第43話 よしおすきだよ

 あの事故から、盲目の初老人が貨物列車に轢かれて亡くなった日から十二年が過ぎる。


私自身も八年前、緑内障と診断され点眼治療を続ける日々を送ってきたが、効果は得られずに光を徐々に失っていった。盲目の初老人が患った網膜色素変性症とは違い、私の世界は完全なる暗黒である。眩しすぎるカーテンの中にモノが見えなくなっていく症状とは異なるものだ。


 ただ盲目の初老人や吉田深雪という女性が生きた時代とは大きく異なることがある。それはあなたが今、読んでいる文章の記述方法である。パソコンに取り付けられたマイクに向かって私が声を発すると、原稿用紙に文章が自動で打ち込まれる。稀に意味の異なる漢字が充てられている時もあるが、書き終えてから晴眼者に読んでもらい、添削してもらえれば済んでしまう程度の誤植だ。非常に便利になったものだ。この原稿もすでに二百六十五枚目に突入しているらしい。


 吉田深雪という女性が残したカセットテープの音源である『光の輪』の曲が終わるとピアノのコードが鍵盤で七つ、打ち込まれている。作曲の続きを模索するためのコード進行を試し打ちした音がそのまま録音されていると思っていた。


 このメロディーとはまったく無関係と思われるピアノのコードを指文字変換すると意味のある言葉を奏でている事に視力を失くした私は気が付いた。


 盲目の初老人、村尾良雄さんもきっと気が付いていたはずだ。


 七つのコードを平仮名文字に変換すると


 ー よしおすきだよ ー


 盲目の青年だった村尾良雄さんとその姉が考案したピアノ、あるいはギターのコードを文字に置き換える手法を吉田深雪さんは相当早い時期から取り組み始め、結果を残していた事になる。


 私が視力を失う前、いわゆる先行く人たちの壮絶な努力が実を結んで今日に至る。もちろんその中には吉田深雪と村尾良雄という今は亡き人物がいたことを最後に記す。


 あなたたちは未来を歩く盲目の人たちのために目では見えぬものを鮮やかに見ていたのですね。


       光の輪 〜網膜色素変性症で視力を失った者のはなし〜 終わり

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光の輪 〜網膜色素変性症で視力を失ったふたりのはなし〜 いしかわもずく @ishikawamozuku

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