第7話 逃れられぬ舞台

週末の午後、黒川財閥の関連企業が主催する慈善パーティーが都心のホテルで開かれた。湊にとっては生まれたときから慣れ親しんだ舞台。豪奢なシャンデリアの下、タキシードとドレスが波のように揺れる。だが今日の視線はいつも以上に鋭く、冷たかった。


 婚約発表の余波。メディアの報道が加熱するなか、湊と悠真は“並んで立つ”ことを避けられなかった。カメラが一斉に向けられる。フラッシュの閃光が二人を切り取る。


「微笑んで」


 湊が小声で促す。悠真はぎこちなく頷き、笑みを作った。手は触れない。けれど肩と肩の距離は正確に揃えられていた。



 会場の一角で、財界の古参が囁く。「あれが例の婚約者か」「素性は平凡だが、何か裏があるのでは」──その声は波紋のように広がる。湊の耳に届かないはずの声が、確かに胸を打った。


「……大丈夫ですか」


 横に立つ悠真が囁く。湊は目を逸らさず、笑顔を保ったまま返す。「大丈夫。これは舞台。私の役は“令嬢”」


 だが悠真は気づいていた。湊の背筋が、いつもより硬く張り詰めていることに。



 やがてステージに上がる時間が来た。スポットライトが湊と悠真を照らす。壇上にはマイク一本。蓮は下手の影に立ち、鋭い視線で会場全体を見渡していた。


 湊が一歩前に出る。ドレスの裾が静かに揺れ、会場が息を呑む。マイクを握り、声音を整えた。


「本日はお集まりいただきありがとうございます。黒川財閥は今後も社会貢献を──」


 その瞬間、会場後方からフラッシュが乱れ飛んだ。記者が前に押し寄せる。「令嬢! 婚約は政略か!」「隠している秘密があるのでは!」


 空気がざわめく。役員たちの表情に緊張が走る。湊は声を乱さず答えた。「黒川財閥に隠すことはありません。私生活に踏み込む質問には答えられませんが、信頼を裏切ることは決して──」


「なら、なぜ相手を隠してきた?」


 鋭い声が飛ぶ。湊の胸が一瞬強く跳ねる。仮面の声を維持するのが難しくなる。沈黙が落ちかけたその時、悠真が一歩前に出た。


「隠していたんじゃありません。僕が未熟だから、まだ皆さんに見せられる自信がなかっただけです」


 会場がざわつく。湊が驚きに目を向ける。悠真の顔は赤く、けれど真剣だった。「でも、湊さんと一緒に立つことは、僕にとって誇りです」



 沈黙のあと、拍手が散発的に起こり、やがて広がった。舞台の光が熱を帯びる。蓮は影から二人を見つめ、唇の端をわずかに上げる。「……やるな」


 湊は深く息を吸い、隣に立つ悠真へ視線を送った。その一瞬、役を演じる仮面が外れ、素の声が漏れた。「ありがとう」


 フラッシュの嵐の中で、その小さな言葉は、確かに火花となって胸に刻まれた。逃れられぬ舞台。しかしその舞台は、三人をさらに強く結びつけるものに変わろうとしていた。

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