第4話
夏の夕方。
まだ私が小学生の頃。
ありふれた夏の一日。
神社の裏の空き地で、子供たちが遊んでいた。
引っ込み思案で人の輪に入るのが苦手な私は、逃げるように木陰の隅に座っていた。
楽しそうな声。
走る音。
木陰から眩しそうに眺めていると、一人の男の子が言った。
「鈴蘭ってさ、いっつも一人だよな」
子供の言葉は容赦がない。
一人の声を皮切りに別の子達が笑う。
「なんか変なやつだよな」
「ぜんぜんしゃべらないし」
「暗いんだよなー」
「人形みたいで気持ちわりー」
私は何も言い返せない。
ただ俯いて、足元を見つめる。
幼い私はどうすればいいか分からなかった。
男の子たちの笑い声。
その後ろから。
「何してるの」
顔を上げる。
照りつける太陽の下。
今よりも短い髪で、今よりも乱暴な口調の女の子。
でも。
その真っ直ぐな目は変わってない。
朝日奈陽菜だった。
陽菜に向き直った男の子は言う。
「こいつ変なんだぜ」
陽菜が眉を顰める。
「何が」
「え、いつも一人だし……」
「だから?」
強い口調。
男の子達の表情は見えないが、陽菜にたじろいでいるのは分かった。
「べつにいいじゃない」
みんなを黙らせてしまった。
「そんなの人の勝手でしょ」
顎をあげ、怒っているのを隠そうともせず。
「あんたたちが、この子にとやかく言う資格なんてないわ」
そう言ってのけた。
夏の日差しの中で、陽菜は眩しすぎた。
その姿が脳裏に焼きついた。
押し黙る男の子達を押し退け、陽菜が近づく。
問答無用で私の手を引く。
「ほら、行くよ」
私を立たせながら言った。
突然の行為に戸惑ってしまう。
だが、陽菜は気にも留めない。
歩く。
私の手を掴んで。
砂を踏み締める音は、二つ。
「いい?あなたは──」
掴んだ手の熱を忘れないように、私も少し力を入れる。離れてしまわないように。
「──わたしの隣にいればいいのよ」
夏の暑さよりも熱いものが、私の胸に灯った。
それはきっと、この日から消えない。
でも。
あの日のことを、彼女はきっと覚えていない。
それでも私は忘れない。
***
鏡の前に立つ。
紺の浴衣を身に纏ったわたしが映る。
「……変じゃないわよね」
落ち着いた紺色の浴衣。
白や紫の朝顔がところどころに咲いている。いかにも夏らしい柄だ。
その中で、赤い帯だけが鮮やかに映える。
帯に軽く触れる。形が崩れていないか確かめる。
きゅっ、と締められた感触がまだ落ち着かない。
いつもより僅かに背筋を伸ばす。
「……よし」
誰に見せるわけでもないのに、前髪を整える。
そう思っているのに、つい手が動く。
一度整えて、また触る。
少しだけ流れを変えて、鏡越しに角度を確かめる。
……気にする必要なんてないのに。
後ろでくくった髪のおかげで首筋が涼しい。
軽く赤味がかった首筋に手を伸ばす。
コンシーラーで隠したので、目立つことはないはず。
指先でなぞって、問題ないことを確かめる。
少し長めに引いたアイライン。
ナチュラルメイクの中に、匂わす程度の味付け。
「大丈夫ね」
最後にくるり、と全身を確認する。
裾が揺れて、視界の端で紺が飜る。
……大人っぽく見えるだろうか。
誰に、とは言わないけれど。
ほんの一瞬、頭に浮かんだ顔を振り払うように、軽く首を振る。
別に、誰かのために着ているわけじゃない。そう思うのに、胸の奥が少しだけ落ち着かない。
窓の外からは、祭囃子の太鼓の音が仄かに聞こえる。
遠くで、誰かの笑い声も混ざっている。
今日は葉月の追試の日。
そして、夏祭り当日でもある。
***
日が沈むと、夏でも涼やかな風が吹く。
昼間の熱気が嘘のように引いて、代わりに夜の匂いが漂い始める。
履き慣れない下駄に苦戦しながら待ち合わせ場所に向かう。
石畳を踏むたびに、鼻緒が指の間に食い込む。
かつん、かつん、と乾いた音が夜に溶けていく。
少しだけ歩幅を狭くして、転ばないように気をつける。こんな歩き方、誰にも見られたくない。
……失敗だったかしら。
そう思いながらも、引き返す気にはならない。
少しずつ大きくなる祭囃子。
太鼓の低い音と、笛の甲高い音が重なり合って、胸の奥をくすぐる。
夏祭りに向かう人達。色とりどりの浴衣が、夜の中で揺れている。
食欲を誘う屋台の匂い。ソースの焦げる匂い。甘い砂糖の匂い。油の熱。
少しずつ夏祭りの気配が、すぐそこまで近づいてくる。
胸の奥がわずかに高鳴る。
神社の石段が見えてきた。
その下、待ち合わせの場所。
先に着いていたのは彼女だった。
ロングのプリーツスカートに白いブラウスとカーディガンを羽織った、シンプルな私服姿。
飾り気はない。けれど。
周りの目を引くのは彼女だからだろう。
人の流れの中で、そこだけが静かに見える。
「待たせたわね」
まだわたしに気付かない彼女に声をかける。
「七森」
名前を呼ぶと、七森が振り向いた。
そして。
一瞬、止まる。
珍しく目が見開かれる。
それだけじゃない。
視線が、戻らない。
まるで何かを確かめるみたいに、
じっと、わたしを見ている。
……そんなに見ることないでしょうに。
だが、七森の予想を裏切れたらしい。
浴衣を着てきた甲斐がある。
少しだけ、いい気分だ。
今日は、少しくらい七森を驚かせてもいいだろう。
瞳だけが、わたしを捉えて動かない。
ほんの僅かな沈黙。
数秒、何も言わない。
……そういえば。
昔もこんな顔をしていた気がする。
小学校の時の七森も今みたいに静かだった。
驚いた時ほど、何も言わなくなる。
「……どうしたの?」
訝しげに問いかけると、七森はゆっくりと動き出す。
わたしの顔を見て。
そこから首筋へ。
胸元。帯のあたりで一瞬止まって。
そして足元へと落ちる。
一通り見定めて、再び目が合った。
「どうかしら?」
軽く腕を開いてみせる。
ほんの一瞬だけ、間を置く。
評価を待っているみたいで、少し落ち着かない。
が、すぐに視線を逸らされた。
けれどまた戻ってくる。
……なによ、それ。
はっきりしない反応に、眉を寄せる。
腑に落ちない反応だ。
妬みとか羨望とか、そういうものじゃない。
「なによ」
「……いや」
少しだけ間があってから。
「……似合ってるね」
と、小さく一言。
そう言って、息を軽く吐く。
いつもより静かな七森に戸惑う。
「変なの」
もう一度わたしと目が合う。
逸らす。
一体何なのだろう。
自分の浴衣姿を見下ろす。
……そんなに変だったのだろうか。
「…………」
七森が何か言おうとして、やめた。
言葉を飲み込むように、口を閉じる。
彼女の視線は、まだ少し落ち着かない。
しばらくして、祭囃子に混じって聞き覚えのある声が聞こえてきた。
「おーい、
無事に追試を合格した葉月が合流する。
近くまで小走りで来たようで若干息が荒い。
「お待たせ〜」
「大丈夫よ」
「いやー鈴蘭ちゃんもごめんねぇ」
「ううん。全然待ってないから」
急いだせいで、葉月の頬に汗が伝う。
手で風を送りながら太陽のように笑った。
「ところで」
と、一つ挟んで。
「追試合格、よかったわね」
「いぇーい!」
得意げに笑ってVサインを私に向ける。
これで心置きなく、夏祭りを楽しめそうだ。
「おめでとう、葉月ちゃん」
「ありがとう!」
合格して当然だろう。
わたしが勉強に付き合っていたのだから。
落ちられては沽券に関わる。
「というか、陽菜かわいい!」
ようやくわたしの浴衣に気付いたのか、目を輝かせて叫ぶ。
近くの人がちらりと、こちらを見る。
「うるさいわよ」
と眉を寄せて言うが、未だ興奮している葉月はおかまいなしだ。
「えっ、めっちゃ似合ってるー!なんで!?いつの間に!?」
「夏祭りなんだから普通でしょう」
矢継ぎ早に質問してくる葉月に呆れながら答える。
が、ここまで喜ばれると悪い気はしない。
上がった口角を隠す様に顔を逸らす。
「ほら、行きましょう」
二人を先導するように石段へ向かう。
「……ね、鈴蘭ちゃん」
囁く様な声。
「陽菜、かわいいね」
「……うん」
七森の声は、少しだけ低かった。
背中に向けた視線を少し落とす。
「でも」
それ以降は、口にしなかった。
石段を数段登ったところで、振り向く。
屋台の明かりが石段の下に並び、人の流れがゆっくり動いている。
提灯の灯りが揺れて、影が伸びる。
普段とは逆の位置。
見下ろす形になるだけで、少しだけ優位に立った気分になる。
……ほんの少しだけ。
珍しく、わたしの方が二人を見下ろす。
なのに、なぜか落ち着かない。
二人で何か話していたのか、まだ石段の前で立ち止まっていた。
「ちょっと。置いてくわよ」
不満気に口を尖らす。
これではまるで、夏祭りを待ちきれず催促する子供に見えるではないか。
「待って待って〜」
葉月が急ぎ足で近寄ってくる。
その後ろから七森も淡々と歩む。
ちら、と一瞥した七森の顔は提灯の灯りに照らされて、ほんのり朱に染まって見えた。
それが灯りのせいなのか、そうでないのか。
わたしには分からなかった。
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