第1章 無気力な日常 ②運命の声かけ-1


1.2.1 予期せぬ誘い


文化祭のざわめきがまだ耳に残っていた。

クローバーのステージが終わったあと、俺はただ人混みを避けるように歩いていた。


帰ろう、と思った。

模擬店も見て回る気力はない。


人の熱気に混ざるのも面倒だ。


でも――

足が勝手に中庭へと向かっていた。


そこではステージを終えたクローバーの連中が片付けをしていた。

派手な衣装を脱いで、段ボールに詰めたり、小道具をトラックに運んだり。

さっきまで舞台の上で輝いていた彼らが、汗をかいて笑い合っている。


「ほら、剣の小道具、折れるから気をつけろ!」


「ちょっと、ウィッグ投げないで!絡まるって!」


「ごめんごめん!」


賑やかな声に混じって、段ボールを引きずる音や笑い声が響く。

さっきの眩しいステージとは違う、けれど同じくらい生き生きとした空気。


俺は立ち止まってしまった。

何をするでもなく、ただ通り過ぎればいいのに。


「……あれ?」


不意に、視線が合った。


ステージで赤いドレスを着ていた彼女――

笹倉亜美。


さっきの堂々とした姿とは打って変わって、今はラフなTシャツにジーンズ姿。

髪を後ろでざっくりと結んでいて、汗で額が少し濡れていた。


でも、その笑顔はやっぱり印象的で。


亜美は俺を見つけると、段ボールを置いて、ふらりと近づいてきた。


「ねえ、君。ちょっと見ていかない?」


唐突すぎて、俺は間抜けな声を出した。


「え、俺?」


「そうそう、君。さっきステージ見てたでしょ?」


亜美はにこっと笑う。

俺は慌てて首を振った。


「いや、通りがかっただけで……」


「通りがかっただけで立ち止まるってことは、少しは興味あるってことだよ」


「……そういうもんかな」


「そういうもん」


彼女は断言するように頷いた。


「だから、ちょっとでいいから覗いていきなよ。すぐ終わるからさ」


俺は戸惑った。

別に用事があるわけでもない。


でも、知らないサークルに一人でついていくなんて……。


「いや、その……俺なんかが行っても邪魔でしょ」


「邪魔じゃないよ」


亜美は笑顔を崩さず、軽い調子で言った。


「むしろ歓迎。ほら、初めての人に見てもらうのって嬉しいし」


俺は言葉に詰まった。

断ろうとしたのに、うまい理由が浮かばない。


そして、結局――


「……じゃあ、少しだけ」


そう答えてしまった。


亜美は嬉しそうに目を細めた。


「うん、決まり」


不思議だった。

なぜこの子が、俺なんかに声をかけてきたのか。

そして俺は、なぜ断れなかったのか。


わからない。

ただ一つだけわかるのは――


あの一言が、俺を日常の外へ引きずり出した。

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