第4話

 要約すれば、トラックのフロントに痛々しい人間大の窪みが残りはしたが、少年は奇跡的に軽傷で済んだ、と。僕の一件は地元紙を飾った。

 運転手が自身の不注意を全面的に認め、事故後のごたごたは早期決着を果たす。多額の治療費が即座に保険会社から支払われたらしい。

 包帯でぐるぐる巻きになった僕は、全身に骨折多数。全治半年以上の上で、検診と経過観察、リハビリなどで少なくとも一年、長引けば二年は学業が困難である。壮年の担当医は厳しい顔で、そう説明した。

 ただ、病院の伝手なのか、バリアフリーに配慮した地元でも校舎が新しい高校、千船ちふね大学附属九重ここのえ高校が転校を勧めてくれた。

 名前は聞いたことがある。高校受験を終えたばかりの高校一年生だから、パンフレットも記憶に新しい。真っ白な校舎に、地味でパッとしないブレザー制服に。やたらと名前が長い。後はなんだったか。……たしか、偏差値は高くもなく、低くもなくのマンモス私立だったはず。というのが、その時点で知っていることだった。それ以上のことは特に知らなかったし、興味もなかった。なにせ、僕に選択権はなかったから。

 ああ、そうだ。家から遠いのは知っていたか。

 閑話休題、僕はまた普通の学校に通えることになった。

 併設される寮へ移れば、病院も近く、日々の検診やリハビリが学業の負担にならない。さらに言えば、保険金を得たことによる経済的事情もあって、両親は私立への転校を快く受け入れたわけだった。

 尤も、それは多大なる方便を含んだ、表向きの話である――。


 教壇に立つのは、僕の両親に転校についての説明をした、あの教師だ。名前はたしか……。

「寮ではよく眠れた? あっ、そこ座ってくれる?」

 僕は案内された空き教室に自分の足で踏み入った。誰かに歩行を補助して貰っているなんてことはない。車椅子でもない。松葉杖も突いてない。どこにも包帯はないし、どころか傷ひとつない。

「……ああ、ええと。一人部屋でしたし、久しぶりに心配そうな家族の目もなかったんで……まあ、ぐっすりって言うんですかね」

 世間話もほどほどに、僕はただ指示されたまま、真ん中の一番前の席へ着席した。

「お家でも怪我人のフリするのは大変だったよねえ。だってほら、ギプスって動かなくするものだし。そうだ、私のこと覚えてるかな?」

「いやそれは……すみません」

 必死に思い出そうとは試みたが。たしか、馬場さん? 久保さんだったか。久保さんよりは馬場さんの可能性が高いと思うが、しかし久保さんの可能性だってそう簡単に捨て切れない。ただ、間違った名前を言うのが一番失礼だろうということは、いくら礼儀作法に疎い僕でも知っているから、重ねて「ごめんなさい」と謝った。

「あはは。正直だね。いいよ、気にしないで。えっとね。改めて私は」

 ジャージ姿の女教師は黒板に向き直る。この間に見た時は地味な黒一色のスーツだった。高い位置でまとめられた、活動的なポニーテールが見えた。これまた以前に会った時には髪を下ろしていたはずだ。

番場ばんば美子みこです。よろしくね、高松くん」

 覚えている。態度の柔和なところとか、小柄で小さな背中とか、振り向いた顔の童顔とか。番場先生は一見すると女子高校生のようだった。制服を着ていると見間違えるかもしれないし、ともかくスーツは似合っていなかった。実に親しみやすそうで、きっと生徒に人気の先生だろう。正直なところ、あまりお近づきにはなりたくない。

 ジェネレーションギャップを物ともせず、生徒のプライベートにまで踏み込んで来そうな、一番苦手とするタイプだと見なした。

「よろしくお願いします」

 僕はただ機械的によろしく渡されたボールを返した。警戒心は上手く隠せた。

「学校のことだけど、校則とか。それから寮の規則とか。一通り、プリントで貰ってるよね? 目は通して貰えたかな?」

「はい。一応」

 転校に際してのオリエンテーション。だから教室には彼女と二人きりだった。当然だ。こんな時期に転校する生徒はいない。タイミング的には一学期中間試験の前になる。

「そうだ。教科書は全部あった? いや、先生も確認したんだけどね」

 先生は今思いついたみたいに言う。

「大丈夫……そうでした」

 僕は直ぐに答えた。本当のところ、そんなところまで気は回ってないのだ。マトモな勉強なんて別にどうでもいいじゃないか、と諦めているところもあった。

「そう。それじゃあ他に質問は? 何か、不安なことはある?」

「不安……ですか」

「急な転校だったから。高松くんが不安に思うことがあるなら言って欲しいなあ」

 不安かあ。不安……ふあん……。

 例えば、転校で問題になるのは、おおよそ新しい人間関係についてだろう。それは高校進学でも同じ。試されるのは覚悟とユーモア。それが高校デビューには必要だ。

 ――というのは、いかにも普通の高校生の悩みだろう。

 僕は、今更普通のことなんか考えて、人間のフリでもしたいのか?

 宇宙人が様になって来ている事実に、肺からふっと上がった溜息を堪えた。

「先生……」

 僕は先生を見据えた。目と目が合っている。

 これからのことが不安だ。自分の正体が不安だなんて言ったって、この人はどうにかしてくれるだろうか?

 助けてくれるわけはない。正しくは、先生なりに出来ることはしてくれるだろうが、だからと言ってどうにも出来ない。相談に乗ってくらいが関の山だ。

 そんな気休めは要らない。不安だろうが、何だろうが死にはしないのだ。不死になったという事実だけが、今は僕の心の拠り所足り得ている。

「……僕は死なないんですよ? 何を不安に思うんですか」

「あはは。それもそうだね。まあ、黙りの時間の長さ気になるけども、今はそういうことにしておこうかな。男の子だもんね。色々あるよね」

 厨二発言だと思われたらしい。

 微笑む先生には年上の嫌らしい感じが滲み出ていた。

「だったら、学校のことは今更説明しなくてもいいよね」

 先生は親しみやすそうな教師らしい態度を改めて、「コホン」と咳払いをするが、それでもまだ大方の人間よりかは長閑だった。

「もう分かってると思うけど、ここは普通の学校じゃあありません」

「はい。そりゃあ、はい」

 もちろん、ただのオリエンテーションで済むわけがなかったのだ。短い間に、いくつもの表向きを僕は見て来た。

「この高校は主要な拠点のひとつでね。我々はS.P.A.C.Eスペース。あ、これ秘密結社の名前ね。Secret、Paraphysical、Alien、Crisis、Enforcement 」

 先生は書き間違えた綴りを指の腹で伸ばし、そうやって作った白いチョークの靄の上からアルファベットを描き改める。どうやら慣れてはないらしい。ところで。

「あの先生、それ黒板に書いちゃってもいいんですか?」

 彼女が自分で言ったことだ。僕は「秘密なんですよね?」と指摘する。

「あ、えっと大丈夫よ。他の子たちは授業中だから」

 なら大丈夫か。いや、大丈夫なのかもしれないが、そんなことでいいのか秘密結社。大丈夫なのか、先生この人は。不安だ。

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