第14話 北の断層、紙の裏で眠る
Ⅰ 出発の掲示
朝の掲示板は白く、角の丸い紙が一枚増えていた。
“臨時調査:北の断層地域(祠水印同行/現地祠管理者同席/個人遮断/公開可/録画配信保留)”。
黒江の字はいつもどおり均一で、端に学園印と天御印が並ぶ。押しの強さまで静かだ。
「朝ごはん二回目、完了!」
私は唐揚げ弁当を平らげ、牛乳パックを三本目に手を伸ばす。
「三本目はいったん止めて」
澪が苦笑し、颯がタブレットで経路図を引き、莉子は“車酔い祓い”のゆる絵お札を胸ポケットにおさめた。
鷹真はいつもの黒いコート、首元をきっちり締める。半歩の距離。息の合図はもう要らない。
「行ってきます」
胸の小袋をとん、と叩く。からん。浅い。眠る音。
祠の鈴は小さく震え、灯明は低いまま「行け」と言った。
⸻
Ⅱ 線路の白、車窓の紙
北東へ四つの駅。車窓が街色から牛乳みたいな白に変わる。
駅舎の広告に“守護祭連動”のポスターがまだ残っていて、端に天御のマーク。
私は額を窓に寄せ、祖父の横顔を思い出す。焚き火の前で笑い、私の手を取って「紙を破るな」と言い続けたひと。
「……七年前の記録、裏層の筆跡はやっぱり廉さん本人だ」
颯が呟き、指先で線をなぞる。「臨界点は血ではない。息だ。撫でて、眠れ」
「血じゃなくて、食べて寝て撫でて、だよね」
私が言うと、莉子が「そこ大事!」と頷く。
「睡眠は数として最強だからな」鷹真が小声で付け加え、澪が吹き出した。
胸の小袋がわずかに鳴る。からん。
——北の“紙”が、どこかで角を立てている。
⸻
Ⅲ 北条祠の門
昼近く、私たちは川沿いの町に着いた。頬に刺さる冷気と、土間に広がる出汁の匂い。
灰色のコートの男が鳥居の前で待っていた。北条景親。現地祠の管理者だ。
「遠路を。学園の皆様」
北条は深々と頭を下げると、私の名を確かめるように目を上げた。
「斎宮……廉殿の血筋で」
「孫です」
胸の石がからん。低く返事した。
境内は清められていて、注連縄は新しい。だが社の奥、岩肌の一角がうっすらと光っている。
光るのに冷たい。紙の裏面を指で触っているみたいな感触。
「ここが断層の“口”です。……七年前、斎宮廉殿が“眠り”をかけました。以来ずっと静かでしたが、ここ数日耳鳴りが戻っています」
北条の声は、川底の小石みたいに硬さと丸さが混じる。
「導線、敷きます」
澪が携行祠水印(布)を取り出し、颯が角の位置を測る。私と莉子で布を広げ、地面に吸い付かせる。
踏めば印が写る。個人遮断、編集折半、公開ログ。角は丸い。紙は強い。
祠室代わりの石室に機材を置き、黒江が通信を開く。「——学園、こちら北。導線起動。模倣波なし」
私は胸の石に触れた。からん。眠い。……でも、耳鳴りは石ではなく空気のほうで鳴っている。
⸻
Ⅳ 耳鳴りの形
岩の隙間から、金属を擦るような細い音。耳ではなく、胸骨に触れる音。
颯が数値を読み上げる。「外圧1.21→1.33、周波 740Hz、偏位 θ=+π/12」
鷹真が即座に補正式を走らせる。「0.62→0.60に落とすと肩が落ちる。が、鼓動が残る」
「乱流じゃない。寝返りだね」
私が言うと、北条が薄く頷いた。「廉殿も同じ表現を」
私は輪を柔らかく二重に置き、臍をつくる。撫での滞留を一定にし、川を外に敷く。
空気の肩が落ち、耳鳴りがいったん遠のく。
——けれど、完全には寝ない。布団の角が皮膚に当たっているみたいに、少しだけ落ち着かない。
「角が立ってる」
私が岩縁を見やり、指で空を撫でる。「紙を丸めたい」
「丸める式、数にできるか?」と鷹真。
「全部は無理。寄り添う数だけ」
「了解」
彼の指先が画面を滑り、外圧の勾配が緩やかになる。
空気は少し笑い、耳鳴りが布団の皺みたいにほどけた。
⸻
Ⅴ 北の町の利権
第一波を落ち着かせたところで、北条が私たちを社務所へ招いた。
囲炉裏の上、湯気がやわらかく立つ。漬け菜の香り、米の湯の甘さ。
湯飲みを受け取ると、北条は視線を落とした。
「——実は、天御の地元代理店が『守護祭遠征版』なる催しを企画していまして。寄附と屋台をこちらでも、とのこと。奉納式に鎮護札を置く計画が回ってきました」
私は湯飲みをそっと置く。所有タグが、また布の下で冷たくなる未来の手触りがした。
「鎮護札の裏、網が編まれている?」
北条は言葉を飲み、ゆっくり頷いた。「……はい」
澪がカバンから布水印の複写を出す。昨日の“写し取り”の記録だ。
「写して残す。剝がさない。——北でも、できる」
黒江が端末ごしに静かに言う。「騒ぎは起こさない。撫でで合図だけ変える」
北条は深く頭を下げた。「学園の見守りに感謝します」
⸻
Ⅵ 祖父の裏面——“紙の裏にいる”
夕刻、社の奥の石室で、北条が古い木箱を開けた。
中には、巻物ではない。薄い板紙が数枚、油紙に包まれている。
「裏面記録だ。廉殿が残した“裏”の文言。誰も読まないところに置け、と言われた」
指で繊維を撫でると、板紙はひんやりとした呼吸で返事する。
“縫う者は塩を知れ。眠らせるとは、音を止めることに非ず。呼吸の肩を落とすことなり。
紙は二枚ある。表は灯、裏は影。影は“読まれぬ”ほどに静まる。
臨界点は、血ではなく、息である。——斎宮廉”
私は笑って泣きそうになり、牛乳を一口飲んだ。温度が喉から胸へ落ちる。
「読まれぬほどに静まる、って……公開と遮断の線、だね」
「祠水印と個人遮断の設計思想に、祖父の癖が入ってる」澪がそっと言う。
「公開は灯。遮断は影。どちらも必要」
鷹真が板紙の角を見て、指で輪郭をなぞった。「角は丸く。……でも北の角はまだ立っている」
⸻
Ⅶ 初夜の“紙片狐”
夜、初日の調整を終え、境内の灯りを落とした。
風はなく、雪は細かい。吐く息が紙吹雪みたいに舞って落ちる。
「——来る」
胸の石がからん。眠りの音ではない。呼び鈴。
社の裏の木立から、白い何かが出てきた。狐の形なのに、毛ではなく紙片でできた生き物。歩くたび、角の鋭い切片が月光を返す。
「紙片狐……」北条が息を呑む。「裏から漏れる兆しだ」
私はしゃがみ、手のひらを見せる。「破らないで、撫でるよ。来る?」
紙片狐は耳の位置に当たる紙を揺らし、一歩、また一歩と近づく。
私は輪を小さく二重に置き、臍をやわらかく。撫での滞留は短く。
鷹真が少し離れ、外圧を0.62→0.59に落とし、肩を沈める。
狐の紙片がばさりとほどけ、厚みを失って薄片になり、やがて雪と混ざった。
「眠い?」と聞くと、狐だったものは紙の粉で丸になって、すこし震え、動かなくなった。
「眠った」莉子が祈祷札をそっと置き、澪が布水印の端で粉を包む。「写しだけ、取る」
北条は深く息を吐いた。「七年前も、廉殿はこうして“紙の動物”を眠らせて回っていた」
⸻
Ⅷ 二日目の調査——断層の輪郭
翌朝、川霧が濃い。布水印の青が白に溶け、導線の角だけがほのかに光る。
颯が数値を読み上げ、私は輪と撫で、鷹真が川を敷く。
寝返りは起きるが、寝起きには至らない。紙は表を見せたがっている……そんな気配だ。
「公開の灯を嫌がってるわけじゃない。見せられ方が痛いんだ」
私は岩縁の“角”に沿って空を撫でる。「角を丸めたい」
「丸めの式、俺の方で近似する。交差角を小さく、滞留を均一。外圧は段階」
鷹真の声に、颯が頷く。「窓が狭まる。危険領域が縮む」
布の下で、呼吸が一段落ち着く。
北条は手を合わせ、小さく祈った。「……廉殿も、『角を丸める』と言った」
⸻
Ⅸ 地元の会合——“遠征守護祭”の条件
北条の案内で、町会と商店組合、そして天御の代理店との会合が開かれた。
座敷に人がぎゅっと詰まり、湯気と声が交わる。
「遠征守護祭は、寄附と屋台を中心に——」
代理店の男が口火を切る。柔らかい言葉、整った笑顔。
「奉納式の鎮護札は市の紋で十分です」
北条が淡々と遮る。「網の持ち込みは不要」
空気が一瞬だけ固くなり、代理店の笑顔が薄く削げる。
「写しで承認していきましょう」
澪が布水印の写し取りの仕組みを説明し、黒江が「公開ログ」と「編集折半」の運用を資料で示す。
「騒ぎは起きにくい。角を丸めて灯だけを見せるやり方です」
町会長が頷き、商店組合の人たちも安堵の息を漏らす。
代理店の男は薄く笑って、「善で行きましょう」とだけ言った。善の顔の針は、今日は布に写される番だ。
⸻
Ⅹ 祖父の足跡——“紙の裏”の道
午後、北条が社叢の背後にある古い獣道を指した。
「廉殿が最後に歩いた道です。裏に通じます」
苔むした段を上るたび、胸の石がからんと応える。眠らない音。
道はやがて狭い尾根に出て、そこに紙を干す台のような木の枠があった。
枠の中央に、薄い布……祠水印の原布。
「廉殿が打った繊維だ。裏に呼吸を逃がすための紙」
私は指先で撫でる。繊維が“音”で返事をした。耳鳴りの形がわずかに変わる。
「紙の裏を厚くしてやると、表が穏やかになる」
鷹真が短くメモする。「裏面吸音」
颯は「テンプレ化できる」と笑い、莉子が“裏面ふわふわ化”というゆるい言葉をお札に書いた。
⸻
Ⅺ 前触れの揺れ——寝返りの大きさ
夕方、空気が一段濃くなった。
「外圧1.41→1.73、位相ずれ拡大、窓が広がる」
颯の声に合わせ、私は輪を三重、撫でを二相、川を二枚重ねる。
鷹真が0.56→0.54へ、緩やかに冷ます。肩が落ちる。……が、床が軋むみたいな音が残る。
「大きく寝返る前触れね」
北条が祠の鈴を指で押さえる。「鳴る前に布団を直す——廉殿の言い回しです」
「布団直し、やろう」
私は笑って、喉の星をひとつ転がす。「紙の角を丸めて、肩を落とす」
⸻
Ⅻ 大祓——“破らず眠らせる”
夜が深くなる前に、私は輪を大きくひとつ、小さく二つ、重ねて置いた。
臍はやわらかく、撫での滞留を均一。外圧は段階で下げる。
鷹真が寄り添う数を板に走らせ、颯は危険窓の縁を赤から橙へ、橙から黄へ縮めていく。
莉子は祈祷札を四方に撒き、澪は布水印の角をすこしだけ内へ折った。角を物理でも丸める。
「——破らない。撫でる。眠れ」
私は声に息をのせ、言葉を灯にして流す。
空気の層がゆっくり沈み、岩の口から白い息がいったんふくらみ、それから紙に吸い込まれた。
祠の鈴は鳴らない。鳴らないまま、笑った気配だけ残す。
胸の石がからん。深く、低く。寝息の音。
「眠った」
私は膝に手を置き、ゆっくり立ち上がった。
北条が深く頭を下げ、肩を震わせる。「廉殿の“眠り”が……続いた」
⸻
ⅩⅢ 余韻と報せ——“遠征守護祭”の落としどころ
夜の会合は短く、静かに済んだ。
代理店は奉納式の網を撤回し、寄附と屋台に絞る。
学園は見守り参加を続け、公開ログと個人遮断を掲示板に明記。
町会長は「角が丸い紙が増える」と笑い、商店の人たちは「腹が整えば心が整う」と肩をほぐした。
黒江は端末で学園へ報を送り、御影から「帰還前に最終測定」の返答。
蔵王は「半目盛りで固定」という短い祝いの言葉を寄越し、祠の水皿の針は半と一の間で止まっている写真を添付してきた。
⸻
ⅩⅣ 祖父の声——“紙の裏にいる”の意味
宿に戻る道すがら、雪は細く、私たちの足跡は紙の押し跡みたいに均一だった。
私はふと、振り返る。誰もいない。けれど、胸の石がからんと短く鳴る。
——夢の中で、祖父が焚き火の前に座っていた。
『透花。表に居ると寒い。裏はぬくい。裏に紙を敷け』
「どこまで行ったの?」
『裏の端。誰も読まないところだ』
「戻ってきてよ」
『戻るには、角をまた立てる。お前が丸めた角を。——それは嫌だ』
目が覚めると、枕もとの牛乳が少しだけ温くなっていた。
私は微笑み、白を一口飲む。喉から胸へ、灯が落ちる。
⸻
ⅩⅤ 最終測定——“窓”の閉鎖
三日目の朝、布水印の青はいつもより濃く見えた。
颯が最後の測定を開始し、澪が導線角を検査し、莉子が祈祷札の残りを数える。
「外圧1.12、減衰0.63、窓は狭小。危険領域はほぼ収束」
鷹真が頷き、板に最後の式を書き込む。「寄り添う数の補正式、廉式として保存」
「廉式……いいね」
私は輪の縁を撫でて、紙の角をほんの少し押さえる。丸くなる。
——布団直し、これでおしまい。
⸻
ⅩⅥ 帰り支度と、北条の土産
北条が包みを差し出した。重み、冷たさ、紙の乾いた匂い。
開けると、中に透明な石が一つ。中心に黒い一本線。
「断層石の欠片です。廉殿の時に砕けた分がまだあった。裏を厚くするためには、裏の灯も要る。——持っていけ」
私は胸の石の隣に入れ、指でとん、と叩く。からん。二つが微かに和音を作った。
「守護祭の件、写しで行けるはず。善は腹へ届く形に」
澪が言い、北条が深く頷く。「灯をありがとうございました」
⸻
ⅩⅦ 駅への道——半歩の会話
川沿いの道を歩く。氷の上を風が走り、足音が硬い紙を折るみたいに響く。
鷹真が半歩の距離に来て、小さく言った。
「君の“撫で”は、式にしきれない。けど、寄り添う数なら、ずっと並走できる」
「塩は舌で覚えるんだよ」
「うん」
彼はほんの少し笑って、すぐ真顔に戻る。「九条は“強行するな”と言い続けている。善の顔の裏で針を動かす連中も、眠りを嫌がる」
「眠らせるのは、自分も眠れるようにするため、だよ」
私は牛乳を飲む。白は胸の布団を温める。
「寝るの宿題、提出済み」
⸻
ⅩⅧ 列車の白、掲示の角
列車は三両、天井の蛍光灯はやさしい音で唸る。
頬杖をつきながら、私は掲示板の角のことを想像する。明日、学園に着いたらまた新しい角の丸い紙が増えるはず。
“北の断層:収束”“裏面吸音・廉式の暫定導入”“遠征守護祭:写し運用”。
「じゃ、帰ったら唐揚げで祝う?」
私が言うと、澪が「今日は二舟も良し」と片目をつぶる。
莉子は「祠プリンも作る」と拳を握り、颯が「睡眠こそ正義」とノートに書いた。
窓の外、雪を裂く線路の黒は、紙に引いた鉛筆の線みたいにまっすぐだ。
胸の石がからん。眠りの音。
私は目を閉じる。——破らず、撫でて、眠らせる。
祖父が紙の裏で笑うのを、遠くで聞いた。
⸻
ⅩⅨ 帰校、そして次の角
学園の門をくぐると、空気が甘く感じた。台所の匂い、紙とインクの匂い。
掲示板には、もう新しい紙が貼られている。
“北の断層 調査報告(速報)”“遠征守護祭:写し運用ガイド”“廉式:暫定規格案”。
どれも角が丸い。破れにくい。
「透花、睡眠。報告は明日でいい」
御影が言い、黒江が親指を立てる。
蔵王は祠の鈴を指でつまんで、鳴らさずに笑った。「半目盛り、固定。お帰り」
「ただいま」
私は胸の石をとん、と叩き、牛乳を一口飲む。
行こう。次の角を丸めに。紙を破らないで。
⸻
ⅩⅩ 夜半の屋上——紙の裏で灯る
みんなが解散したあと、屋上に出る。星は少ないけど、風がよく撫でる。
ポケットから断層石の欠片を出し、胸の石と指先で並べて軽くぶつける。からん、からん。
和音が、静かに溶ける。
私は空に向かって、小さく輪を描く。臍はやわらかく、撫では浅く、川は細く。
「破らない。撫でる。眠れ」
吐いた息が白くなって、夜に吸い込まれていく。表へ、裏へ。灯と影の間へ。
臨界点筆頭——斎宮透花。
私の仕事は、角を丸くすることだ。
それが、ご飯と睡眠と撫ででできるなら、私は何度でもやる。
牛乳の白を最後に一口。
からん。
紙の裏で、灯が静かに眠った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます