ。

 こんな時でもないと、なかなかやる機会もない。



 店主にお金を払って、コルク玉と銃をもらう。

 一回500円でコルク玉3発。


「よっし、やるぞ〜」


 気がつけば、葉月に押し付けらたようで、いつの間にかりんご飴がわたしの手に握られていた。


 ベタつく感触に眉を寄せる。


 葉月は腕捲りをして、得意満面とした様子で銃にコルク玉を詰める。


「こういうの得意なんだよね〜」


 ……初めて聞いた。

 ゲームの話なのだと思う。銃を撃つゲームで騒ぎ立てる葉月を呆れた目で見た記憶がある。


「何狙うの?」


「ふっふっふっ。愚問だね、鈴蘭すずらんちゃん」


 芝居がかった仕草で銃口を景品棚へ向ける。


 お菓子やジュース、ぬいぐるみからプラモデルまで。


 多種多様な景品が並んでいるが、葉月の銃口の先にあったものは、


「もちろん、アレだよ」


 一番目立つ場所。

 明らかに目玉商品、といった風貌の最新ゲーム機だった。


「無理でしょ」


「厳しいんじゃないかな?」


「息ぴったりだね!?」 


 どう考えてもあのゲーム機は『客寄せ』だろう。

 あんな重そうなもの、そう簡単に落ちるはずがない。


「いーやっ、わたしは狙うね!」


「店主の罠よ」


「夢って言って!」


 銃を目線の高さまで上げて、引き金を引く。


 コルク玉は当たった。

 が、ゲーム機はびくともしない。


 かすかに揺れただけで、元の位置に戻る。


 もしかしたら落ちないように細工がされているかもしれない。

 店主の手前、声に出すのは控えるが。


「言ったじゃない」


「そんなぁ……」


「貸しなさい」


 りんご飴と銃を取り替える。


陽菜はるなちゃんはどうする?」


「そうね……」


 コルク玉を詰めつつ、ターゲットを決める。

 葉月の狙ったゲーム機は論外。

 お菓子でもいいが、それでは簡単すぎる。


 ふと目に入ったのは、首に小さな鈴をつけた黒猫のぬいぐるみ。

 光を吸い込むような黒。小さな鈴だけが、光を反射している。


 ……別に、欲しいわけではない。

 ちょうどいい難易度だと思ったからだ。


「あのぬいぐるみ?」


 わたしの視線が止まったのを察知したのか、七森に言い当てられる。


「……ええ。ちょっと難しいくらいがちょうどいいわ」


「頑張って、陽菜!」


 意識を銃を構える手に集中する。

 狙いは重心。

 中心よりやや上。


 引き金を引く。


 ぽんっ。

 コルクの弾ける音が響いた。



 そして──。



「……当たってないよ、陽菜」


 わたしのコルク玉はぬいぐるみの真横を通り過ぎていった。

 風を揺らしただけで、何も起きない。


「……銃がよくないのよ」


「わたしと同じ銃じゃん」


「うるさい」


 苦し紛れの口実も葉月に一蹴される。


「貸して」


 七森は少しだけ景品棚を眺める。

 まるでぬいぐるみの位置を確かめるように。


 銃を受け取って、流れるように構える。

 無駄な動きがない。


「鈴蘭ちゃん頑張れー!」


「どうせ落ちないわよ」


「ええ……、掠りもしなかったくせに」


「黙りなさい」


 余計なことを言う葉月はほっておいて、七森の横顔を眺める。

 瞼をわずかに落として一点だけを見据える顔は、妙に真剣な表情だった。



 ゆっくりと、引き金を引く。


 乾いた音。


 黒猫のぬいぐるみが揺れる。


 揺れて。


 棚の端で止まり──


 落ちた。





 湖面のように凪いだ顔で、そっと銃を下ろす。



「え?」


「……は?」



 店主が「おっ、やるねぇ」と笑いながら、ぬいぐるみを渡す。


 七森は黒猫のぬいぐるみを受け取ると、呆然とするわたし達にいつもの柔らかな笑みを浮かべた。


「すご!取れちゃった!」


 知らず知らずのうちに拳を握りしめた。



 七森は黒猫のぬいぐるみに一瞬だけ目を落として。


 それから、わたしの方を見る。


「はい」


「え?」


 手の中のぬいぐるみを、そっとこちらへ差し出した。小さな微笑みが、その仕草に添えられている。


「欲しそうだったから」


 そう言って、少し目を逸らす。


「……別に欲しいわけじゃないわ。自分で取るつもりだっただけ」


「またまた〜」


「やりがいがあると思っただけよ」



 黒猫のぬいぐるみを受け取る。

 ふわりとした毛並みが指に触れる。

 首元の小さな鈴が、かすかに鳴った。


 胸の奥で悔しさがくすぶる。なのに、ほんのわずかの温もりが混ざって、戸惑いで目を逸らす。


「え、プレゼントじゃんね」


「そうじゃないでしょう」


 情けで取ってくれただけだ。

 わたしが手に出来なかったものを、七森が手にしただけ。


 ただそれだけ。


 ぐるぐると巡る感情で、どんな表情をすればいいか分からなくなって。


 両手で持った黒猫のぬいぐるみで口元を隠す。


「……ありがと」


 小さな声を、ぬいぐるみ越しに漏らした。


「どういたしまして」


 七森はいつもの調子でそう言った。

 少しだけ、ぬいぐるみを強く抱いた。


「……似てるね」


「何がよ」


 七森が黒猫の鈴を、指で軽く鳴らす。



 ちりん。


 小さな音が、祭りの喧騒に溶け込んだ。

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