第16話 家の宣言


 黒川グループ本社ビルのガラスは、朝の光を鋭く反射していた。幹線道路に並ぶ記者の列。車両チェックを終えた三人は、正面玄関ではなく地下通路から入った。湊は今日もドレス姿だが、昨日までの「花嫁」の仮面ではなく、自ら選んだ装い。白のブラウスに濃紺のスラックス。襟元の小さなブローチだけが控えめに輝いていた。


「今日は“宣言”だ」蓮が低く言う。「相手が何を仕掛けても、こちらは形を崩すな」


 悠真は頷き、湊を見つめた。「触れても、いいですか」


 湊がわずかに微笑む。「……支えて」


 手が重なった瞬間、三人の間に流れる緊張が、確かな温度に変わった。



 午前十時。記者会見室。壇上には黒川グループのロゴが掲げられ、中央に長机とマイク。役員数名が両脇に座り、中央に湊と悠真、その後方に蓮が控える。


 開会の合図。シャッターの連射が始まる。湊は視線を上げ、ゆっくりと口を開いた。


「本日はお集まりいただきありがとうございます。まず初めにお伝えしたいのは——私たちは“家”を持ちました、ということです」


 一瞬の沈黙。会場の空気が変わる。誰もが「会社」や「婚約」の説明を期待していた。だが湊は続けた。


「会社の説明責任は、私が代表として果たします。しかし、私生活や家の形は、会社や外部に委ねられるものではありません。私たち三人は、互いを守り合う“家”を選びました」


 記者の一人が即座に問いかける。「その“家”とは、婚姻関係ですか? それとも同居の方便ですか?」


 湊は視線を逸らさず答える。「外の言葉で言えば婚約かもしれません。けれど、内側の言葉では“契約”でも“方便”でもない。ただの、家族です」


 会場にざわめき。記者が再び声を上げる。「家族、とは?」


「血縁でも肩書きでもなく、互いに守りたいと選んだ者が作るもの。それが、私たちの“家”です」



 その時、スクリーンに不意の投影が走った。匿名掲示板の書き込みが映し出される。「黒川令嬢は偽物」「長男を女装させている」——ざらついた文字が会場の壁を汚す。会場が騒然とする。


 蓮がすぐに操作に入り、スクリーンを落とす。だが湊はマイクを握り直し、声を張った。「はい。私は黒川家の長男です。女として育てられました。偽りの“令嬢”でした」


 会場が凍り付く。シャッター音が一斉に鳴る。湊は続けた。「けれど——私は今、嘘で固められた幻影ではありません。自分の意志でここに立っています。そして、その私を隣で支えてくれる人がいます」


 悠真が深く頭を下げる。「僕は、湊さんを人として守ります。財閥のためではなく、一人の人間として」


 蓮もまたマイクを引き寄せる。「俺も同じだ。家族として、盾になる」


 三人の言葉が重なる。会場の空気が一変する。驚き、批判、同情、憧憬——あらゆる感情が渦を巻く。だが、少なくとも「偽り」という言葉は、今の三人には似合わなかった。



 会見後、裏手の控室。湊は深く息を吐き、ソファに腰を下ろす。ドレスではない装いの肩が、ようやく軽くなった気がした。悠真が水を差し出し、蓮が背後で警戒を解く。


「やり切ったな」蓮の声は低いが、確かに安堵が混じっていた。


 湊は頷き、共有ノートを開いた。新しいページに一行を記す。


『二十、家は宣言することで存在になる』


 ペンを置き、湊は微笑んだ。「これで、幻影は終わった」


 悠真と蓮が並んで頷く。窓の外では秋の雲が割れ、光が差し込んでいた。その光は、初めて三人の“家”を照らすものだった。

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