第8話 理事会の影、学園の声

Ⅰ 報道の波紋――善の顔と恐れの見出し


 翌朝、食堂のテレビは音量を絞られていたが、テロップだけはやけに主張が強かった。

『臨界点筆頭、機転で“水脈の刃”を収束』『公開実習に“危機一髪”の瞬間』『学園の安全管理は万全か?』『天御の“透明性”戦略に拍手』

 コメンテーターの口が開いたり閉じたりするたび、字幕が雪のように流れる。善い顔の言葉は甘く、恐れの言葉はしょっぱく、画面の中で混ざり合っていた。


 私は唐揚げに塩を一振り、もう一振り。輪島の瓶は今日も機嫌がいい。衣が光る。

 ひとつ食べて、牛乳を飲む。喉を通る白が、画面の色を少し薄くした。


「“臨界点筆頭は英雄”ってやつと、“やっぱり財閥に任せたほうが安全”ってやつ、真っ二つだね」

 莉子が新聞をめくりながら顔をしかめる。「同じ出来事のはずなのに」


「蛇口の向きの問題」

 颯が淡々と言う。「どの流れに接続して語るかで、見出しが作れる」


「つまり、向こうは“透明性”という蛇口を、こっちの台所にまで持ち込もうとしてる」

 澪が唐揚げをひとつ摘む。「公開共同研究=ガラス張り=善。……悪手じゃない。むしろ上手」


「ガラスに映るのは唐揚げ。美味しい」


「その場合の唐揚げは誰」


「わたし」


「でしょうね」


 食堂の隅で、静かに新聞を読んでいた影が立ち上がる。天御鷹真。

 彼は一礼して、私たちのテーブルから二歩分の距離に立ったまま新聞を畳む。


「世論は水位だ。蛇口の手で上下する。——臨界点」

 紙面の折り目がぱちんと鳴る。「今日の午後、共同研究の事前ミーティング。公開設計の骨子を詰める」


「うん。紙、破らない骨」


「言い回しが独特なのに、だいたい正しい」


 私は唐揚げをもう一つ食べる。塩は十分、油は甘い。胸の小袋がからんと鳴り、今日も石は機嫌がいいらしい。



Ⅱ 学園・夜の会議――檻の綿、橋の錆


 昼の授業が終わり、夕方の光が廊下を薄く洗ったあと、夜が静かに降りた。

 職員会議室。角の小さな祠の前に置かれた白い花は、昨日よりほんの少し萎れている。

 テーブルには封筒が二通。天御側からの“共同研究・公開型”覚書の新しい案と、メディア各社からの取材依頼の束。


「——透明性自体は善だ」

 御影が眼鏡を押し上げる。「学術的にも、市民的にも」


「だが、檻の縁に綿を巻くやり方は、なお檻だ」

 黒江は低く言う。「“公開”の名で、常時接続を狙ってくる。蛇口の元栓を、うちの敷地に入れる気だ」


「証拠は?」

 灰島はいつもの調子で淡々としている。「“模倣体”のスペーサーは、鍵屋の通し印。天御の正式印ではない」


「正式印は出さないだろう」

 黒江は乾いた苦笑を一つ。「末端が自生する。善の顔に泥は跳ねない」


 学園長がゆっくりと頷く。

「制度を守る。“公開”は受けよう。ただし条件をさらに積み上げる。セッションは学園側が主導、アーカイブは学園で保管、編集権は折半、個人情報は完全遮断」


「裏配信を防げるか?」

 御影が眉を寄せる。


「水印。祠の印と連動させる」

 黒江は短く答える。「もし外で切り貼りしたら、“破られた紙”がこちらに分かる」


「破られないといいけど」

 御影は視線を落とし、また上げた。「……守るのは“制度”と“生徒の意思”。そこは変わらない」


 祠の鈴が、風もないのに小さく揺れた。からん。

 会議は四十分で終わる。長くし過ぎると、紙が湿る。湿った紙は、破れやすい。



Ⅲ 日中の“普通”――紙と食堂と、笑い声


 翌日の一限、教室は驚くほど普通だった。

 ノートの紙、プリントの紙、窓から差す白い光。

 御影先生は「今日は演習」と言って黒板に問題を並べ、私はチョークの粉に指を白くしながら、輪と川をノートの余白に描いた。

 休み時間、廊下で小さな波紋が立つ。

 「昨日の映像見た?」「臨界点やば」「でも事故だったら怖くない?」

 善い顔と恐れの見出しが、学生の口の中でも混じっている。


 昼の食堂。

 唐揚げ定食の列はいつもより長かった。臨界点ランチが黒板の端に小さく復活していて、唐揚げはいつもより二個増えている。

 おばちゃんが目だけでウィンクして、胡瓜の浅漬けを多めによそってくれた。


「“財閥に行ったほうが安全なんじゃ?”って声、増えてる」

 澪が私の前で小声にする。「当然といえば当然。親もニュース見るし」


「安全は、塩」

 私は塩を一振り。「振り過ぎると喉が渇く」


「うん。比喩は好き」


 颯がスプーンで味噌汁をかき混ぜながら、静かに続ける。「“安全”と“支配”の境界は薄い。透明性はいい。けど“常時接続”は別物だ」


「常時はお腹が空く。三食食べる」


「そこだけ健全」


 食べ終わるころ、背後から声がした。

「斎宮さん」

 振り向くと、同学年の男子二人が気まずそうに立っていた。声は悪意ではなく、ただ戸惑いで濁っている。

「その、財閥に……行った方が、こう、安心なんじゃないかって。俺の親がさ、昨日のニュース見て……」


 澪の目が一瞬、険しくなる。

 私は笑って頷いた。「安心、大事。——でも、ご飯は家で食べるのが美味しい」


「家……」

 二人は顔を見合わせ、肩から力が抜け、半笑いになって頭を下げた。「ごめん、変なこと言って」

「ううん。ありがとう」

 唐揚げをもう一つ食べる。塩はちょうどいい。家の味がする。



Ⅳ 天御財閥・理事会――蛇口会議、三つの温度


 そのころ、都心の塔の最上階。

 黒檀の長卓。祠の鈴は鳴らない。

 天御織江が議長席に座り、壁には公開実習の映像から切り出された静止画が三枚。

 一枚目——透花が試験管に輪を置く瞬間。

 二枚目——鷹真が水路に川を敷く瞬間。

 三枚目——“刃”が生まれ、二重輪と外川で収束していく連続。


「投資家心理は刺激された」

 鳴海(財務)が紙を叩く。「“安全核プレミア”観測記事がまた増えた。——価格は語る。数字は正直だ」


「物流の論陣は立て直せる」

 西園寺(流通)が地図を広げる。「“危機”の映像を使って“備蓄と流通の冗長性”を世論に刷り込む。蛇口の実体は倉庫だ」


「善の顔は維持する」

 有栖川(広報)の笑みは薄く、鋭い。「“公開共同研究=社会の灯”の連載企画、すでに媒体と話がついている。手順で勝つ」


 九条(警備)は沈黙のまま、映像の三枚目をじっと見ている。

 「模倣体」という単語は会議に現れない。代わりに、テーブルの木目がやけに鮮やかだった。


「法務は?」

 織江が視線で桂木の席(今日は代理)をなぞる。

 代理の若手が控えめに答える。「公開型の文言はさらに“柔らかく”できます。“尊重”“任意”“共創”——。噛みやすい言葉で」


「噛みやすいものは、飲み込みやすい」

 織江が小さく笑う。「だが、のどに詰まることもある」


 祠の鈴は、やはり鳴らない。

 氷室(顧問陰陽師)は今日は欠席。代わりに白い封書だけが置かれている。『祟りの匂いは未だ薄い。——だが、“不滅核”に触れるな』

 織江はその封書を横へ滑らせ、結論を置いた。


「——斎宮透花を取り込むのではない。斎宮透花の“世界”を蛇口にする。

 公開で常時接続。善で接続。光で接続。

 天御の流れに、斎宮の水脈を接続する」


 有栖川は頷き、鳴海は電卓のボタンを無音で叩き、西園寺は地図に指を這わせる。

 九条だけが、映像の“刃”の瞬間から目を離さなかった。



Ⅴ 午後――公開設計ミーティング、言葉の針


 学園の会議室。

 “公開共同研究・設計会議”。

 学園側:学園長、御影、黒江、颯。天御側:有栖川、西園寺、若手の法務、そして鷹真。

 ホワイトボードには大きく透明性の文字。下に「撮影ポイント」「編集手順」「資料の公開範囲」「個人情報ガード」「水印」の箇条書き。


「全セッション録画、全資料公開。ただし核の位置や撫での“感覚”は言語化してよい範囲に限定」

 御影がペンで下線を引く。「感覚は秘匿でも欺瞞じゃない。安全のため」


「編集権は折半」

 黒江が続ける。「水印は祠の印と連動。外部切り抜きへのアラートを設置」


「いいですね。市民が安心します」

 有栖川の笑みは、飴細工のように均一だ。「“門を開く”のは大切。でも、誰でも入れるわけじゃないと見せるのも大切」


「文言、直します」

 若手法務がメモを走らせる。最後の助詞に、少し癖がある。桂木に似ているが、完全には同じではない。

 颯の灰色の目が一瞬だけそこに止まる。彼は何も言わない。言うにはまだ早い。


「鷹真」

 御影がふと視線を向けた。「あなたは並走と言った。——今日の“刃”の場面で、外川を合わせた。いい判断だった」


「合理です」

 鷹真は簡潔に答える。「臨界点の輪を活かすには、外から合わせるのが最短」


「ありがとう」

 私は頷く。「紙、破らないは、外からも内からも」


 会議は、表向きには順調だった。

 テーブルの下で、言葉の針が半ミリずつ動くのを、私は胸の石の鈴で数えた。からん、からん。まだ、破れていない。



Ⅵ 放課後――不協和の声、薄皮の裂け目


 日が傾き、校門近くのプラタナスの影が長くなる。

 自販機の前で、また声をかけられた。今度は女子二人。

「……斎宮さん、ファンだから言うけど」「その、怖かったんだ、昨日。だから安全に、って……」


 澪の肩がぴくりと動く。私は微笑む。

「ありがとう。怖いの、大事だよ。怖いから、紙、破らない。——わたし、ここで、ご飯食べる」


 二人は顔を見合わせて、深く息を吐き、笑って頭を下げた。

 遠くで莉子が小さくガッツポーズをする。颯は目だけで「よくやった」と言い、澪は肩から力を抜く。


 校舎の屋根の線の辺りで、薄い気配が踵を返した。

 胸の石がからんと一度。内側の揺れ。

 外からではなく、中から。

 紙の裏から爪が当たると、繊維の向きで分かる。撫でるだけではほどけない、癖がある。



Ⅶ 夜――学内“点”の追跡、静かな足音


 寮の灯りが落ち、非常灯の緑が長方形の湖を床につくるころ。

 澪と私はスニーカーに履き替え、颯と莉子が後ろにつく。

 廊下の端に、点。昼間の仕込みの余熱か、誰かがおさらいをしているか。

 私たちは息を合わせて角を曲がり、階段を降り、理科準備室の横を抜け、図書室の手前の小さな吹き抜けに出た。


 ——いた。

 薄い影。学園の制服。上着だけ違う。校章が、古い版。

 指先で、空気に輪をなぞっている。模倣。

 私が半歩出る。石の鈴がからん。影の肩が跳ねた。


「こんばんは」

 私は声をかけた。「紙、破らないほうが楽しいよ」


 影は逃げない。ただ、顔を上げ、こちらを見る。

 思ったより幼い顔。二年生くらい。目は真面目で、頬はこけ、唇は乾いている。


「……天御の“補講”」

 声は掠れていた。「奨学金の条件。点の稽古。……やめると、お金、出ない」


 澪の息が詰まる音。颯は無言で位置をずらし、影の逃げ道を一つ増やす——追い詰めないために。

 私は頷いた。「ご飯、足りてない?」


 影は頷く。その動きが人間で、少し安心した。


「わたし、唐揚げ、好き。——一緒に食べよ」


 影の瞳孔が少し開き、喉が動く。

 私は胸の小袋を軽く叩いた。からん。

 今、この子を責めても、紙は破れる。蛇口はときどき、喉の渇きに見える形でぶら下がっているのだ。


「窓口」

 颯が静かに言う。「学園からの奨学金。夜間の補食。住まいの相談。——ある」


 影は唇を噛んで、涙が一滴だけこぼれた。「……でも、研究、したい。強くなりたい」


「うん。公開共同研究に、おいで。見学から」

 澪が微笑む。彼女の笑顔は、灯りの色をしている。「守られる研究から始めよう」


 影は小さく頷き、わずかに頭を下げて去った。

 ドアが閉まる音はせず、足音はとても静かだった。


「——中から」

 颯がメモを取る。「奨学金を釣り針にした補講。点の稽古。校内に“教える人”がいる」


「先生?」

 莉子が震え声で問う。「それとも、上級生?」


「まだ言えない」

 私は首を振る。喉の奥に星。輪と川。

 内側の針は、外の針より細い。だから、まずは食べさせる。寝かせる。笑わせる。それから、撫でる。



Ⅷ 同時刻・理事会の小部屋――九条と甲賀、刃の所在


 都心の塔の、一段下の小さな会議室。

 九条と甲賀が向かい合っていた。机の上には工具箱の写真。スペーサーの縁に貼られた、接着剤の下の紙片。


「——やはり鍵屋か」

 甲賀が低く言う。「誰の連絡網だ」


「理事会の末端、あるいは外部。正式印は使っていない。桂木の文体に似せている」


「似せた、か。誰に利益がある?」


「誰にも、だ」

 九条は淡々と答える。「善の顔は傷つかず、“公開”は進む。揺らぎが増えれば、“蛇口”の必要性が高まる」


「……仕事がきれいすぎる」


「臨界点は、きれいに収めた」


 九条の声は、評価とも苛立ちともつかない色を帯びた。

「次は、学内に点が立つ。——中から、紙を破ろうとする指を、臨界点が撫でられるかどうか」


「臨界点を“守る”隊は?」


「動かす。護衛は“見る”。止めない。止めるのは、彼女自身だ」


 甲賀は煙草を出しかけて、室内禁煙の札を見てやめた。「蛇口は音を立てずに回す。——善に、徹する」


 九条は微かに頷いた。

 祠の鈴は、ここにはない。鉄の匂いだけが薄く残った。



Ⅸ 屋上――中で食べるご飯、決意の塩


 その夜、屋上の風は、昨日より少しだけ湿っていた。

 ベンチに腰を下ろし、コンビニの唐揚げを紙袋ごと広げる。食堂のそれには負けるけれど、今はこれで十分。塩を一振りするだけで、だいたい勝つ。

 澪が隣で足をぶらぶらさせ、颯が紙コップの温かいお茶を渡してくれる。莉子は紙袋の底を覗き込んで、一番小さい唐揚げを狙っているのがバレバレだ。


「透花」

 澪が問う声は、いつもより短い。「どうする?」


「食べる。中で。ここで」

 私は頷く。「外のご飯、たまに美味しい。でも、家のご飯が一番」


「うん」

 澪が笑う。

 颯はお茶を一口飲んでから言う。「公開共同研究、進める。設計はこちらが握る。透明性を武器にする」


「透明な唐揚げは嫌だ」

 莉子が真顔で言い、三人が同時に吹き出す。

 笑いのあと、胸の石が静かにからんと鳴る。来ない。今日は、もう来ない。


 遠くで、校舎の窓に明かりが一つだけ残る。その向こうに、さっきの影が座っているのだろうか。空腹が満たされているといい。布団が温かいといい。

 私はもう一つ唐揚げを食べ、塩を舌の裏で溶かした。


「——紙、破らない」

 小さく声にして、星を一つ、喉で転がす。

「中から破ろうとする指も、撫でる」


 澪が頷き、颯がメモに“内撫で”と書く。莉子は星空に向けて、空のページを一枚めくる仕草をした。



Ⅹ ラスト――窓辺の影、内側の針


 夜更け、図書室の窓辺。

 先ほどの影——細い肩の生徒が机にうつ伏して眠っている。背中の上下は浅く、しかし一定。

 少し離れた本棚の陰に、もう一つの影。

 背は高く、制服は正規、胸ポケットに銀のペン。上級生。

 指先で、空気に点をなぞる。輪の癖は、私たちの教え方に似ていて、しかし無理がある。

 内側から破る針は、外からの針より静かで、長く、よく削れている。


 ——からん。

 遠く、寮の屋上で鳴った、私の石の鈴に、図書室の空気がほんの一瞬だけ応えた。

 影は手を止め、静かに指を引っ込める。今日は、やめた。

 窓ガラスに映る自分の輪郭を一度だけ確かめ、背を向ける。

 **“次”**が、ある。


 星の少ない夜だった。

 けれど、紙はまだ破れていない。破らせない。

 塩は、舌の裏で白く、小さく、灯っている。


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