エデンシティへの招待 ②

 晴れた空、俺はヤシの木の影から空を見上げて小さくため息をついた。

 幸い携帯電話と財布だけは手元に残っていた。

 パスポートは残念ながらトランクに入れた鞄の中だ。


「ここにいても仕方ない、か」


 俺は道路を歩き、ビーチに近い戸建ての別荘が並ぶエリアから離れ、とりあえず高層マンションの並ぶ街へと向かうことにした。

 スマホを使って警察に通報するか役所の場所を調べるか、ぼんやりと考えていた。

 車で走っている間は気にならなかったが、本当に車通りも少なければ通行人もいない。こちらを見下ろすように聳える緑の生い茂ったマンションも、先程までとは違って不気味に感じられる。


 少し歩くと高層マンション前の広々とした庭園のような一帯に出た。

 俺はそこで強い日差しを避けるように、日陰にあるベンチに腰を下ろした。


「俺、なにやってんだろうな……」


 もともと無意味になる可能性の高い旅だった。

 警察に頼めばいいところを、わざわざ自分の足で海外の知らない土地まで来て、妹の症状についての手がかりを探す。

 ただの現実逃避と言われればそれまでだ。

 気を許しかけていた相手に騙されたことも相まって、俺の心は翳り始めていた。

 病室で眠るセレンの穏やかな顔が浮かぶ。

 そもそも、セレンは自分が目を覚ますことなんて望んでないのでは……。


――今日はママが褒めてくれたよ!


 小さなころ、歌のコンクールで入賞した際にセレンは俺に笑顔を見せた。

 当時、多忙な母親が見に来てくれたコンクールで結果を出せたことがよほど嬉しかったのだろう。

 セレンは父親にも母親にもよく甘えていた子だった。

 だから……母親が死に父親が暴力を振るようになった後、俺はショックを受けると同時にセレンを守らないといけないと思った。

 できるだけ傍にいようと思った。

 元気づけようと、新しいことを始めようと勧めた。

 知人から機材とスタジオを借りて、歌の収録を行おうと誘った。宣伝にも力を入れて、俺自身が悲しみを忘れるくらい時間を掛けた。初めはそれだけ背中を押したのに、就職してからはろくに協力することもできなくなった。

 結果としてセレンを一人、過酷な戦いに放り込んでしまった。


 俺の行動は重圧だっただろうか……。

 俺の思いがセレンを追い詰めてしまったのだろうか……。

 全部が全部空回りで、意味のない行動だったのかもしれない。



「――兄さん」



 そのとき、幼いころのセレンの声が聞こえた気がして顔を上げる。

 知らない少女がこちらを覗き込んでいた。


「お兄さん、大丈夫?」


 琥珀色の瞳、少し日に焼けた肌に綺麗な長い金髪の髪の毛が揺れた。頭の横にはプラスチックでできたアメコミヒーローのお面が掛けられている。


「あ……えっと、まあ……」


 大丈夫ということは全くないが、見知らぬ他人――それも見るからに自分より年下、十代半ばの少女にいきなり助けを求めるのは気が引けた。


「もしかして、荷物でも盗られた?」


 あっけらかんと言い放たれて、俺は思わず頷いてしまった。


「はい」


 それを聞いて少女は意地悪な笑みを浮かべる。


「可哀想〜。こんな人のいないとこでも、そんな目に逢う人もいるんだね」


「ぐっ……」


 何も言い返せない。


「まー、元気だしなよ。格安の宿とご飯が食べられる場所なら教えてあげるから」


「え、本当か?」


 少女は背負ったポーチから一輪の綺麗な赤い花を取り出した。


「ただし、これを買ってもらいます」


「……んー」


 これは、ルールその二の〝押し売り〟と言うやつではないか?


「えっと、いくらですか?」


「五ドルでいいよ。アメリカから来たんでしょ?」


 俺は今のこの状況では高いと思ったが、ふとその花の質感を見て気付いた。


「これ、造花なんだ」


「うん、わたしが作った」


 ポーチに入っていた割には萎れてもなければ、あまり傷んでもないわけだ。


「……器用なんだね。綺麗だな」


「そうかな? わたしって造花はあまり好きじゃないから分からないや」


「そんな……」


 作者から愛されない創作物ほど悲しいものは無い。


「とにかく、世の中タダより怖いものはないでしょ。これで交換条件ってこと」


「……わかった。ありがとう」


 俺は五ドルを払って造花を買った。


「じゃあ、街を案内するよ」


 俺は少女のおかげで、何とか顔を上げて歩き始めることが出来た。


「そういえば、名乗ってなかったね。わたしはフェキシー。お兄さんは?」


「俺はカイカ。カイカ・ウィルズだ」


 俺はこうして故郷から離れたゴーストタウンで一人の少女――フェキシーと出会った。

 いや、正確には再会した。

 俺がその事実に気付いたのは、もっと後のことだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る