第16話 祈り暴走 ― 光臨界(リミットライン)

Ⅰ 守護祭の朝、祈りの密度


 春の風がはじけた。

 境内は、前夜の雨で空気が洗われて、白く乾いた紙みたいに新しい匂いをしている。鳥居の足元に撒かれた花びらは、誰かの祈りが砕けた粉のように軽く、踏めば、ぱら、と音を立てた。


 参道には屋台の骨組みと祈願札。唐揚げの香り、牛乳スタンドの白い冷気、護符書きの墨の匂い。

 舞台の上部には簡易の灯、横には中継クレーン。ドローンが八機、同心円を描いて浮かび、レンズがこちらを見ている。


 「臨界点筆頭、本番三分前でーす!」

 スタッフの声が弾み、空気の粒が一段、細かくなった。

 私は胸の小袋を指でとん、と叩く。からん。浅く眠る音。

 ——いい。起こしたくないのは、こっちも同じ。今日は撫でで通す。


 背後で、黒江教官の声が小さく響く。「公開ログ—個人遮断—編集折半、導線は太く引いてある。触るな、見せろ。紙は破るな」

 「了解、破らない」

 「角も丸める」

 「角も丸める」


 鷹真が半歩の距離で立つ。「外圧の基準は0.62で肩が落ちる。祈り濃度が上がったら、段階で下げる。数は俺が持つ」

 「塩は舌で見るね」

 彼はうっすら笑って、頷いた。


 澪が駆け寄って、耳元で囁く。「祈りの観覧者が想定の二倍。庁の人、財閥、報道、一般、みんな“善い顔”で集まってる」

 「善い顔は、針を隠す」

 「うん。でも今日は灯に寄せる日。……頼むよ、筆頭」


 私は舞台の中央に歩き出す。

 マイクは使わない。祠水印が自動で拾って、全方位に広げてくれる。

 「おはよう。今日は、撫での日です。破らないで、眠らせる日。だから、みんなも深呼吸してね」


 ざわめきが一つの波になって、引いていく。

 遠くから、複数の視線の硬さが届く。有馬響真の灰銀の視線、御影の柔い視線、庁の官僚の乾いた視線。

 SNSの帯が脳裏で点滅する。#臨界点筆頭 #撫で式 #神域LIVE #尊い #怖い #祈りたい


 深呼吸。輪をひとつ、臍を柔らかく置く。

 「始めよう」



Ⅱ 祈りの圧、飴色の裂け目


 祠水印(布)が青白く光り、参道全体の祈りの流れが一本の川になって寄ってくる。

 澪の声。「祈り濃度、通常比一二〇倍……一五〇……一七八! 外圧、1.21→1.48→1.73!」

 鷹真が低く言う。「段階で落とす。0.62→0.60。肩を落としていけ」

 私は頷き、輪の縁を撫でて、川の肩を押さえた。

 「慌てないで、大丈夫。灯は灯のまま眠れるよ」


 ——ピシッ。


 空気のどこかで、飴が割れるみたいな細い音がした。

 祠前の白布が、内側から膨らんで、飴色に透ける。

 有馬の通信。「外圧が臨界へ。透花、離脱を」

 「やだ。離脱は破りの合図になる」

 「……ならば観測距離を保て。触るな、見せろ」


 布の内側で、光が、人の形に寄っていく。

 口、手、涙腺。祈る形。

 ——善意が、かたちを取ろうとしている。


 澪が叫ぶ。「善祈(ぜんき)だ! 祈りが自己増殖する!」

 私は輪を増やす。二重、三重。臍は柔らかく、撫での滞留は一定。

 「破らない。撫でる。眠れ」

 祠水印の光がほんの少し落ち着く。

 ……けれど、祈りの量が、とめどなく足されていく。


 「祈りの増加率、加速度付き! 共有と同調で雪だるま!」

 SNSは“いいね”の連鎖で祈りを増幅する。

 善意の褒め言葉が、圧力になる。


 私は喉の星を転がし、輪の臍にもう一段、柔らかさを入れていく。

 紙の角を、言葉で丸める。

 「見てくれてありがとう。でも、眠るのも見てほしい」


 ——ピシ、ピシピシッ。


 白布が裂けた。

 光の粉が噴き出し、瞬く間に群像を作る。

 千の、万の、“叶えたい”の顔。

 祈りは、やさしく見えるのに、鋭い。



Ⅲ 第一戦:撫で式三相、善の奔流


 「来るぞ!」

 鷹真の数が走る。「外圧2.04→2.36→2.85!」

 私は構える。

 輪、撫で、川——三相同時展開。


 「撫で式・第三展開眠り抱き!」

 川の帯が一斉に空へ立ち上がり、祈りの群像を丸ごと包み込む。

 撫での滞留は短く、円は二重、臍は大きく。

 抱く。撫でる。眠れ。

 祈りの顔に安堵が走る。

 効いている。


 ……が、逆流。

 抱いた腕に熱が刺さる。

 善意が“もっと”を要求して、撫での帯を引き千切ろうとする。

 「っ——!」

 口の中に鉄の味。鼻の奥が焼ける。

 代償の兆し。けれど、手は離せない。


 「透花、肩を落とせ! 0.60→0.58!」

「落としてる!」

 「増えるほうが速い!」澪が叫ぶ。

 善意の拍手、涙、応援、RT。全てが圧に変わり、撫での布団をはね返す。


 群像の一部が、私の掌を掴んだ。

 『見て』『叶えて』『救って』『足りない』『もっと』

 善が、飢えている。


 私は笑った。

 「……分かった。撫でだけじゃ、今日は足りない」



Ⅳ 第二戦:暁音の断ち、紅の線


 「断ち式、一ノ太刀断想!」

 背後から紅の疾光。暁音が踏み込み、光の群像の腕を斜めに裂いた。

 切り口はきれい。角が立たない断面。

 群像の暴れが一瞬で落ちる。

 「切り口、ありがとう」

 暁音は息を短く吐く。「寝床、用意して!」

 「任せて!」


 私は切断面に撫でを差し込む。断面の熱を奪い、布を当て、圧を逃がす。

 断ち×撫でで熱が引き、善祈のわめきが囁きに変わる。

 『……見てる?』

 「見てるよ」

 『……眠っていい?』

 「眠っていい」


 周縁の群像が砂になって落ちる。

 ただし、真ん中が残る。

 ——核。


 暁音が眉を寄せる。「祈り核。集約点。断つか?」

 私は首を振る。「断つと、信仰が裂ける。今日は祭。灯のまま眠らせたい」

 「……なら、共鳴を」

 「うん」


 「撫断・共鳴布陣!」

 私たちは左右に半歩ずつ開き、二人で一つの陣を敷く。

 暁音の紅が切り口を示し、私の金が寝床を敷く。

 数は鷹真が合わせる。「寄り添う数、0.58で固定。位相を−π/6に落とす!」

 澪が補助。「窓を細く、段階で閉じる!」


 群像の中央が、抱かれる準備をし始めた——のに、

 空の上で何かが割れた。



Ⅴ 光縫いの手、臨界の外側


 ドローンの輪の外、空に薄い裂け目。

 天の手が斜めに降りる、白い一閃。

 「神域……!」

 御影の声が硬くなる。「観測のみ! 触るな!」

 有馬の通信が重なる。「財閥の防衛層を展開。触れない盾だ」


 だが、祈りは神を呼ぶ。

 人の善が、上へ手を伸ばした。

 白い手が、祠にそっと触れようとする。

 撫でか断ちかの区別がない白。

 「触らせると、所有が起きる」暁音が低く呟く。

「触らせない。でも破らない」

 私は胸の石を握りしめ、祖父の声を思い出した。

 ——『表に居ると寒い。裏はぬくい。裏に紙を敷け』


 「裏面吸音・廉式(校内拡張)!」

 布水印の裏を引き出し、空の裂け目の裏に薄い毛布を吊るす。

 白い手の指が、毛布の柔らかさでほどける。

 接触は避け、温度だけ落とす。

 手は一度、撫でられた気配で退く。

 白が淡くなり、空が青に戻る。


 ——けれど、祠の核はまだ眠らない。

 善祈の中心が、鼓動を打った。



Ⅵ 臨界突破:六光輪と撫光封神


 「透花、無理は——」

 鷹真の声は届いている。でも、今しかない。


 私は三つの妖石を両掌で転がし、音を合わせた。

 紅——熱。水——流。白——眠。

 三つが、一つの和音になる。からんではない。鐘だ。


 背に六枚の光輪が現れる。

 輪が呼吸し、撫でが布になり、川が子守唄になる。

 目の前の善祈の核へ、私は布団をそっと掛けるみたいに陣を落とした。


 「臨界展開・撫光封神(ぶこうふうしん)」

 声は低い。けれど、世界に届く。


 轟音。

 境内に立つ全ての旗が後ろへ撓む。

 観客の耳は音を失い、胸の中で自分の鼓動だけを聞く。

 ドローンのレンズが白に焼け、財閥の防衛層が無音で薄くなる。

 善祈の核が、眠る相手を見つけた赤子みたいに、ふっと息を抜いた。


 暁音の刃が最後の切り口を整える。

 「断ち式・微塵(みじん)」

 鋭さをしまい、角を丸めて終いをつける断ち。

 私はそこへ撫でを重ね、眠りを結ぶ。


 光が、静かになった。

 祠の中央に白い石が一粒、転がる。

 世界はため息をつき、春の匂いが戻った。


 視界が傾く。

 「……血、出すぎたかも」

 唐揚げの匂いが、遠い。

 私は床に落ちる前に、誰かの腕に抱き止められた。


 「おい、透花!」

 鷹真。半歩がゼロになって、温度が来る。

 私は笑って、寝た。



Ⅶ 医務祠、灯の下の寝息


 灯は低く、布は白い。

 鼻に柔らかいガーゼ。唇の端に小さい痛み。

 牛乳をひと口。白が胸に落ちる。

 「……生きてる?」

 「当たり前だ、ばか」

 鷹真の声は、いつもより一音低い。

 「数は守った。でも、君は数の外へ行く」

 「塩は舌だもん」

 「そういう意味じゃない」


 暁音が椅子を引いた音。「ありがとう。合わせてくれて。……私の断ちだけじゃ、今日のは殺す方向に傾いてた」

 「切り口、きれいだった。撫ではすぐ甘やかすから」

 「甘やかして、生かすのが撫でなんでしょ」

 「うん」

 ふたりで小さく笑う。


 戸口に有馬と御影。

 「祈りの臨界は、善の災厄だ」有馬の言葉は乾いているのに、どこか温度があった。

 御影が続ける。「それを眠らせる術が、社会に必要だ。今日、それを見せた」

 「見せる守りは、見られる危険を孕む」有馬が目を細める。「触らず、導線で見せ続ける。観測はする。所有はしない」

 「紙は破るな」御影が締め、ふたりは去っていく。


 私は布団に顔を埋めて、牛乳の白をもう一口。

 「……唐揚げ、食べたい」

 「起きてからな」

 「起きてる」

 「寝ろ」

 笑いが灯に溶けて、目は素直に軽く閉じた。



Ⅷ ニュース、帯、そして台所


 夜、帯が二本並ぶ。

 『臨界点筆頭、祈り暴走を鎮静』『“撫で×断ち”新儀式、社会実装へ』『白い石は何か』

 隣に、『善の暴走—祈りの濃度に警鐘』『観測と所有、どこで線を引く』

 有栖川の“灯の輪”は慎重に言葉を選び、黒江は“公開ログ”“個人遮断”“編集折半”を重ねて貼る。

 叩き潰さない。撫でる。


 庁のメモ(抜粋):

 — 祈り濃度の基準値を設定。臨界マークを一般公開。

— 学校・寺社・イベント主催者向けに「撫で式ガイド」暫定版配布。

— 臨界対応の責任は「見せる側」が負う。所有者なし。連帯のみ。


 商店街の夜は早い。台所の小祠に牛乳の紙パックが一本供えられ、唐揚げの舟が一枚置かれた。

 「灯は腹から」おばちゃんが祠に言って、鈴は鳴らないで笑った。



Ⅸ 掲示板、角の丸い三枚


 翌朝、掲示板に三枚の紙。角は全部、丸い。


『祈り濃度の案内:臨界マークの見方(入門)』

『“撫で×断ち”共祈儀式—公開手順(暫定)』

『校内封印調査班:裏紙層の点検日程』


 私は指で角を撫でて、紙の返事を聞く。

 破れにくい。厚みがちょうどいい。

 「……よし」


 「筆頭、朝ごはん二回目の時間だよ」澪が笑って腕まくり。

 「唐揚げは塩少なめで」

 「はいはい、塩は舌で」

 「うん」

 みんなの笑いが、昨日より低い位置で転がる。床に近い笑いは、長持ちする。


 暁音が静かにやって来る。

 「断ち、今日はしまっておく。撫でに合わせる」

 「布団の端、またお願い」

「任された」

 隣に立つ距離が、半歩より少し近い。



Ⅹ 屋上、六つの影と一つの白


 放課後の屋上は風が強い。

 私は白い石を掌に乗せて、光に透かした。

 祈り核は、無色で、すこし温かい。

 「眠ってる?」

 からん。石は音もなく、眠りで返事をした気がした。


 鷹真が半歩で隣に立つ。「君の六光輪、昨日は神域に近かった」

「怒ってる?」

「安心した。帰ってきたから」

「帰るよ。台所に」

 彼は笑って、頷いた。


 暁音が風を裂いて現れる。「鳴神の本家、こっちを見てる。断ちを誇りに、撫でを学べって」

 「誇りは角になると痛い」

 「だから丸める。あなたと一緒に」

 彼女の笑顔は、刃の冷たさの奥に、ちゃんと布の温かさがあった。



Ⅺ 余韻の祠、祖父の影


 夜、祠の鈴は鳴らない。

 私は小さく輪を描いて、裏紙層に薄い毛布を一枚流した。廉式は、厚すぎないこと。

 祖父の声がした気がする。

 『読まない。撫でる。眠らせる』

 「うん。今日も、そうしたよ」


 牛乳の白を飲み、胸の石を指でとん、と叩く。

からん。深い、寝息の音。

 灯が低く、角は丸い。良い夜だ。



Ⅻ エピローグ:光も眠る


 布団の中、目を閉じる。

 世界は今日も騒がしく、明日も賑やかだろう。

 善は形を取りたがり、祈りは飽和しやすい。

 でも、撫でがあれば、断ちがあれば、数があれば、台所があれば——眠れる。


 「破らない。撫でる。眠れ」

 呟いて、笑う。

 白い石は、枕元で小さくからんと鳴った。

 光も、ちゃんと眠るのだ。


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