無茶振り



「リムササルムは戦争で疲弊してる。指導者もいねぇ。紙幣も価値がなくなった。農業やってる余裕なんてねぇんだよ」


 昔のことを思い出していたララは、ジェアンの言葉で現実に引き戻された。

 風が頬をかすめる。ララは眼下へと再び視線を落とした。

 街が、燃えている。煙が立ち昇り、瓦礫の間を人影が走っている。唯一、ララの過ごしていた塔と王宮だけが、時の流れから取り残されたように立派なまま残っていた。


「どうだ? 少しは乗り気になったんじゃねぇか」


 隣でジェアンが笑う。


「自国の民がこんな状態なのは放っておけねぇだろ。王女様」


 ララは黙り込んだ。

 そして、少しの間を置いて、口を開いた。


「……私、自国の民がどんな状態だとしても、何も感じないんです」


 長年の幽閉。

 自由は常に窓の外にあった。

 けれど、ララはそこに降り立つことを許されなかった。

 父である王も、母も、兄達も、国民も、ララのことを破滅の魔女と呼び忌み嫌った。

 リムササルムの国民は、ララにとって味方ではなかった。むしろ、ララを魔女だと言って閉じ込めた家族の支持者で、ララにとっては敵だった。


「現実感がなくて。リムササルムの民というのは、ずっと私の空想の中や、本の中にしかいませんでしたから」


 よく知らない彼ら、会ったこともない人々。そんな相手が酷い目に遭っていると知っても、どんな感情を抱けばよいのかよく分からない。どこか遠くの物語を眺めているような、そんな感覚だ。遠い土地での戦争に、痛みを感じないのと同じで。

 ジェアンが「そーかよ」と鼻を鳴らす。


「んじゃ、直接会ってみりゃ何か変わるかもしれねぇな」

「……え?」

「明日は感染対策して下に降りてみるか」


 塔の外の世界。窓から眺めていた世界。

 ララはごくりと唾を飲み込む。


「連れて行ってくださるのですか」

「俺はそのためにここにいる」

「じゃあ……塔を、見に行きたいです」

「遊びに行くわけじゃねぇんだぞ?」

「わ、分かってます。でも、もし時間に余裕があったら……塔、見たいです。あそこが私の、生まれ育った故郷なので」


 そう言って、ララは、はるか下にある塔を見つめた。

 塔の中には、貴重な本が沢山ある。全て弟が持ってきてくれたものだ。殺されてしまった弟からのプレゼントを、焼かれて灰にはされたくないと思った。



 夜の訪れは早かった。

 しばらく壁の下のリムササルムを見ていたララとジェアンは、ドーベンの中央都市に帰ることになった。


「今度は落ちるなよ?」

「わ……分かりました!」


 ララは手を握ったり開いたりして、力を入れる練習をする。

 そして、先程と同じようにジェアンの背中に乗り、ツノを掴んだ。


「ツノ掴むなっつってんだろ!」


 案の定また怒られ、ララは情けなく身を縮めた。


「ごごごごめんなさい、で、でも、掴むところないと怖いっ」

「ったく……最初のうちだけだからな」


 舌打ち混じりの声とともに、巨大な翼がはためく。

 ジェアンの体がゆっくりと、月の浮かぶ空へと舞い上がっていく。

 しかし――次の瞬間、ララの体は夜空に放り出された。


「ひぎゃぁあああああああっ!!」


 ララはやはりジェアンの背から落ちてしまった。

 己の体が落下していく感覚に、思考が真っ白になる。


 駄目だ、竜乗り、向いてない。


 死を覚悟した次の瞬間、空中でララを抱きとめた者がいた。


 腕の中から見上げれば、黒髪が夜風に吹かれて揺れていた。

 漆黒の空を背景に、クロードの美しい顔が月光に照らされている。


 竜に跨ったクロードが、片腕でララを抱え、もう片方の手で手綱を操っていた。クロードは、落下の衝撃をものともせずララを受け止めたのだ。

 ララはクロードの胸の中で、息をすることすら忘れてその顔を見つめた。興奮で、言葉にならない熱が全身を駆け抜けていく。


「……まさかとは思うが、君は竜に乗るための免許を持っていないのか?」


 やや困惑したような顔で問われ、ララはようやく「ひゅおぉっ」と空気混じりの音を出した。

 顔が近い。吐息が頬を掠める距離だ。


(かっこよすぎる!! かっこよすぎる!! かっこよすぎる!! かっこよすぎる!!)


 思考が崩壊していく。

 至近距離で見るクロードの顔は、やはり画家の描いた絵のように整っていた。


「……いや、そうか。幽閉されていたのだから当然だな。それにリムササルムの文化では少しの移動なら杖で低空飛行すると聞く。竜に乗ったことのある者の方が少ないだろう。俺の判断が間違っていた」


 クロードは一人納得したように呟く。

 心の中で歓喜の悲鳴をあげるララの後ろから、ジェアンが急降下して追ってきた。


「クロード様、申し訳ございません。俺が至らぬばかりにこの娘が空中へ……」

「知っていて乗せたのか? 無免許飛行は乗せた竜も刑罰の対象だが?」


 クロードの嗜めるような声音に、ジェアンはばつが悪そうに目を逸らした。


「姫に免許を取らせろ。壁を越えるのはそれからだ」

「いや、しかし! 免許取得には早い人でも三ヶ月かかります。時間がかかりすぎますよ。リムササルムの現状からしてそんな暇は……。皇帝になんと説明するのですか?」

「皇帝には俺から説明しておく」


 その一言で、ジェアンは反論を飲み込んだ。

 クロードの黒い竜と、ジェアンが並んで夜空を飛行する。

 まだクロードの腕の中にいるララは、ドキドキしながら二人の会話に耳を傾けていた。しっかりと支えられているのに、鼓動は収まらない。

 そんなララを見下ろし、クロードが微笑んだ。


「一ヶ月」

「……へ?」

「一ヶ月で飛竜操縦免許を取ってくれないか? 俺のために」


 月明かりに照らされたその顔が美しかった。


「は、はははい! 裁判官様の頼みとあらば、このララ、どんな無謀な戦いでも乗り越えてみせます!!」


 食い気味に答えると、クロードが満足げに口角を上げた。

 夜の中で見たその笑顔は、どんな星よりも眩しく思えた。


 幸せだった。たとえ、本来三ヶ月で取得するものを、一ヶ月で取れという無茶振りをされているとしても。



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