新聞の効用 - 新聞ならゴキブリを殺せる

伽墨

スマホではゴキブリは殺せない

心理学者ダニエル・カーネマンは、人間の思考を二つに分けた。瞬発的に判断する「システム1」と、じっくり検証して熟考する「システム2」である。

システム1に訴えかけるメディアは確かに便利だし、必要でもある。たとえば災害警報。こればかりは新聞で代用できるはずがない。速報性を持つネットメディアの存在理由は、まさにそこにある。


だが今の世の中を見渡すと、システム2を働かせるためのメディアはことごとく斜陽産業に追いやられている。アテンション・エコノミーが注意を切り売りし、フィルターバブルやエコーチェンバーが視野を狭め、私たちは「速さ」ばかりを追い求めている。熟考の余地を与える場は減り続けている。新聞は、その最後の砦なのだ。


新聞は遅れて届く。だがその「遅さ」こそが、事実を裏取りし、全体を眺める時間を確保した証である。紙面をめくれば、政治の隣に文化があり、国際問題の下にスポーツがあり、世界の断面が一望できる。ナンプレや間違い探しといった遊びもたまにやると面白いものだ。自分の興味に関係なく、必ず予期せぬ記事と出会う。それは民主主義の筋トレにほかならない。


そして新聞には、紙ならではの厚みがある。スマホのニュースでバーベキューの火種が作れるだろうか。否。スマホにできるのは、真夏の車内で爆発することくらいだ。新聞なら火種になり、雨をしのぐ屋根にもなり、最悪はゴキブリを叩く武器にすらなる。民主主義を守り、台所も守る。これほど万能なメディアは他にあるまい。


思い返せば、昔は古新聞を掘り返し、夏休みの日記の天気の欄を埋めていた。あれは今にして思えば、子どもに対するシステム2の教育だったのだ。記録を振り返り、過去を確認し、遅れてでも穴を埋める習慣。まあ、だいたい八月三十一日の朝には新聞はまとめて捨てられており、「なんで捨てたんだよう」と両親に泣きついていたのだが。


新聞は、情報のインフラであると同時に生活のインフラでもある。システム2を支える思考の装置であり、暮らしを支える日用品でもある。ページをめくるとき、私たちは世界の全体像と、火種の可能性と、そして子どものころの泣き笑いまでも同時に手にしているのだ。

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