人形-2

翌夕、近崎ちかさき阿形あがたを拾うと前の持ち主、高橋たかはし あかねが指定したカフェに向かって車を走らせていた。

「失礼な事を言わないようにしてくださいね」

「僕、客商売が本業なんだけどなあ」

 国道沿いの店舗は強く西陽が差しており、黒い影が掛かっている。車を停めて端末を確認すると、高橋から既に到着している旨の連絡が今日の服装の特徴と共に入っていた。

 奥の席、とメールに記載があったので店内をずんずんと進むと、所在なさげに座る女性が居た。

「高橋さんですか?」

「あ、そうです、近崎さんですね……?」

 女性、もとい髙橋は会釈をすると、どうぞ、と席を指した。

「本日は急な連絡にも関わらずありがとうございます」

「いえ……」

 高橋は目を合わせようとしない。席に着き、軽く阿形を紹介するがその間も顔は向けるものの視線は机の中頃を見ていた。

「あのドールのことですよね、黒髪で、紫のアイの」

「二年前、高橋さんがオークションサイトに出された人形を指しているのでしたら、そうですね」

 高橋は小さく頷いた。

「では、入手の経緯と、手放した理由をお願いします」

「はい……」

 彼女は信じてもらえないかもしれませんが、と前置きするとおずおずと話し始めた。

 その人形は高橋と同じように球体関節人形を複数所有していた愛好家から譲られたという。

 非常に美しい人形であるために、高橋は喜んで受け取ったが、その晩から奇妙な事が起き始めた。

「その……寝てる間に男の人の声が聞こえるんです。その間ずっと金縛りというか、身動きが取れなくなってしまって、怖くて……」

 始めは疲れている時に度々起こる現象として片付けようとしたが、次第に男の声ははっきりとしてきた。

「どうして彼女がいるのに他の人形が必要なんだ、そんな者は彼女に相応しくない、そんなような事を言ってたんです。最初は悪い夢だと思っていたんですけど……。毎晩言われるうちに、私も何だかそれが正しいような、手放した方が良いような気がしてしてきて、気に入っていたはずのドールたちのお譲り先とかを探し始めていたんです。でも……」

 高橋は言葉を選んでいるようだった。ここまでの話も怪談話では受けるだろうが、警察に相談するような内容でもない。

「大丈夫ですよ、話してください」

 近崎は努めて人が良く見えるように笑顔を作った。内容はまだしも、こうして話を聞く間は市民に寄り添う刑事の役割を果たしているように思えた。

「私にこのドールを譲ってくれた人も、あの子以外のドールをみんな手放していたんです。だから、何だか、私もそうなってるのかなと思うと怖くて……」

「それは面白いな」

 阿形が目を輝かせている。少し小突くも彼はニヤリと笑うだけで訂正する気はないらしい。

「面白いですか?」

 高橋の顔が強張る。

「ああ、興味深いという意味です」

 高橋の顔に走った緊張が和らぐ。失礼な事はするなと言ったはずなのに。阿形を見やると「睨まないでよお」と手をひらひらさせていた。

「それで、気味が悪くなったためあの人形をオークションに出した、という事ですね」

「そうです。あの子が原因なら、あの子を別の人に渡せば、他の子たちを手放さなくても良いんじゃないかと思ったので」

「それを決めてから夜間に男が話しかけてくる内容は変わりましたか?」

 阿形が口を挟む。

「変わりました。でも内容もそうなんですが……」

「内容も? 他に何か起きたんです?」

「首を絞められるようになりました」

 それを聞いた阿形がにたーっと嬉しそうな笑みを浮かべている。咳払いをすると阿形は前のめりになっていた体勢を戻した。

「それに、お前は彼女に相応しくない、死ぬべきだって、そう言われました」

 近崎は言葉を失った。霊障とはいえ面と向かってそんなことを言われるのはどんな気分だろう。そのワンテンポの遅れに差し込むように阿形は口を開いていた。

「それは随分嫌な気持ちだったでしょう。話して下さってありがとうございます」

 高橋の顔に安堵が広がっていた。

 

「高橋さんの前の所有者の方について伺えますか?」

 その人物とはSNS上で知り合い、写真撮影会等で親交を深めていた。

 ある日、彼女が例の人形の写真をSNSにアップした。新しく入手したようで、赤い、フリルをたっぷりと使ったドレスに吸い込まれるような紫色のガラスアイを嵌めた非常に美しい作りをしていた。球体関節人形の頭パーツにはメイクが施されている。それ専門のアーティストも居るほど、人形の印象を決める重要な要素だ。高橋はその人形の極めて美しいメイクが誰によるものなのか気になり、問い合わせたそうだ。しかし、彼女の返答は曖昧なものだった。

「たしか、『そういうのじゃないんだよね』みたいな言い方をされた記憶があります」

 あまり詮索されたくない雰囲気を察知した高橋はそれ以上は訊かなかった。

 奇妙なのはその後だった。彼女が気に入っていたはずの他の人形をフリマアプリに出したと言い出した。何度か撮影会でも目にした人形たちであったために、何かあったのかと心配した高橋は彼女に連絡した。

「色んな人が居ますけど、理由なく自分のドールを売りに出すような人って少ないんです。何というか、私含めて、持っているドールそれぞれにキャラクターを見出すような感覚で愛着を持ってる人が多いので……」

「だから高橋さんもご自身のコレクションを手放したくなった事が怖かったんですね」

 近崎の言葉に高橋は頷いた。

「はい、そうです。例えば、多忙であんまり撮影会とか、着替えとかをしてあげられなくて、ちょっと可哀想だから、もっと可愛がってくださる方へ譲る……とかはあるんですけど。そうでもなければそうそうあることではないんです。それに、彼女の返事も変でした」

「どんな風に?」

 間髪入れずに阿形が尋ねる。高橋は少し怯えた顔をしたが言葉を続けた。

「あの子がいるから他の子は要らないんだよよねって……。彼女、仕事が忙しそうだったので、それで疲れやストレスでおかしくなっちゃったんだと思いました」

「でも、結局彼女からその人形を譲ってもらったんですよね。どんな思いで引き取ったのか伺ってもいいですか?」

 また阿形が前のめりになっている。近崎が尋ねると高橋は奇妙に凪いだ表情で口を開いた。

「この子に罪はないと思いました。それに、彼女がドール趣味からあがるんだと思ったんです。だったらせめて引き取ってあげようって。実際、彼女はもうドールはお迎えしていないみたいですし……」

「それで、受け取ってみたら同じ道を辿りそうで恐ろしくなったと」

 高橋が頷く。

「前の所有者から金縛りや男の声について聞いたりしましたか?」

 近崎が訊くと高橋は記憶を辿るように天井を見上げた。

「いえ、特に聞きませんでした。ただドールを譲りたいとだけ連絡が来ただけです」

「次の譲り先にも高橋さんは金縛りのことも男の声のことも伝えていませんよね?」

「はい……信じてもらえるかもわからないので……」

 そうですよね、と頷くと高橋は小さく「はい」と呟いた。

「ありがとうございます。質問は以上です。ご協力感謝します」

 高橋が会釈する。視線は終始合うことはなかった。

 

 高橋には前の持ち主の連絡先を共有してもらい、今回の聴き取りは終了とした。

「いくら個人のオークションとはいえ心理的瑕疵要件は伝えるべきだと思うんですけどね」

 車に乗り込み。エンジンをかけながらぼやく。

「それを言えば売れないから。仕方ないよ」

 シートベルトを締めた阿形の顔が窓ガラスに映り込んでいた。日はとっぷりと暮れてしまっている。

「しかし、近崎くんもあれを心理的瑕疵要件と言えるようになったんだね、お化けとか信じてないのに」

「そういうわけでは……」

 どうなのだろう、と近崎は自分でも疑問に思った。いつもの自分であれば、金縛りは疲労による脳と身体の覚醒度合いの差異によって発生する齟齬でしかないと判断して心理的瑕疵要件などと判断しないだろう。ただ高橋が話す中で時折見せる怯えや、これまでの調査で出会った人々の訴える恐怖の中から彼彼女たちの愁訴には少なからず要因があることを認めざるを得なくなっているのも事実であるようだった。

「ふうん」

 近崎の逡巡を無視して、阿形は興味なさそうに遠くを見ている。

「そう言う阿形さんも今回は乗り気じゃないですか」

「そうかな」

「前はもっとやる気なさそうでしたよ」

「あー、前は人見知りしてたから」

「何ですかそれ」

「近崎くんが怖くて。客商売なのにね」

 ははは、と阿形は笑っている。何ですかそれはと言っても笑うばかりで答えはなかった。先ほどの高橋の話を考えれば考えるほど不可解な話だ。人形それ自体よりも人形にまつわる誰かが所有者に条件を求めているようでもあった。車内には沈黙が重く垂れ込めている。

「例の人形ですが、実物は羽原氏の遺族から鳥海氏に受け渡されたそうです。鳥海氏に貸出依頼を出しているので、恙無つつがなく進めば近日中には見られるでしょう」

「はーい、楽しみだな。一週間くらい借りれたりするのかな?」

「ご遺体が出ていることはお伝えしてるので、言えばそのくらいは協力してくれると思いますよ。でも、そんなに長く借りてどうするんですか?」

「実証実験をするんだよ」

 実証実験。顔に出ていたようで阿形がまた笑った。

「あのドールと寝てみるんだよ。そうしたら何かと文句つけてくる幽霊が出てきてくれそうじゃない?」

「それは誰がやるんです?」

「僕」

「どこで?」

「僕の寝室」

「死体が出てるって言いましたよね?」

「僕が死体にならないように近崎くんが待機してくれるんでしょ?」

 近崎はまた頭を抱えた。 

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