第2章 ようこそ、クローバー ②初めてのイベント参加-1


2.2.1 イベント直前の緊張


更衣室の扉をくぐった瞬間、むっとした熱気に包まれた。


狭い部屋のあちこちで、男たちが衣装を広げたり、ウィッグを整えたりしている。

ざわざわした話し声とドライヤーの音が混じり合って、落ち着かない。


「……ここで着替えるのか」


俺は指定されたスペースにキャリーケースを置き、衣装を広げた。


今日は俺にとって、初めての本格的なコスプレイベント。


キャラは人気のアニメの主人公――

長身で剣を振るう勇敢な青年だ。

俺自身は背も高くないし、普段は地味な格好ばかりだから、正直不安しかなかった。


それでも衣装を一枚ずつ身につけていくと、だんだん「俺じゃない誰か」が形になっていく。

厚手のベストを羽織り、ベルトで腰を締め、ブーツを履く。

金属のバックルがかちゃりと鳴った瞬間、胸の奥が高鳴った。


男女共有のスペースに移動する。


扉を開けると、目の前にいた亜美が、「似合ってきたじゃん」にっと笑った。


彼女はもう隣の更衣室で別キャラに着替えを済ませている。

派手な衣装の袖を揺らしながら、俺をひやかすように眺めてきた。


「……本当に大丈夫かな?」


「大丈夫大丈夫! ほら、肩をもうちょっと張ってみて。キャラは自信家でしょ?」


言われるままに胸を張ってみると、姿勢が変わっただけで鏡の中の俺が少し強そうに見えた。


続いて亜美が化粧道具を手に取り、俺の顔にパフを滑らせる。

頬に影を入れ、鼻筋を強調し、目の輪郭をはっきりさせる。


「メイクは光を操るんだよ。写真に映るとき、全然違うから」


手際のよさに圧倒されながらも、俺は言われるがまま目を閉じたり口をすぼめたりした。


最後に、ウィッグを頭にかぶせる。

黒髪の地味な大学生の顔はもう消えて、鮮やかな銀髪をなびかせた「キャラクター」が鏡に立っていた。


「……俺じゃないみたいだ」


思わず口に出てしまった。


胸がどくんと跳ねる。

わくわくするような気持ちと、足がすくむような緊張が同時に押し寄せてきた。


もし外に出たら、笑われるんじゃないか。


いや、誰も見向きもしなかったら――

そんな不安が頭をよぎる。


「ねえ智也」


亜美が肩を軽く叩いた。


「心配そうな顔してるけど、ほんとに似合ってるから。大丈夫」


その笑顔に、不思議と力が抜けた。


亜美の「大丈夫」は、ただの励ましじゃない。

本気でそう思ってくれてるんだと感じられた。


控室の外からスタッフの声が響いた。


「――まもなく入場開始でーす!」


ざわついていた控室が一気に慌ただしくなる。

ウィッグを直す者、剣を背負う者、笑い合いながら肩を叩き合う者。


熱気と緊張が渦を巻いていく。


俺は喉が渇いて、ごくりと唾を飲み込んだ。

立ち上がると、ブーツの底がコツリと床を打つ。


その響きが胸の奥にまで響いて、ますます鼓動を早める。


「行こっか」


亜美が先に歩き出し、俺を振り返って笑った。


俺は深く息を吸い込んで――

高揚と不安が入り混じった胸を抱えながら、会場へ続く扉へと足を踏み出した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る