#2
エデンシティへの招待 ①
国際空港のターミナルで荷物を受け取り、俺はネットで知り合った現地ガイドとの約束の場所へと急いだ。
サングラスをかけた十代後半くらいの青年――ヤオ氏は、俺を見るとその日に焼けた手をこちらに向けて大きく振った。
青いスポーツカーのトランクに荷物を乗せ、ヤオ氏の運転でエデンシティへと向かう。
渋滞に捕まらなければイルジアムへは三十分ほど、エデンシティにはそこからさらに三十分ほどで着く。
「ウィルズさん、エデンシティに用があるなんて珍しいね。金持ちの下見以外で呼ばれたのは久しぶりだよ。ユーチューバーだったっけ?」
ヤオ氏は運転中、フランクに話し掛けてきた。
「いいえ、観光ですよ」
「ふーん……ま、悪いところじゃないよ」
ヤオ氏は最近、パンデミックがひと段落したことで徐々に人口が増えていることと、それに伴って営業する店舗も増えてきたことなどを話してくれた。
「ただ、そうだな。エデンシティを安全に観光したいなら、オレの言う三つのルールを守ることだね」
「ルール、ですか」
俺は早速ネットでは知れなかった情報が聞けそうで緊張する。
「ああ。ルールその一、夜間は一人で出歩かない」
「……はい」
「おい。今、その程度のことかって思っただろ。エデンシティは知っての通り、敷地の大きさに対して人口が圧倒的に少ない。人がいないってことは、悪いことをするにはうってつけなんだぜ」
「な、なるほど……。でも、治安が悪いとは聞いたことありませんでした」
「治安はいいぜ。どこにでもいるような育ちの悪い犯罪者はいない。だけど、それよりもっと怖いものがいる」
「……それって、もしかして……」
俺は妹の部屋にあった例の薬物らしきものを思い出す。
あれをもしも、エデンシティで売買しているような組織があるとするなら……。
「ああ。ゴーストだよ、ゴーストタウンだけにな」
「……あ、ははは」
「ははっ。愛想笑いが下手だなあ。ま、不良より怖いのと遭遇したくないなら、夜間は出歩かない方が賢明ってことだよ」
「は、はあ」
果たしてどこまで冗談で、本気なのか……。
「ルールその二、変な押し売りは買うな」
「えっと……それって開発途上国の露店みたいな話ですか?」
俺はエデンシティのイメージと結びつかなくて困惑する。
「ま、そういうのもないとは言わないが、オレが言ってるのはもっとやばいヤツな。路地裏や店で何か勧められても断れよ」
「……それって、もしかして薬とかですか?」
頭に浮かぶのは当然、セレンの部屋にあった封筒と薬袋だ。
「どうして、そう思った?」
ヤオ氏は俺の反応を見て前を向いたまま聞いた。
俺は何となくその声が冷たい気がして、慌てて頭を回転させた。
「い、いえ……何かこのエデンシティの見た目って、そういう怪しい雰囲気ありませんか?」
「ははっ、それは言えてるな」
ヤオ氏はそれ以上の言及はしてこなかったので、俺は一安心した。
「実際になにを売ってくるかは、そいつ次第さ。高い絵や宝石のケースもある。ここに来る富豪層でも後悔するような額が請求されるから気をつけな」
「なるほど……肝に銘じておきます」
俺はこれから向かうのが本来、富豪層のためのリゾート地であることを思い出した。
俺の身なりはハイブランドで固めたような金持ちには見えないだろうが、毟れるだけ毟ってくる可能性はある。
「ルールその三、『モルフォナ製薬』には関わるな」
「……えっ」
俺は緊張から隣の席が見れなかった。
「おっと、安心しろよ。オレはどちらかというと『モルフォナ』は嫌いだ」
ヤオ氏は軽く笑って見せたが、俺はどう反応すべきか測りかねた。
いっそ俺の事情を打ち明けてしまうか?
どのみち、一人で例の半透明の獣や妹の症状について知るには限界がある。
俺が考えているうちにも、ヤオ氏は話を続ける。
「ここら辺の土地を多く持つ企業『モルフォナ』は事実上、このエデンシティの支配者だ。警察組織でさえやつらの行動には口を挟めないのが現状だ」
「そ、そんなやばい会社なんですか?」
「ハッキリ言うとそうだな。どんな理由であれ、あいつらに関わることはお勧めしない」
「……分かりました」
ヤオ氏は本気で忠告しているのだと俺は理解した。
「ま、『モルフォナ』の社宅のマンションや『製薬工場』に近付かなければ平気だ。近付いても不審な行動をとらなければ……見えて来たぜ」
そのとき、潮風と共に一羽の海鳥の声が聞こえた。
目の前に海と空の青が広がる。
緑に覆いつくされた人口とは思えない綺麗な島。
高層マンションを這う植物、道路際に植えられたヤシの木、そこら中にある小さな森のような公園、人工物と自然が調和した不思議な風景だった。
動画とは比べ物にならない圧倒的な迫力に、俺は息を呑んだ。
「綺麗なとこだろ。海もビーチも綺麗だし、高層マンションから離れた別荘地帯とかはあまり廃墟感もない。人が少ないのがむしろ心地いいくらいだ」
「……はい、本当に綺麗な場所だ」
俺はここに来た目的も忘れて思わずそう呟いた。
橋を渡り終えても自然に囲まれた美しい景色が続く、木の向こうに見える高層マンションやガラス張りのビルを俺は自然と見上げていた。
「今は東側の橋から渡ったけど、西側の橋の方には駅もあってイルジアム直通の鉄道も出てる。本数は少ないけど、ここに飽きたらそっちの観光にもシフトできるぜ」
「はは……」
実際、その方が観光としては何倍も楽しめるのだろう。
イルジアムにはカジノもあるし、観光客向けのレストランや免税店も多い。
数分後、車が路肩に止まった。
「……さて、そろそろ宿だな。ここで一回降りてくれ」
「は、はい」
街並みに見とれていた俺はヤオ氏の言葉に現実に帰った。
ドアを開けて歩道へと降りる。
すると、ドアが自動で閉まり、車が勢いよく発進した。
「は……?」
俺はトランクに荷物を詰んだままの車が遠ざかって行くのを、成す術もなく見送った。
突然のことに何が起きたか理解できなかった。
「予約してくれたっていう宿は……ないのか……」
時間が経つにつれてようやく、現状が呑み込めてくる。
「ルールその四」
異国の地で立ち尽くしたまま、俺はその教訓を胸に刻むことにした。
「――荷物から手は離すな」
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