第36話 遺言

 毎週、日曜日のたびに練習を繰り返した。自宅でも僕は姉のエレクトーンを自室に移動してもらい、音を消しながらヘッドフォンを付けて練習し続けた。練習し過ぎて気が付いたら朝の四時になっていた時もある。

僕たちのコンサートに与えられた時間は正味一時間、少なくても六曲はマスターしなければならない。三曲は出来上がっている。あと三曲を加えてトークも交える。観客となる方たちに話したい事は吉田深雪という直向きに生きた僕らの仲間の事に尽きる。


 彼女の生きてきた“光のない輝き“を語ってから吉田深雪作詞、作曲『光の輪』に込められた盲目者の孤独との葛藤を会場にいる人たちに伝えなくてはならない。僕がピアノの鍵盤にゆっくり指を置き優しい音色で奏で始める、そう想定していた。


 『光の輪』には吉田さんの声で歌われたデモテープがある。ピアノの弾き語り風に演奏が始まり、ゆっくりとしたリズムで歌が始まる。


 吉田深雪という女性が幼かった頃、見つめた光の輪の中に聴衆する者たちを迎え入れる事はできないだろうか。なぜなら聴きに来てくれる人の半数以上が僕たちと同じく何らかのハンディーキャップを持たされているからだ。


 ならば曲の出だしとなるパートは吉田深雪さんが残してくれたテープ音源を編集し、彼女の歌声を聴いてもらい、そのあとサウンドを途切れさせず、繋ぎ合わせるようにして僕たちの演奏を重ねることはできないだろうか?


 僕のアイデアにギタリストもドラマーも大賛成してくれた。録音テープの編集と音の調整はリハビリの先生がコンピューターを使って増幅してくれた、雑音も綺麗に除去されてクリアーな音源になっていた。


 会場となるリハビリセンターの体育館に折りたたみの椅子を縦十五列、横十列並べて両サイドの壁側にも沿うようにパイプ椅子を配置した。合計で二百席を用意したけれど「こんなに聴きに来る人がいるの?」は率直な疑問だった。


 僕たちのおこなうコンサートは無料だけれど宣伝は一切おこなっていない。僕たちは無名だし、それに素人だ。人を集める力なんて持ってはいない。なのに当日、テレビ局が入った。雑誌の取材なるものも来てくれたんだ。そう、あの日、深雪さんが事故に遭ってしまった日に予定されていた編集社が僕たちの想いを掲載してくれることになった。


 編集社の方は七年前のあの日のことを覚えていてくださり「私どもがお願いしなければ、あのような事故は起きなかったでしょう。今日は亡くなられた吉田様の肉声が演奏に使われるとお聞きいたしました」

そう言って機材を持ち込んでこられた。


 この会場に二百人もの観客を集めたのはきっとリハビリの先生だろう。このセンターを巣立っていったOB、OGや元教員、ドクター、看護師、看護助手、それに所沢市の広報にも掲載されたらしく、当日は立ち見の方も出てしまった。


 この日の音源が残されている。


ー はじめまして、ぼくたちはこのリハビリセンターで出会った患者同士でした。

網膜色素変性症という病気で視力を失いましたが社会人として活かされています。

僕たちにはもう一人、女性のメンバーがいましたが不慮の事故でこの世を去りました。彼女の名前は吉田深雪といいます。二十一歳という若さでした。駅のホームに繋がる階段端に捨てられていたペットボトルに足をすくわれてしまい転落してしまったのです。


 僕たちがバンドを再結成するにあたり彼女が生前、残した音源の録音テープがあります。八フレーズしか録音されていませんでしたが僕たち三人が編集して一曲の作品に仕上げました。楽譜と歌詞は一切変更しませんでした。それはこの曲が彼女の遺言になっているからです。


 タイトルは『光の輪』といいます。



 吉田深雪さんが残したデモテープの音が会場に設置されているスピーカーから流れはじめた。カセット・テープから奏でられる最後のピアノの音に合わせて僕は鍵盤を一音ずつ丁寧に指で確かめながらFメジャー7コードに三本の指を置き、歌い始めた。


 幼いあの日 僕の瞳は 輝く光を見つめていた


 どこかを彷徨ってしまったときでも

 歩いて行く道を光は教えてくれた


 どんなに人生が寂しくなっても

 どんなにこころが暗闇に落ちていっても


 僕は君と歩いていく

 それが僕と君のふたりで

 生きていく道なのだから

 それが光の輪の中ならば


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