第2話 新生活は平安風?
平安世界に転生して7日が経過した。
しばらくの間は病弱生活をしていたという体を労わる為に、寝台でゆっくりと過ごす日々が続いていた。
季節は穏やかな春を迎えた頃らしく、御簾と呼ばれる簾(すだれ)を上げれば、寝室からも綺麗に整えられた庭を眺めることができた。
「凄いな……。さすがお金持ちの家だわね……」
部屋から見える庭の奥には大きな池も見える。
母がいうには、この体が小さな頃はよく小舟を浮かべて遊んでいたと聞く。
まさか、小さな笹船ではなく、普通に人が乗れるサイズの船だと知った時にはびっくりして顎が外れるかと思った。
現世の歴史の授業を振り返ってみれば、これは世にいう寝殿造りの家なのだ。
大納言家と言えば、宮中でも中位辺りにあたる官位で、そこそこのお金持ちでもある。
そんな家にうまく嫁ぐことの出来た母も、相当の強運の持ち主とも言えた。
「お母さんも十分な玉の輿に乗っちゃってるよねー……。凄いわ……」
そよそよとそよぐ気持ちのいい春風に当たりながら、綾香は庭を眺めながらのんびりと床に転がった。
ごろりと転がる床は冷たくてひんやりしているが、ほこりや塵一つ落ちてはいない綺麗なフローリングだった。
大納言家にもお手伝いさんと言われる女房の人たちが多くいて、綾香の住まう一室も毎日綺麗に掃除してくれている。
まさか、自分が至れり尽くせりのお姫様の家の子になれるとは思ってもみなかったので、体力を癒すために何もせずにゆっくりと過ごす事を許されてる今世はそこそこに恵まれていると感じた。
確かに、現世との生活様式の違いはあるけども、その辺は慣れてしまえばまあなんとでもなる。
それに、ここには現世で親だった母親もいることもあって、ある程度は現世に近い生活を送る事も許されている。
でなければ、床まで引きずるはずだった髪が多少の妥協案で太もも辺りまで切る事が許され、大変だけども2日に1度は髪を洗う事も許されている。
本来なら1週間に1度とか言われてた髪洗いや体洗いの習慣がここまでに短縮されて許されてるのも、母の力と、水を豊かに使う事の出来る大納言家の財力によるものでもあった。
大納言の父にも、綾香の素性を話し、あっさりと受け入れてくれたことも感謝している。
人好きのする顔立ちの義父は、あまり権力争いには興味がなく、親の代から受け継いだ大納言家を維持することにだけに力を注いでいるそうだ。
この時代の官僚ならば上へ上へと上り詰めて、ゆくゆくは帝を裏から支配する摂関家に!と意気込むところだが、すでに時の権力者でもある銘家が世の権力を握っている以上、現在の地位と安住の居を失わない程度に生きる事がこの今世の世渡りなのだと教わった。
さすが現世から飛んできた母を迎え入れただけの義父でもあるなあと、心ながらに感心したものだった。
で。
母から告げられた入内問題について義父に聞くと、一度娘が危篤状態となったということを宮中に報告してしまっている以上、再度の入内申請は通りにくいのではないかとの見解だった。
確かに、死にかけるくらいのよわよわの身体じゃ宮中ではやっていけない。
だが、父親としては一人娘ともなる綾香の入内は宮中からの再度の内示が降りれば、やはり予定通り嫁に行って欲しいとも懇願されたのだ。
大納言家を存続させるための、後を継ぐ子は今や綾香しかいない。
財力を安定させ、家に残る義父や母を守るには、自分が宮中に嫁ついで東宮との子を運良く身ごもるか、どこかの名家から婿を取るしかない。
どちらにしろ顔も知らない男と勝手に結婚を決められてしまうのはな……と。綾香は考えさせてほしいといって、この話を一時的に保留にしてもらっている。
「玉の輿に乗れるのは有難い事なんだけども……。顔も知らない人のとこにあっさり結婚するってのがなー」
現世でも恋愛らしい恋愛をしてこず、異性との付き合いをほとんどしてこなかったこともあり、この時代で十六歳という若さで戻ってきたのであれば、少しくらいの恋愛体験くらいしてみたいと思うのだ。
ごろごろと床を転がりながら、綾香は今後どうすればいいのか思案した。
ぶっちゃけ顔と素性さえ知って、OKだったら結婚するのもありといえばありなのだが。
「どうせなら、ちょっとくらいロマンスの夢みたいよね。せめて相手の素性がわかればなー。って。写真とかあればいいのに、さすがに平安の世じゃ無理だしなー」
そう言いながら、ゴロンゴロンと転がって、文机にトスンとぶつかった。
机にあった紙と和歌用の厚紙が数枚、ころがった綾香の顔にばさばさと降り注いだ。
「うわっ……。なんだ、習字用の紙と和歌カードか……」
ボールペンや鉛筆などの便利な筆記具が無い時代なので、習字の練習を行うようにと母に言いつけられ、部屋に用意された机には山となって積み上げられた半紙と和歌を嗜むための短冊も共に置かれていた。
長方形の少し厚めの和歌カードを手に持ち、くにくにと折り曲げてみる。
多少弾力のある紙質はぺらっぺらの半紙に比べれば案外丈夫なものだった。
カードを弄んでいると、ふと綾香の脳内に浮かんだ2種類の道具を思い出した。
「あ、タロットカード……!」
そうだ。占ってみればいいんだ!
がばりと起きだして、机にあった長方形の和歌カードを纏めて取り出した。
そこそこの厚さのある長方形の用紙を小刀で小さく切り分けて、現世で使っていたカードサイズにまで切りそろえた。
元々自分は占い師だ。
カードさえあれば、この世界でも占う事は可能なのだ。
七十二枚のタロットカード全てを作り出すのは面倒なので、まずは大アルカナの二十二枚だけ作ろうと思った。
絵心は皆無だったので、簡単に文字でカードの意味を示す事にした。
裏側には可愛らしい金箔のついた色染めの紙が貼られている。
表の白地に大アルカナのカードの文字を書き出していって、二十二枚を卓上に並べていった。
「よし……。まずは二十二枚だ。小アルカナ……はあったほうがいいけど、それよりもルノルマンを作った方がいいかも」
残りの和歌カードを切り出して、ルノルマンカードの三十六枚も作り出した。
まだこちらのカードの方が、問題をあぶりだすにはわかりやすいと思ったのだ。
「こういう時に絵心があればいいのになー……。まあ、意味が分かればなんでもいいんだけど」
そう言いながら作り上げたカードを取りまとめて、とりあえず簡単な占いをしてみることにした。
大アルカナで問題を出し、ルノルマンで詳細を出していく初歩的な占いだ。
静かで誰もいない自室は集中して占いするにはもってこいだった。
ぺちぺちと床にカードを並べて行き、一通りの答えをだして思案してみる。
「うーん……。東宮様ってそこそこイケメンで器量よし……なのか。でも、見極める為には、やっぱ直接見に行けってなるんだよねえー……」
宮中へ乗り込んで実際に見てみるしか方法がなさそうで、綾香は軽く唸りながらちゃきちゃきとカードを切る。
すると遠くからドスドスと足音が聞こえてきて、あっというまにその人は綾香の元へとやってきた。
「あ、お帰りなさいお義父様」
見上げれば、にこにこと笑みを絶やす事の無い義父である大納言がいた。
「ただいま綾姫。おや、札遊びかな?」
「まあそんなところです」
文字しか描かれていない簡素なカードだけだと、まさかタロット占いだとは思われないだろうと。
綾香はカードの展開をそのままに、腰を下ろした義父に声をかけた。
「お仕事お疲れさまです。お義父様。何か御用ですか?」
綾香の近くに腰を下ろした義父は、床に置かれたカードを見て口もとに閉じた扇子を当てて軽く思案しているようだった。
「姫……。これは、もしかして占いとやらをしておるのか?」
「え?」
口元に手を当てカードを見つめたまま言う大納言の言葉に、綾香は驚いてその顔を見た。
綾香の視線を感じたのか、義父はにこっと微笑んでみせながら床に置かれたカードを閉じた扇子で指さしたのだ。
「いや、実はな。最近、宮中に入った若い子がな。このような文字を書いた札をいくつか使って占いをしておるのを見かけたのだよ」
「え!本当ですか!?」
綾香はびっくりして手にしていたカードを床に落としてしまう。
まさか、平安の世で自分と同じような占いをする人間など存在しないと思っていたのだ。
確かに、平安時代には陰陽寮というものがあって、実際に安倍晴明などの優秀な陰陽師がいた事も知識として知ってはいる。
だが、彼らの使う技術や占いはあくまで中国から渡ってきた易術や占星術を元にしたものだと記憶している。
タロットカードとルノルマンは西洋で確立された占い術なので、この時代にはまだ伝来すらされていないはずなのだ。
義理父は、床に置いてある札を一通り見てから綾香に視線を合わせた。
「ということは、姫も彼と同じ術を使う事が可能なのかの?」
「術……?その人は、占いの他に何かできるのですか?」
大納言のいう言葉に興味が湧き、その先を伺うべく声に出した。
「ああ、宮中には陰陽寮ってのがあっての。そこに入ってきた若い青年なんだが、その占いと陰陽師の技を使って悪霊退治をしたという話を聞いておる」
「……マジもんの陰陽師がいるのか……。凄い世界だな……」
パラレルワールドとしか思えない世界が自分の身近にあると知って、綾香は軽く身震いをする。
「私ができるのは、簡単な占いくらいですよ。そんな魔物退治のような陰陽術なんてものは使えません」
ただの一般人ですし、と呟けば、義父も苦笑して肩を落として見せた。
「そうじゃよなあ……。陰陽師の者たちは、我らにとってはよくわからない世界だ」
そう言って、義父は手にしていた扇子をぱらりと広げて小さく溜め息を吐いた。
「それで、お義父様。私に何か用事があったのでは?」
床に広げていたカードを纏めて、綾香は小袋にカードを仕舞い込んだ。
余り人目には見せたくないという気持ちの表れでもあるが、義父はそんな綾香を見つめながら扇子を閉じた。
「実はな。近い内に、そなたの入内申請を再度行おうと思っておるのだ」
「え」
まさかの言葉に、綾香は固まる。
「じゃが、姫は母上と同じ世界の子じゃろ……?姫たちの世界では結婚する前に必ずお互いの顔を合わせ相性を確かめるものだと聞いておる。それを聞いて、確かに顔も知らぬ人間とすぐに結婚しろというのは酷な話だと、私も思い返してなあ」
「はぁ……」
「それで提案なんじゃが。明日、ちょうど内裏に参内する予定になっとるから、そなたも私と共に宮中に参らぬか?」
「え?」
義父の言葉に、綾香は驚いて目を見開いた。
「そなたの今の髪の長さであれば、頭の上で多少くくれば小柄な少年に見えなくもない。一日だけ水干姿になり殿上童として内裏に入れば、運が良ければ東宮様のお顔を拝見することが可能かもしれん」
「え、でも……大丈夫ですか?もし、私が女だとバレてしまったら……お義父様の立場に泥を塗りかねませんか?」
「まあ、その辺は大丈夫じゃよ。そなたは顔立ちがしっかりしとるし、男装しとりゃおなごには見えぬ。それに、私の伝令係として常に隣で書類整理を手伝ってくれればバレることもなかろう」
そう言って、大納言の義父は綾香の頭をぽんぽんと撫でた。
この時代の人にしては柔軟すぎる頭を持つ義父に、綾香は感謝の意を示してその場に手を付き頭を垂れた。
「寛大なお計らいに感謝いたします。お義父様」
「良い良い。そなたが納得した上で宮中に入内するほうが私にとっては大事な事だからのう」
そう言って、翌日の参内の詳細を詰めるべく相談が始まったのだった。
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