薄汚れた街の片隅で ③

 意識が一瞬飛びかけたが、状況を思い出して即座に覚醒する。

 殴られた頭に壁にぶつかった左腕、最初に攻撃を受けた腹部が痛んだ。

 痛みでぼやける視界で何とか半透明の獣の姿を捉える。


 半透明の獣はセレンを咥えてベランダに向かっている。


「――待てっ!」


 俺は血の気が引いたが、即座に思考を切り替え、痛む体を無理やり起こした。

 半透明の獣はセレンを咥えたまま、ベランダから飛び立とうとする。

 俺は間一髪、獣の尻尾を掴み、引っ張られて空中へと飛び出した。

 俺の部屋は四階、死と痛みを覚悟する。

 だが、獣は隣の民家の屋根へと難なく着地、俺はその衝撃で手を離して転がった。

 半透明の獣は驚いたようにこちらを一瞥したが、構わず移動を再開、隣のボロ屋へと飛び移る。


「くそっ……」


 俺は覚悟を決めて立ち上がり、助走とともに二メートル程の隙間を飛ぶ。

 寿命が縮むような一瞬ののち、俺は屋根の上を転がった。

 半透明の獣は次々と屋根を飛び移っていく。


「セレンを返せっ!」


 無駄だと分かっていても俺は叫び、次の屋根へと飛び移った。

 また、着地の際に転んだ。気付くと体は擦り傷や痣だらけになっていた。


「頼む……」


 なんとか顔を上げて獣の背中を探す。

 一階分は高い建物の屋上の上から、半透明の獣はセレンを咥えたままこちらを見下ろしている。

 高さだけじゃない。幅も二メートル以上離れている。

 だが、壁面には非常階段があり、そこの手すりに上手く掴まることができれば屋上への道中をショートカットできる。


 冷静に考えれば自殺行為だ。


 今俺がいる屋根は三階の高さはある。落ちれば死ななくても重傷は免れない。

 一度降りて階段を登れば……。

 視線を上げると、半透明の獣は立ち止まったまま、まるで試すように俺のことを見つめている。


「はっ……くそっ……」


 俺は屋根の縁から後退を始めた。

 そして、一番端まで戻ると、そこから一気に反対側まで助走をつけ始めた。

 決死の覚悟で、俺は屋根から飛んだ。


 一瞬の浮遊感、周囲の景色がゆっくりと流れる。


 それから、急に時が加速したように、隣の建物の非常階段が近づいてくる。

 かろうじて、手すりに手がかかるが、勢いがつきすぎたせいで体が弾かれた。


「あっ……」


 俺の体は無残に落ちていき、背中から下の地面へと叩きつけられる。

 衝撃で意識を失いそうになる。

 朦朧とする意識、周囲が暗闇に包まれていく。

 ふと、視界の端に薄く輝く半透明の獣の姿があった。

 半透明の獣は俺の近くにセレンをゆっくりと眠らせた。


「「「ごめんね。すぐに気が付かなくて……」」」


 何重にも響くような声が聞こえる。

 これが半透明の獣の本来の声なのか、俺の神経がイカれたのかは判断がつかない。


「「「キミは本当に強い人だね」」」


 不思議とその声には優しさが込められているように思えた。

 半透明の獣は俺の顔に、そのしなやかで細長い前足を当てる。


「「「ゴーストタウンで待ってるよ」」」


 柔らかい掌で撫でられたような感触とともに、今度こそ俺の意識は暗闇へと落ちた。

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