第13話 所有の式、紙の角

Ⅰ 朝の掲示と、角の丸い紙


 朝、掲示板に紙が一枚増えた。

 “市中共同行事『守護祭』への見守り参加(祠水印・導線記録・個人遮断・編集折半)”。

 角は丸く、繊維は指に柔らかく返事をする。破れにくい、誰かが選んだ紙だ。


「“守護祭”、いよいよ本番ね」

 澪が新聞を折り、眉尻を少しだけ上げる。「天御の広報がずっと温めてきた“灯の物語”。街の温度を上げて、善の包囲網を作る日」


「屋台出る?」

 私は唐揚げ定食を受け取り、塩を二振りする。衣がほどよく光る。

 食堂のおばちゃんが目で『がんばってね』と言い、牛乳パックをそっと足してくれた。


「出る。けど目玉は奉納式だよ」

 颯はノートにさらさらと書く。“蛇口=物流/所有=温度/奉納=ソフトな境界主張”。

「祠水印の携行布を導線に敷けるなら、参加する価値はある。可視化の線が太いと、切り抜きの棘が刺さりにくい」


 窓の外、補食窓口に朝から列。昨日より短い。先頭をさばいているのは、銀のペンを胸に差していたあの上級生——今日は代わりに窓口の腕章。

 列は敵じゃない。善は腹に届き、善は台所に置ける。


「今日は牛乳二本」

 私はパックを二つ開ける。白が喉の奥をまっすぐ落ち、紙を湿らせない音が鳴った。

 胸の小袋を指でとん、と叩く。からん。石は眠い。——来たら撫でる、でいい。



Ⅱ 会議室の線——“見守り参加”の角度


 午前、職員会議室。白い花の香りは控えめで、祠の鈴は壁の内側で黙っている。

 御影、黒江、灰島、学園長。壁際に颯、机の端に澪、ドア付近に莉子。私は唐揚げの香りを袖に残したまま席に着く。


「守護祭は善の顔だ。屋台と寄附を前に出し、奉納式で“守りの所有”を宣言する」

 黒江が資料を配る。「学園は見守り参加。——携行祠水印を会場導線に敷設、個人遮断/編集折半/公開ログ即時。奉納式そのものには触れない。紙は破らない」


「神域が反応する可能性は?」

 灰島は端的だ。


「昨今の“可視化”に呼吸がついてきている。——向こうが“善の光”を通行証と見るなら、縁が揺れる」

 御影が眼鏡のブリッジを押し上げ、短く言う。「撫での準備を」


「窓口は私たちが回すね。奨学金/医療/食、全部一まとめの“屋台”にしよう」

 澪がさらりと言い、莉子が「ゆる絵つくる!」と拳を握る。


「では——行こうか」

 学園長が結ぶ。短い会議。線は引かれた。



Ⅲ 塔の影——“温度を所有せよ”


 同刻、都心の塔。

 天御織江(総理事)は淡い色のスーツで椅子に腰を沈め、有栖川(広報)は手帳の角を指で整え、西園寺(流通)は地図に矢印を足し、鳴海(財務)は反応曲線を見、九条(警備)は窓の外の雲をひとつ睨む。


「守護祭の主役は市民。寄附/屋台/笑顔で温度を作る」

 有栖川が柔らかく言う。「奉納式は“守りの所有”の宣言。臨界点には“灯の象徴”として笑顔で立ってもらう」


「物流は“祭の支援”に転用可能。蛇口を腹へ繋ぎ替える。工事は祠監査で止まっているが、台所は止めない」

 西園寺は線を太らせる。


「市場はプラスの温度。善の顔で可視化すれば、資金は自然に寄る」

 鳴海があくまで数字で話す。


「神域は——触るな」

 九条は最短の言葉だけ置く。

 織江はわずかに微笑んで首肯した。「見せるだけよ。触らない。所有は温度でやる」



Ⅳ 広場の匂い——布の水印を敷く


 市の広場は、午前から香りが騒がしい。焼きそばのソース、綿あめの甘さ、唐揚げの油。

 舞台の前に奉納台。四隅に、私たちの**携行祠水印(布)**を敷く。踏めば印が写る、薄く青い布。

 学園ブースは「乱流ってなに?」のパネル、隣に「窓口はこちら」。個人遮断の説明紙は大きく、角は丸い。


「布の固定、終わり。電磁タグのノイズ、問題なし」

 颯が布の端を靴で軽く踏み、導線に沿って留具を打つ。

 莉子は祈祷札を飴色に束ね、「かわいいほうが怖くない」と言って笑う。

 澪は台本を畳み、黒江は無線で「——五分前」と一言。


「唐揚げ二舟」

 私が言うと、「一舟で十分」と澪が制す。

 塩を適量。牛乳を一口。白は飽きない。

 布の水印の青は、光に揺れていた。



Ⅴ 奉納の文句——温度の宣言


 開会の挨拶。市長の言葉は短く、舞台袖に控える西園寺は拍手のタイミングだけ見ている。

 有栖川が“灯の言葉”を読み上げる。「——守りは一つの輪。透明性は灯。私たちは灯を繋ぎます」

 噛みやすい言葉。飴の温度。

 奉納台の中央には鎮護の木札。表に天御の印、裏に市の紋。

 私は舞台の一段下、布水印の角に立ち、胸の石を指でとん、と叩く。からん。眠い。まだ来ない。——来るなら、最後。


 鷹真が半歩隣に立つ。距離は近すぎない。ぴたりに向いた距離。

「数は道具で、式は温度」

「塩は舌、鍋は撫で」

 ささやきの呼吸が一本に揃う。


 有栖川が最後の節を読み上げ、代理の手が木札に添えられる。拍手が寄せて返す——その瞬間、布の角が冷えた。



Ⅵ 見えない網——所有タグの針


 奉納台の木材の内部、目に見えない微細金属の網——所有タグが編み込まれている。

 祠の紋でも、市の紋でもない。鍵屋の手癖。善の顔の裏に、針。


 同時に、空気が薄くふくらむ。神域の息が、木の表面に手の形で触れる。

 網は手に絡もうとする。——所有の合図。


 私は声を上げない。撫ででゆるめるだけだ。


「——輪、二重。臍は柔らかく」

 私の指先が空に小さな曲線を描き、内側に二重の輪が置かれる。

「——外圧0.68→0.61、肩を落とす」

 鷹真の数が川を作る。寄り添う数。式は鍵穴ではなく、蛇口の調律。


 手は布越しに温かい。網は冷たい。

 私は布水印の端を二本指で持ち、奉納台の縁へそっと垂らす。布の祠紋が網の癖を吸い、写しを取る。

 剝がさない。写す。紙を破らずに、タグの主張だけを別紙へ移す。


「減衰0.58、位相−π/6」

 鷹真の声。

 手の形は温度だけになり、風に戻る。網は布の裏側に眠る。証拠は残り、騒ぎは起きない。


 拍手は途切れなかった。誰も、紙が破れかけたことに気づかない。

 それでいい。角は今日も丸い。



Ⅶ 相談所という屋台——列は敵じゃない


 奉納式が終わると、広場の温度は屋台の匂いに戻った。

 学園ブースには「相談所」の札。奨学金/医療/食の三本柱を一つの机に。

 上級生が受付に座り、昨日まで補講で迷っていた子が資料を配り、一年生が水を渡す。

 列は敵じゃない。窓口は灯だ。


「唐揚げもう一舟」

 私は澪の視線から目を逸らして言う。

「一舟だけだってば」

 塩は適量。牛乳を合わせる。白のやさしさは、嘘をつかない。


 布水印の裏に写し取った網は、黒江の封筒に収まり、広報のカメラに表裏の証拠が残された。祠室へ持ち帰る段取りも、音を立てずに整う。



Ⅷ 路地裏の目——九条の黙考


 一本裏の路地で、九条は静かに風を読む。

 網は触れず、写し取られ、騒ぎは起きない。

 臨界点と後継の息はぴたり。安全核の希少性は薄まるが、事故は起きない。

 彼はほんの少しだけ目を閉じ、「次を見る」とだけ言って影に溶けた。



Ⅸ 切り抜き合戦——飴と棘の綯い交ぜ


 夕方、ネットの帯が二本並ぶ。

『学園と財閥、守護祭で市を守護』『公開の灯が街へ』『臨界点×後継、黄金の並走』

 その隣に、『神域への干渉は過剰か』『所有の式の倫理』『見せる守りの功罪』

 有栖川の“灯をつなぐ”は第三弾。唐揚げを手に笑う私の写真に、淡いキャプションが載る。


 黒江は「出典」「補足」「編集経路」を淡々と送る。叩き潰さない。撫でる。

 颯は「所有タグの写し取り」の図解を会報に追加し、澪は「個人遮断のお願い」の文面を一段やわらかく書き換える。

 莉子は“紙、破らない”のゆる絵に、丸い角を描き足し、スタンプを三つ増やした。



Ⅹ 夕暮れの回廊——学内のうねり


 学園に戻ると、回廊に夕日が差し込んでいた。

 すれ違う生徒たちが口々に言う。「鷹真の数があるから安心」「臨界点の撫でが要」「二人で一つだね」

 声は二分ではなく、ゆっくり混ざっていく。合流の気配。

 上級生が窓口の腕章を外し、私に小さく礼をした。「あんたの“撫で”は、台所のことも考えてる」

 私は笑って唐揚げをひとつ渡す。「塩、いる?」

 「……少しだけ」

 硬さが一枚はがれる音がした。



Ⅺ 夜の祠室——網の封、鈴の沈黙


 夜の祠室は乾いている。灯明は低く、青い。

 布水印の裏に写し取った網は、黒江の手で封印された。写真は三系統に安全保存。

 蔵王は針目盛りの半と一の間を指で撫でる。「境は落ち着いている。だが、超えてくる手は、柔らかくなった。——こちらの撫でに学んでいる」


「向こうが学習してるってこと?」

 澪が緊張を隠さず問う。

「“灯”は双方向だ。見せる側も見られる。撫では真似できても、息は真似しきれない」

 蔵王は私に視線を送る。「斎宮、息を崩すな。血ではなく呼吸だ」


「うん」

 私は牛乳を一口飲む。白は深呼吸になる。

 胸の石を叩く。からん。眠い音。来ない。



Ⅻ 夜半——南区の呼び鈴


 日付が変わる前、警戒網が歪みを検知した。

 「祠水印第七層、模倣波。位置、南区祠の裏庭!」

 御影の声が硬くなる。

 「公開セッションの式を盗み見して、模倣している。偽妖石の可能性」


「行く」

 私は短く言い、外套を引っかける。

 澪と颯は機材バッグ、莉子は祈祷札、黒江は通信。

 そして、天御鷹真が無言で並び、半歩の距離に肩が来た。



ⅩⅢ 南区祠——偽造陣の歪み


 夜の祠。提灯は風もないのに微かに揺れる。砂利は足音を飲み込み、空気は紙のように薄い。

 裏庭に、黒いコートの青年が立っていた。顔の半分は布で覆われ、手には淡く光る偽妖石。

 足元では、公開セッションの図解を写し取ったような偽造陣が脈打つ。


「斎宮透花。君を再現する」

 青年の声は機械油の匂いがした。「撫での軌跡も、輪の深さも、川の係数も——式にしてある」


「鍋は、式じゃないよ」

 私は笑って、布の端を少し持ち上げる。「撫では手。息。塩は舌」


 青年の偽妖石が光り、模倣波が祠の地肌を逆撫でした。

 空気が反転する。

 ——神域じゃない。人為の逆流。


「距離を取れ!」

 鷹真が叫ぶ。

 私は動かない。輪の臍を柔らかく置き、川の肩を抱く。撫では遅緩→一定。

 模倣波が歪み、偽造陣の線が滲む。青年の目が見開かれた。


「なぜ——数値は合っているのに!」

 「塩は舌で覚えるの」

 私は手の甲で空気を撫で、偽妖石に触れないで温度だけを落とした。

 ぱきん、と乾いた音。偽妖石の表面が欠け、内部の癖が露わになる。


「外圧0.62→0.58。肩を落とす」

 鷹真の数が、私の撫でとぴたり合う。

 偽造陣は自壊を始め、地表の砂利が静かに沈んだ。

 青年の身体から力が抜け、膝をついた。


 ——同時に。向こうが息を返した。

 模倣の崩落が作った隙から、本物が手を伸ばす。



ⅩⅣ 白い手、金の円——臨界点の仕上げ


 空気の薄膜が裂け、白い手が夜を撫でる。

 それは怒りでも悪意でもない。ただ、呼吸。

 私は息を吸い、吐き、喉の星をひとつ転がす。輪を二重。臍は柔。

 鷹真が「減衰0.58→0.56」「位相−π/6」と短く置き、川の肩をさらに落とす。

 金の円が私の足元で重なり、白い手はその温度でほどけていく。


「破らない。撫でる。眠れ」

 言葉は静かで、しかし確かだった。

 白が霧に変わり、夜が澄んでいく。

 遠くで祠の鈴が、鳴らないまま微かに笑った気がした。


 胸の石がからん。浅い。収まった。

 私は膝に手を当てて立ち上がり、鷹真に向かって小さく親指を立てる。

 彼はわずかに笑って、礼を一つ。



ⅩⅤ 片付けと、粉になった石


 現場は封鎖。偽妖石は粉、偽造陣は跡形がない。

 黒江が無線で短く指示し、警備と広報が無音で動く。

 青年は気を失ったまま担架に乗せられた。身元は「波導連」の下請け技師。式の切り抜きを餌に、安い成功を狙ったらしい。


 私は粉になった石を掌にすくった。

 「もったいない。撫でれば、まだ使えたのに」

 無邪気に言うと、鷹真が息で笑う。「君はいつも鍋の話をする」

 「台所の話だよ」

 「……そうだった」



ⅩⅥ 夜明けの屋上——半歩の距離


 明け方、屋上に薄い光。風が冷たくて、でもきれいだった。

 私は牛乳のパックを開け、一口飲む。白は喉をまっすぐ落ちて、肺の痛みを薄めてくれる。

 鷹真が半歩の距離に立つ。


「君の“撫で”は、式では書けない部分を埋める」

 「塩だよ」

 「……唐揚げの?」

 「うん」

 彼は呆れたような、救われたような顔をして笑った。


「孤立させない。並走する」

 鷹真のその一言は、短いのに重かった。

 私は親指を立てる。合図はいらない。息で分かる。



ⅩⅦ 帯の二重線——報道の綱引き


 昼前、帯が二重に並ぶ。

『臨界点筆頭、南区模倣波を鎮圧』『天御、波導連の不正を糾弾』『公開の灯、さらに拡がる』

 隣には、『神域への過剰適応?』『撫で=感覚主義の危うさ』『所有の式の倫理再燃』

 有栖川の“灯”は四本目。「撫では暴力ではない」「睡眠のための手」。

 黒江は淡々と補足と出典を積む。叩き潰さない。撫でる。


 廊下ですれ違った一年生が、ぎこちなく頭を下げる。「昨日、怖かったです。でも……寝られました」

 「よかった」

 私は笑い、ポケットから小さいラムネを渡す。「塩が入ってるよ」



ⅩⅧ 露店の奥——古い箱と祖父の名前


 守護祭の屋台は片付き、夕暮れの露地に風が走る。

 私は唐揚げの屋台の奥、古書と古道具を並べる露店の前で足を止めた。

 年老いた店主が私の顔を見るなり、目を丸くする。

 「……斎宮かい」

 胸の石がからんと鳴る。


「爺さん(じいさん)から預かり物だ」

 店主は奥から小さな皮袋を持ってきた。手渡される瞬間、冷たさと重さに覚えが走る。

 紐を解くと、透明な石。色がないのに、光を抱いている。神域の縁の石だ。

「北で貰った。断層が荒れてる。斎宮が来たら渡せ、と」


「——北の断層」

 言葉が先に出た。喉の星が硬くなる。


「場所は?」

 澪が駆け寄る。

「北東へ線路で四つ、そこからバスで二つ。古社が川沿いに。紙が湿ってる」

 店主は目を細める。「爺さんは笑ってた。『紙を破るな』ってな」


 私は新しい石を胸の小袋に入れる。からん。——眠らない音。



ⅩⅨ 祠室・裏面——祖父の文字、息の継承


 夜、祠室。

 布水印の裏に眠る網は封じられ、写真は三方向に保存済み。

 颯が端末を叩く。「祠水印ログの裏層、展開できる。七年前の記録だ」

 画面に淡い曲線。にじむ筆跡。


“臨界点は血ではない。息だ。撫でて、眠れ。——斎宮廉”


 祖父の署名。

 私は深く息を吸い、胸の石を指で押さえた。からん。

 血ではない。呼吸。食べて、寝て、撫でる。

 斎宮家の臨界点は、そういう仕立てだった。


「北に行く」

 私は言う。

 黒江が頷く。「臨時調査で通す。祠水印同行/現地祠同席。切り抜きは禁止」

 蔵王は針を半と一の間に置いたまま、静かに告げる。「北の紙は、角が立っている。丸めに行ってこい」


「唐揚げ多めで」

 澪が笑い、莉子が祈祷札に“北”の字を一枚だけ書く。颯は路線と時刻を組み、私は牛乳を二本鞄に入れる。


 扉の外で足音。

 天御鷹真が礼をして入ってきた。距離は半歩。


「並走」

 彼はそれだけ言って、地図のピンを見た。

「道具は数。物語は君。紙は破らない」


 私は親指を立てた。

 合図はいらない。呼吸が、もうぴったりだったから。



ⅩⅩ 屋上の風——角の丸い紙と、立った角


 屋上に上がると、街の灯が穏やかで、星は少なかった。

 ポケットからさっきの北の石を出す。角が立っている。触る指に、紙の端みたいな鋭さ。

 胸の石がからん。眠らない音で返す。


「行こう」

 私は言った。

 食べて、寝て、撫でて、紙を破らないで。

 丸い角の掲示板の紙が、明日の朝も剝がれずにいてくれますように。

 そして——北の紙は、私たちが丸めに行くから。待ってて。


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