薄汚れた街の片隅で ④

 数日後、病室の白いベッドに横たわるセレンはどこか幸せそうに見えた。

 この世のしがらみから解き放たれ、深い眠りの中を漂う。

 この姿を見ていると、いずれくる終わりの日も悪くない――そんな風に思えてくるから不思議だ。


――妹さんの様態は非常に安定しています。外傷はなく、いつ目が覚めてもおかしくない状態です。


 医師はそう言ったが、一週間経ってもセレンの意識は戻っていない。


――もう警察から聞いているでしょうが、彼女の部屋にあった薬物……その過剰摂取による影響だと考えられます。


 あの日、セレンは意識を失い、俺は打撲や裂傷で入院する次第となった。

 妹の部屋には異臭――煙っぽい甘い匂いと空の薬袋が残っていた。

 警察は僅かに残った薬物を分析したらしいが、詳細については教えてくれなかった。

 事情聴取の際、俺はすべてを正直に話した。

 その結果、薬物検査を受けることになったのは言うまでもない。

 俺が見た大きな半透明の獣……あれは、幻覚なんかでは決してない。

 そうでなければ、俺はともかくセレンが無傷で路地に眠っていたことに説明ができない。

 だが、幻覚でないのなら何かといわれても正直分からない。

 結局、薬物の正体も半透明の獣の正体も、俺には分からずじまいだった。

 その後は聴取もなく、事件の捜査の進展も不明のままだ。

 数日後、退院した俺は仕事に復帰することにした。

 事情が事情のため、政府に支援の申請はしたが受理されるかは分からない。

 俺はセレンの入院費を稼ぐために働くしかなかった。



            ▼     ▲     ▼



「――おい、ちょっと話がある」


 それから数日後、作業終わりに俺は上司に呼び出された。


「カイカ。お前、しばらくの間休め」


「えっ……俺、働けますよ!」


 自覚はなかったが、怪我によって作業スピードが落ちているのかと焦った。

 上司はその様子を見て首を振った。


「いいから。妹さんのそばにいてやれ」


 上司はそう言いながら、俺に封筒を突きつけた。

 その中には札束が入っていた。


「二ヶ月分の給料くらいはある。黙ってもらえ」


「……あ、あの……」


 もらえません。の一言が出てこない。

 これがなければ、俺もセレンも近い将来立ち行かなくなるのが目に見えてるからだ。


「オレだけじゃない。みんな心配している」


 上司は少し離れた場所で、その様子を見守っている仕事の仲間の方を指さした。

 仲間たちはバツが悪そうにあらぬ方向を向く。


「最近のお前、オレのダチが首吊る前と同じ顔してんだよ。ガキにいつまでもそんな顔されたら、こっちの調子が狂っちまう」


 先輩の憎まれ口がこれほどまでに胸に刺さったことはなかった。


「ガハハハッ。素直じゃねえ連中だなあ!」


 上司はその様子を見て豪快に笑う。

 それから急に真面目な顔になり、俺の肩を叩いた。


「カイカ、お前は一度、お前の人生を見つめ直せ。無理に職場に復帰しなくてもいい」


 俺はただ、頭を下げることしかできなかった。


 その数週間後、妹は障害者として支援を受けられることになった。

 俺の精神状態は相変わらず不安定だったが、金銭的な不安による不眠の症状はとりあえず消えた。

 それから、ようやくセレンの置かれている状況について考える余裕ができた。



            ▼     ▲     ▼



 まず、俺は警察から返ってきていたセレンの荷物を確認することにした。

 俺にしか分からない手掛かりがないとは限らない。

 旅行に行った際のキャリーケースを開ける。キャリーケースの中にはパスポートが入っており、スタンプを見ると知らない国名が出てきた。


『コカネール共和国』


 俺はセレンの作業用のパソコン使って早速検索を掛けた。

 コカネール共和国、大西洋にある熱帯の島国。

 二十年ほど前に大国から独立、美しい景観を活かした観光やフルーツの輸出を主な産業としている。宗教的、人種的な対立構造からは無縁で治安も良く、近年では海外からの投資を受けた開発に伴い、首都イルジアムを中心に経済的な急成長を遂げている。

 長い植民地時代の名残で英語が公用語なのも、発展を後押ししているという話もある。

 俺は調べているうちに気になる画像を見つけた。


「……エデンシティ」


 それはコカネール共和国にある一つの都市の風景だった。

 植物に覆われていた高層マンションとヤシの木の並ぶ道路。流線型を描くビーチと自然豊かな別荘地帯。廃墟のようなその街並みは、あのハッシュタグで拡散されている画像の中の都市の姿と酷似している。


#ゴーストタウンでまた会おう


 その言葉を思い出した瞬間、頭がズキリと痛んだ。


――「「「ゴーストタウンで待ってるよ」」」


 俺は今になって、気絶する直前に聞いた言葉を思い出した。

 鼓動が速く鳴る。

 偶然とは思えない一致にマウスを握る手が震える。


「セレンはもしかして、ここに行ったのか? でも、何のため?」


 俺は逸る気持ちを抑えてさらに情報を集める。


 人工都市エデンシティ。

 コカネール共和国は多額の予算を投入して、首都イルジアム付近の海岸、平方十キロメートルを越える巨大な埋め立て地に人工都市を作るプロジェクトを始めた。

 ターゲットはアメリカの富豪層。自然との共存を一つのコンセプトにしている。一見すると廃墟のような、植物に覆われた外観も本来は意図的な演出のようだ。


 ただ、このエデンシティは大きな問題を抱えていた。

 プロジェクトスタート直後の反響こそ大きかったものの、その後の不況や不動産バブルの崩壊も重なり、超高額のマンションには思ったように買い手がつかなくなった。誘致した商業施設も多くが撤退、生活の不便さによって買い手がさらにつかなくなるという負の連鎖が起こった。

 人工都市は元からの産業も住民も存在しないため、こうなると立て直しが効かなくなる。

 結果、エデンシティは今や膨大な敷地に対して、人口が極端に少ないゴーストタウンとなってしまっていた。

 ただでさえ緑に覆われた高層マンションのせいで廃墟に見える都市の異様な空気は、レポにいったユーチューバーの映像越しにもヒシヒシと伝わってきた。


 さらに調べるうちに、俺はもう一つ気になる単語を見つけた。


『モルフォナ製薬』

 エデンシティに出資した大企業の一つで、コカネールでも有数の製薬会社だ。

 安直だが、セレンの持っていた薬袋や薬物との関係を疑ってしまう。


「……いや、流石にこれは思い込みか?」


 俺は自分が偏った情報の見方をしている気がした。

 ただ、セレンが『コカネール共和国』に行ったことだけは紛れもない事実だ。

 だが、それが分かったところで一体どうすればいいのか……。


「エデンシティ……行けば、何か手掛かりが掴めるか?」


 俺は僅かな貯金と上司から貰った生活費の残額を見て、あまりにも無謀な賭けだと思った。

 だが、このまま手をこまねいていても、妹は元に戻らないかもしれない。

 幸い公用語は英語で、買い物にはドルも使えるらしい。

 俺は手遅れになる前にとビザを取り、その一週間後にはコカネール共和国に単身で向かった。

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