第1章 無気力な日常 ②運命の声かけ-3
1.2.3 鏡の前の自分
「なあなあ、せっかくだから着てみたら?」
唐突に声をかけられた。
衣装ラックの前にいた先輩らしき男子が、俺をじろりと見てにやっとする。
「え? 俺?」
思わず指をさして確認する。
「そうそう。初見さん恒例、仮装体験!」
「やっと捕まったな、犠牲者~」
周りから笑い声が上がる。
「いやいや、俺は……」
慌てて否定しかけたけど、みんなのノリが勢いよくて言葉が続かない。
「大丈夫、ガチのやつじゃなくて簡単なのだから」
亜美が横から口を挟んだ。
「ね、男子キャラ用の衣装ちょっと貸してよ」
「おっけー! ちょうどサイズ合いそうだし」
気づけば、学園もののブレザー風の衣装を押し付けられていた。
「ほらほら、更衣室あっち。着てきなー!」
押し切られる形で、小さな更衣スペースに押し込まれる。
「……なんで俺が」
ぶつぶつ言いながらも袖を通すと、意外なほどぴったりだった。
普段のよれたシャツやジーンズとは違い、生地は厚くて、肩に少し重みがある。
「着れたー?」
外から亜美の声がした。
「ま、まあ……」
恐る恐るカーテンを開けると、みんなが「おおーっ」と歓声をあげた。
「似合うじゃん!」
「立ち姿も悪くないよ」
「そのままステージ立てそう」
「え、いや、そんな……」
照れくさくて視線を逸らす。
「ちょっと待って、軽くメイクもしよ」
亜美が俺の前に立つ。
「動かないでね」
小さなブラシが肌に触れ、瞼のあたりにさらさらと色が乗せられていく。
頬に薄く影を入れられると、顔の輪郭が少しシャープになった気がした。
「……はい、できた」
彼女が一歩引いて、笑顔で頷く。
「じゃあ、鏡見てみて」
俺は鏡の前に立った。
そこに映っていたのは――
俺じゃなかった。
いや、もちろん俺だ。
でも、いつものだらしない姿じゃない。
髪は整えられ、目元は凛々しく、衣装の肩幅が背筋を伸ばさせる。
見慣れた顔のはずなのに、見たことのない誰かが鏡の中に立っている。
「……っ」
胸の奥がぐらっと揺れた。
「どう? 結構変わるでしょ」
亜美が楽しそうに尋ねる。
俺は答えられなかった。
ただ、視線が鏡から離せなかった。
これまで、俺はずっと流されて生きてきた。
なんとなく大学に来て、なんとなくバイトして。
自分から何かを望んだことなんて、ほとんどなかった。
けれど今、胸の奥が熱い。
「もっとやってみたい」
その言葉が、勝手に浮かんでくる。
――小さな火が、確かに灯った。
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