7日の花嫁
杜まつは
純愛
照りつける日差しに雲ひとつない快晴。遊具ひとつない公園でベンチの影がゆらゆらと揺れる中に響く合唱。
一目惚れだった。運命的な出会いだった。
職場の人も友人も通りかかる誰もが私を訝しむ。それでも私は私の信念を貫き通す。
眩い日差しが照りつける夏日。夕暮れに帰宅しようと歩いている途中に近所の小さな公園を通りかかった瞬間、夏の風物詩が所々で合唱していた。いつもはなんとなく通り過ぎてしまうだけだったが今回は違った。その鳴き声が魅力的に聞こえいつの間にか公園のベンチに座って聞き惚れていた。
蝉の鳴き声、夏の風物詩。僅か1週間しか生きられない命。なぜ心を掴まれたのかは分からない。運命とは得てしてそういうものだ。
気がついたら私は毎日その公園のベンチに座って一日中何をすることなく蝉の声を聞いていた。
呼吸を置くタイミングで鳴り止む合唱や声の薄さが惜しいほど私は聴き入っていた。
汗ばむ体も、照りつける太陽も全く気にならなかった。目を瞑り耳を傾ければそこに広がるのは一夏の夢、盛大なオーケストラ。
炎天下の中、公園は誰も立ち寄らずかえって都合が良かった。こんな素晴らしい演奏を独り占めできる機会は滅多にない。いつしか仕事を休んで日がな一日聴き入っていた。
ある日、私は役所で一通の書類をもらって公園にやってきた。すでに片面記入済みの婚姻届だった。私は至って冷静だった。この瞬間、夏の輝きと一瞬でも一つになれたらどんなに嬉しいことだろうか。蝉と婚姻なんて正気の沙汰ではないと笑われるだろうか。でも私は真剣だ。
どう記入してもらうか悩みに悩んだ末、おしっこをかけてもらえば筆跡になるのではと思い至り今日は木の下蝉の真ん前でタイミングを見計らったが一向に蝉はおしっこする気がなく日が暮れてしまった。握った婚姻届が少し皺になり今日は諦めて帰宅した。
翌日、昨日のリベンジで婚姻届を握りしめて家の玄関の扉を開けた。相変わらずの猛暑で今日は頭痛が少ししたがいつものように公園に向かった。
最初に比べてだいぶ蝉の数が減ってきた。か細くなる声を応援するかのように一本一本の木に向かって「頑張れ」とひたすら声をかける。
ベンチから立ちあがろうとすると一瞬くらっと空が回転したような気がした。だけど特別気にすることなくそのまま蝉にエールを送り続けた。私の応援に応えるかのように蝉もジジジといっそう声を上げた。
気がつくと一番気温が高くなる時間になっていた。朝少しだけ気になった頭痛が酷くなり頭が割れるほどだった。流石に少し様子がおかしいと思い少しだけ木の陰になっているベンチに腰掛けしばらく休んでいたが気がついたら目を瞑っていないのにあたりが真っ暗になり途端に平衡感覚を失ってしまった。
真っ暗闇の中でも蝉の声は鮮明に聞こえていた。
重い瞼を開くとそこは知らない天井だった。よくある例えだが本当にそうだった。身体には点滴が刺さっていて真っ白いベッド。病院だった。
しばらくして顔を見せた医者から重度の熱中症だと診断された。だけど医者の言葉は話半分で私は早く蝉たちに会いたかった。こんなことをしている場合ではない。早くしないといなくなってしまう。また来年、それはあまりにも長すぎる。最後に聞いた声に寂しさを感じながら医者にいつ退院できますかとまだぼんやりした頭で訴えた。医者は少し困惑した表情で1週間程度ですねと口にした。
1週間、その言葉だけははっきりと聞き取れた。焦りで衝動のままに今すぐにでもベッドから飛び起きたかった。だけど体は全く動かず指先を動かすのが精一杯。
遠くて蝉たちの鳴いてる声が聞こえるような気がした。だけどここは病院。窓にゆっくりと首を向けるとそこは青空が切り取られていて脳内に響いている声だけを頼りにツンとなる鼻を上に向けた。
あれから1週間、退院した私は一目散に公園へと向かった。まだ病み上がりの中、炎天下のアスファルトをひたすら走った。だが夏はもう終わりに近づいていてたどり着いた公園にポトリと仰向けに寝転がる蝉を目の当たりにし膝から崩れ落ちた。
7日の花嫁 杜まつは @susukuru
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