序章 第3話「沈黙と夢」



虚無の世界に、ふいに沈黙が訪れた。

のよさの歌声が途切れたのだ。

騒がしいほどに明るく、意味のない音を撒き散らしていた存在が、いつの間にか見えなくなっていた。


灰色の虚無に戻った空間は、余計に冷たく感じられた。

音が消え、色もなく、ただ自身の気配だけが漂っている。


スノーは魔導書を閉じ、瞼を伏せた。

意識の奥に、揺らめく光景が浮かび上がる。


――それは夢だった。



陽の光に照らされた大地。

新緑が芽吹き、鳥がさえずり、花々が揺れる。

風は柔らかく、肌に心地よい。

そこに、ひとりの老人がいた。


「君の描く魔導書は、いつか世界のためになる」


皺深い笑顔が、穏やかにそう告げる。

スノーはその隣を歩き、言葉なく景色を見守っていた。

夏の空は澄み渡り、麦畑が波のように揺れていた。

秋には紅葉が燃え、冬には雪が降り積もった。


季節が巡り、色が移ろい、命が絶えず続いていく。

そのすべてを、傍観者として見守っていた。

ただそこに居るだけでよかった。

彼は確かに、あの時だけは世界と共にあったのだ。



――だが目を覚ますと、そこには何もない。

灰色の虚無だけが広がっていた。


スノーは微かに息を吐いた。

(……名前すら、もう思い出せない)

記憶の中で寄り添っていた老人の名も、声も、今では霞の向こうに消えかけている。


虚無は静かだった。

その沈黙を破るように、ふいに甲高い声が弾んだ。


「スノー、笑ってるみたいだったのよさ!」


のよさがいつの間にか戻ってきていた。

灰色の中に無邪気な笑顔を浮かべ、こちらを覗き込む。


スノーは答えなかった。

ただ瞼を伏せたまま、沈黙を選んだ。


無邪気な声は気にも留めず、ころころと笑い転げる。

虚無に再び音が広がり、冷たい静けさを押しのけていった。


だが、彼の心には色は戻らなかった。



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