第2話 鍵のしまい方

 春の朝は、昨日より少しだけ軽かった。

 陰陽師学園の渡り廊下は白く、手すりに指を沿わせると、薄い木肌のささくれが人差し指に触れる。窓の外、校庭の芝は朝露を含んで濃い緑に沈み、遠くでは体育棟の屋根に薄く靄が揺れていた。


「おはよう、透花」


 斜め後ろから声。振り向くより先に、胸の小袋の石がひとつ、短く鳴る。

 桜井 澪が、手にノートを抱えて並んだ。今日の澪は髪を一つに結い、首元に小さな護符を一枚、リボンの内側に忍ばせている。


「おはよう、澪。今日は何食べる?」


「まだ朝だよ……でも、透花に合わせて食堂寄るのはやぶさかじゃないかな」


「やぶさか、って美味しい?」


「言葉、食べないの」


 くす、と笑い合ったところへ、背後から足音が二つ。

 新庄 莉子が両手をぶんぶん振って突進してきて、その後ろで黒鉄 颯がやれやれと肩をすくめていた。莉子の名札にはすでにシールが増え、“臨界点FC会長”と手書きで添えてある。


「透花さん、今日の予定は! ファンクラブの名簿を作って、配布して、会則は“唐揚げを尊ぶべし”にして、あと――」


「莉子、落ち着いて。朝の声で会則を叫ばない」


「澪先輩の言う通り……でも会則は大事」


「大事。塩、忘れない」


「塩!? 塩!!」


 莉子が目を輝かせる一方で、颯は冷静にカバンから小瓶を取り出した。透明の瓶に白い粉が半分。ラベルに細字で“輪島の塩”。


「昨日言ってた。いい塩。少し分ける」


「やった」


「食堂の唐揚げは、あれでも塩が甘いからな。結界の“締まり”に似て、最後の一振りで決まる」


「颯、例えが研究室」


「事実だ」


 四人で廊下を歩く。

 教室の前には新入生の群れ。掲示板には大きく「クラス分け」とあり、その下に「科目群」の札が貼られている。「式神科」「結界科」「呪具科」「実戦科」。そして、見慣れない一枚の札が、白紙のような顔をして一番下にあった。


 ――臨界特修(仮)。


 私の名前は、その白紙の下にぽつんとあった。

 欄外に小さな字で「指導:外部連絡室」とある。黒江の部署だ。教室の前に立つ上級生たちがざわめき、目だけがこちらに集まる。


「特修って、臨時って意味でもあるからね」

 澪が小声で耳打ちした。「柔軟にやるってこと。学園側も“普通のクラス”に入れにくいの。透花は強すぎるから」


「うん。ご飯の量も普通じゃない」


「そこは関係あるの?」


「ある。食べないと鍵がガタガタ言う」


「鍵?」


「体の中の、鍵穴。颯が昨日、言ってた」


「ああ。臨界点の“穴”の話。……お前、ほんとに直感で把握するな」


 颯は感心とも呆れともつかない顔で言い、黒板の前に立った教師に軽く頭を下げた。

 朝一の授業は「基礎護符」。黒板に墨の線で、穂先の運びが残像のように残っている。教師は若い女の人で、眼鏡の奥の目が強い。名札には**御影(みかげ)**とあった。


「座っていい。……斎宮透花さん、ね?」


「うん。透花」


「あなたの名前は昨日、嫌というほど聞いたわ。席はどこでも。ノートを出して。最初に言っておくけれど、この授業では“強さ”では点は取れない。運びと理屈と再現性で評価する」


「運びと、理屈と、唐揚げ」


「最後のは昼休みにしなさい」


 教室に笑いが走る。

 私が座ると、澪は隣に滑り込み、莉子は前の席から身を乗り出した。颯は斜め後ろの窓際で、すでに筆記用具を並べている。

 御影先生は黒板の前で、罫線のない紙を横に置き、筆を持つ指を見せた。


「護符は“紙に術を書く”んじゃない。“紙に術を通す”。紙の繊維は脈。墨は血。穂先は呼吸。呼吸が一度途切れると、護符は死ぬ」


 先生の手首がしなる。筆が紙の上で踊り、線の角が呼吸に合わせて丸くなり、墨の濃淡が意味を持つ。

 私は、呼吸を真似した。胸の中の石も、同じリズムでふくらむ。

 配られた白い札に、私は指先で空気の流れを描く。墨を落とす。呼吸。筆圧。穂先が紙に沈み、離れる。


「……透花、ちゃんとできてる」


 澪が覗き込んで囁く。

 莉子は自分の札に“臨界”と大書して先生に怒られ、「言葉の意味は分かるが護符ではない」と直球で指摘されてしょんぼりした。

 颯は黙々と正確に線を置き、先生が横で「ここ」と言った瞬間、微かに穂先の角度を修正する。彼はこういうのが本当に上手い。


 授業が終わるころには、指先が少し痺れていた。

 墨の匂いは、祖父の部屋の匂いに似ている。紙を乾かす間、私は鼻の奥でその匂いを味わった。

 御影先生は札を集めながら、私の手元に目を落とす。


「斎宮。あなたは力任せにせずに済む。……覚えておくこと。紙を破らないこと。強さで押し切れる場面でも、紙を破らない」


「うん。紙、破ると、食べ物こぼれる」


「比喩のセンスは独特ね」


 先生は笑って去っていく。教室はざわめきで満ち、廊下からは遠い鐘の音がする。

 次の授業は「学園生活の心得」と「売買規定」。黒江が講師として壇上に立ち、昨日の彼より少し疲れて見えた。

 スライドには数字が並ぶ。「学内換金所」「手数料3%(特修は別途)」「市場混乱時の取引一時停止条項」「生徒間の個人売買禁止」。

 黒江は表情を変えずに読み上げ、最後にほんのわずか、目だけをこちらに向けた。


「斎宮。君は窓口を通すこと」


「うん」


「約束だ」


「ご飯のため」


「そこへ着地するの、やめてくれないか」


 教室に笑いが起こる。肩の力が抜ける。

 黒江は説明を終えると、退出する前に御影先生と短く言葉を交わし、扉の手前でふと立ち止まった。視線だけが、校庭の端、演習場の方向へと流れる。

 胸の石が、かすかに鳴った。――今日は来ない。来ない日のほうが、学ぶにはいい。


 昼休み。

 食堂は戦場だった。いや、戦場は食堂だった。

 私は颯からもらった“輪島の塩”を小瓶ごと持ち込み、唐揚げ定食×2と白米大盛り×2と、さらに唐揚げ単品を追加。澪は日替わり、莉子はお子様ランチみたいな見た目の「彩り定食」を抱えている。


「……透花さん、食べるの見てると元気でる」


「食べると元気でる」


「真理だ……」


 塩をひとつまみ。唐揚げに粉雪みたいに降らせる。衣が微かに艶を増し、揚げ油の香りが立ち上る。

 颯は真面目な顔で私の手元を観察し、「結界の締まりが一段階違う」と言って箸を止めた。澪は笑い、莉子は拍手している。


「午後は、何の授業?」


「一年合同の“模擬戦”」


 澪がメモを見て言った。「ほんとは“護身の型”を覚えるだけのはずだけど、昨日の件もあるし、先生たちがどう組むか……」


「うちのクラス、上級生が指導に来るらしい」

 颯が付け加える。「招集がかかった。推薦状付きの特待が数人」


「推薦状付きって、つまりエリートの人たちだよね」

 莉子が瞳を輝かせる。「臨界点様と戦ってほしい」


「臨界点様、って美味しいの?」


「美味しい……?」


「唐揚げの称号」


「それは……美味しい!」


 笑いながら、私は最後の唐揚げを塩で締め、白米の端っこで追いかける。

 鼻の奥がほんの少し冷え、胸の中で石が薄く鳴る。――来る。戦う前に食べておけ、という体の合図。

 トレイを片付けて、私たちは演習場へ向かった。


 演習場の空気は、朝より硬かった。

 観覧席には一年生だけでなく、上級生の列がある。階段の上から冷ややかな目線を落とす男子が一人。背が高く、黒い学ランの襟がよく似合う。肩から下げた札に金の縁取り。三年・推薦特待と書かれている。


「あれ、月城(つきしろ)先輩だ」

 澪が小さく言った。「総合首席。実戦・式神の融合運用で学内トップ」


「ふむ」

 颯は目だけで値踏みする。「式神を“核上書き”で高速最適化するタイプだ。研究としては興味深い」


「ファンクラブの天敵!」


「莉子、それはまだ早い」


 中央には、御影先生と、別の年配の男性教師。作務衣の裾を整える仕草が丁寧で、目は厳しい。昨日の先生――**灰島(はいじま)**だ。

 灰島が観覧席を見渡し、低く言った。


「一年の模擬戦は、例年通り“護身の型”から始めるはずだったが、今年は事情が違う。――臨界特修の存在だ」


 視線が私に落ちた。

 観覧席のざわめきが増える。私は胸の小袋を指でとんと叩く。石は鳴らない。呼吸だけが深くなる。


「斎宮透花。君は“見学”でも構わない。だが、学園は君を戦力として認めている。危険なときは止める。いいな」


「うん」


「では、まずは“型”。次に――希望者による一対一の軽い手合わせを行う」


 一瞬の沈黙。その沈黙を破ったのは、階段上の男子だった。月城先輩。

 彼はゆっくり立ち上がり、声を張らずに、それでも全員に届く声で言った。


「三年・月城。推薦特待。――一手、願おうか。“臨界点”」


 空気が乾く音がした。

 御影先生の眼鏡が、微かに光った。灰島は目を細めた。黒江はいない――あの人がいたら、たぶん眉間を押さえていた。

 私は、頷いた。


「うん。いい。勝ったら、唐揚げくれる?」


「……買ってやる」


「塩は、持参」


「……好きにしろ」


 月城先輩が階段を降りてくる。足音が石に吸い込まれていく。指には細い黒い糸が巻かれ、手首の裏に小さな印が刻まれていた。

 中央の円に立つ。距離は十歩。観覧席の空気が緊張で糸になる。


「臨界点。力だけでは学園は渡れない。紙を破らずに、型を守って、術を通せるか」


「紙、破らない。唐揚げも崩さない」


「……聞いているのか?」


「聞いてる。お腹すいてきた」


 観客の笑いが緊張の縁に滑る。月城は表情を崩さない。

 御影先生が手を上げ、灰島が結界の縁を軽く叩く。微かな鈴の音。開始の合図。


 月城が先に動いた。

 彼の指の糸がほどけ、空気に細い筋を刻む。背後の空間がわずかに沈み、影の縁が固まる。彼は影を「借りる」。式神を呼ぶ前段階として、影の骨組みを作るタイプだ。

 次の瞬間、彼の背後から、鳥の形の影が飛び出した。黒い、しかし軽い。羽の縁が剃刀みたいにシャープで、二重の輪郭がわずかに震える。

 観覧席がざわめく。「月城先輩の鴉式神だ」「核が二重構造――」「あれを一瞬で組むのは異常」


 私は、胸の小袋に指を置いた。

 不滅の石は鳴らない。――守りは、まだ要らない。

 月城の鴉が旋回し、私の頭上を取る。影が私の足元の線に混じり、輪郭が三つに分かれる。目くらまし。

 私は、動かない。喉の奥に星の痛み。透明の線が、指先から肘、肩へ。

 鴉の刃が落ちる瞬間、私は右手を上げた。


「こっち」


 指先に、冷たい温度。

 刃は私の肌に届く前に、私の指先の“穴”に落ちた。

 透明の線。喉の星。

 瞬間、光。

 掌の上に、小さな石。鳥の骨のように細い糸が、内部で螺旋を描く。


「――っ!」


 月城が初めて眉を動かした。

 観覧席が爆ぜる。「式神の核を――」「吸った!? 式神を石にしたのか!?」

 御影先生の指先がわずかに震え、灰島は口を真一文字に結ぶ。


「まだだ」


 月城が低く言い、両手を広げる。

 影が、地面から一斉に伸びた。円の外周にいた護人が一歩踏み込み、結界に補助の札を挟む。空気が重くなる。

 月城は、鴉だけではない。次の式は、犬だ。影の素体が歯を剥き、四肢の輪郭が地面の石目に絡む。走る。

 私は、鼻の奥が冷えて、少しふらりとした。

 ――ご飯。

 朝食を食べた。昼も食べた。けれど、式神の核は、怪異の核より乾いている。質が違う。

 胸の小袋の石が、ひとつ、短く鳴った。守りは要らない。けれど、余白は確保する。

 犬の影が跳ぶ。私は左手を出す。

 透明の線。喉の星。鼻血がすっと垂れる。

 掌の上に、二つ目の石。糸が輪になり、外側へ漏れない。颯の言った通り。


「君、何者だ」


 月城の声は低く、それでも驚きを隠しきれない。

 私は鼻をぬぐい、笑った。


「透花。ご飯の人」


「違う」


「臨界点。鍵穴。紙、破らない」


 月城は息を吸い、吐いた。

 次は、本命だ。

 彼の背後の空気が沈み、影が、形を持たないまま重さだけを持って溜まる。人型に寄せない。動物にも寄せない。――純粋な“圧”。

 観覧席で上級生がひそひそと囁く。「黒影(こくえい)」「月城の得意」と。

 黒影は、式神でも怪異でもない。術者の影から切り出した“影の圧力”だ。核を持たない。つまり、私の“吸収”の対象になりにくい。


「核がない」


 私は口に出して言った。

 月城は頷き、それが唯一の賛辞だった。

 黒影が、押してくる。形がない圧が、皮膚の上に均等に乗る。膜が軋み、呼吸が浅くなる。

 胸の小袋の石が、ひとつ、ふっと温度を上げた。

 私は、小さく囁く。


「ありがと」


 不滅の石の一つが共鳴し、私の皮膚の上に薄膜が生まれる。外からの圧は膜で受け止められ、膜の内側の呼吸は静かなまま保たれる。

 私は右の掌を、空(から)に向けて開いた。

 吸う対象がなくても、“道”は開ける。

 透明の線が、指先から空気へ、空気から影へ走る。核のないものは、核を作ればいい。

 私は、喉の奥の星を二つ、重ねた。

 黒影が軋む。

 影の圧力に、小さな渦が生まれる。渦は穴だ。穴は鍵穴だ。鍵穴は、通り道だ。

 私は、作った。

 掌の内側に、黒影の“核の代わり”になるための空虚を。

 影が、飲み込まれる。

 掌の上に、淡く濁った小石が生まれた。透明ではない。灰色。内部に糸の輪はなく、代わりに、霧のような粒が静かに揺れている。

 観覧席が、音を失った。


「核のない影から、核を作った……?」


 颯の声が乾いている。御影先生は眼鏡を外し、目元を押さえた。灰島は、目を閉じて、ひとつ息を吐いた。

 月城は、初めて笑った。敗北の笑いではない。認識の笑い。


「参った」


 彼は手を下ろし、結界の外で控える上級生に目で合図を送る。

 観覧席のどこかで莉子が「臨界点様ぁぁぁ!」と叫び、澪が「静かに!」と慌てて口を塞いだ。

 私は、掌の三つの石を並べて見せた。鳥、犬、影。どれも、輪が外へ漏れていない。

 鼻血は止まった。胸の膜は静かだ。――食べれば、だいじょうぶ。

 月城が、私の前に立つ。距離は二歩。彼は真っ直ぐに頭を下げた。


「斎宮透花。お前は、臨界点を名乗るに足る。俺の式神の核、後で見せてくれ」


「だめ。売る」


「……売るのか」


「換金所、通す」


「それは正しい」


 月城は肩を震わせて笑い、踵を返した。その背中を、上級生たちが複雑な目で見送る。

 御影先生が中央に来て、短く言った。


「以上で本日の模擬戦は終了。……君たち、特に一年は、今見たものを“偶然”と片付けてはいけない。“方法”がある。臨界点は天賦でもあり、訓練でもある」


 私は胸の小袋を押さえ、頷いた。祖父の石たちは静かだ。

 颯が駆け寄ってきて、小さな灰色の石を興奮気味に覗き込む。「黒影核――初めて見た。記録したい」


「売る」


「だよな」


「でも、見るのはいい」


「ありがとう」


 澪が、ハンカチを差し出してきた。「鼻血、また出たら」

 莉子は半泣き半笑いで拳を突き出す。「唐揚げ……!」


「唐揚げ」


 拳をこつんと合わせる。

 観覧席から人波が引き、演習場の空気は徐々に薄くなっていく。

 灰島が私の前に来た。目は厳しいが、その奥は昨日より柔らかい。


「斎宮。君は強すぎる。だから、ゆっくり学べ」


「うん。紙、破らない」


「それと、式神を“石にする”のは、倫理が絡む。術者との関係や契約。今回は模擬で、月城が自ら差し出したから良い。だが、普段は――」


「勝手にしない。売る前に、窓口」


「……黒江君の教育が効いているのか、食堂の教育が効いているのか、判断が難しいな」


「食堂」


「だろうと思った」


 灰島は口元だけで笑い、背を向けた。御影先生が肩をすくめる。

 私は三つの新しい石を掌で転がし、ひとつずつ別のポケットに入れた。売る石と、お守りの石は、混ぜない。


 放課後。

 昇降口の掲示板に、臨時の張り紙が出た。「臨界特修・売買窓口の時間拡張」。学園内の換金所の営業時間が、私の生活リズムに“たまたま”合わせてずれるらしい。

 黒江が廊下の端にいて、職員と話をしていた。私に気づくと、顎で目配せする。

 私は近づき、頷く。彼の目は疲れている。けれど、昨日よりも諦めに似た安堵が混ざっていた。


「……見たよ」


「うん」


「月城の式神、三連。黒影核の生成。――止められないな」


「止めない。売る。窓口」


「それでいい。……ひとつだけ。式神の核は、術者との関係性がある。勝手に市場に流れると揉める。今日の分は、月城と共同申請にする。半分は彼の研究費に落ちる」


「うん。唐揚げ代、半分こ」


「そういう話ではない」


「でも、半分こ」


「……好きにしろ」


 黒江は額に指を当て、小さく笑った。

 私は換金所に行き、手続きをし、紙を破らずに署名をし、窓口のお姉さんに「いつもありがとう」と言って手を振った。

 夕方の学内は、昨日と似ている。でも、違う。視線の質が、少し変わった。好奇心と恐れと尊敬が混じる。

 私は、食堂へ向かう。



 「唐揚げ定食、メガ盛り。白米、二山。味噌汁、二杯。塩、少し」


「はーい、臨界点ちゃん。今日も元気だねえ」


 おばちゃんの笑顔は、世界の正しさだ。

 席に着き、塩を振り、手を合わせる。

 食べていると、正面に影が落ちた。顔を上げると、月城先輩がトレイを持って立っていた。白米一山、焼き魚、味噌汁。彼は私の向かいに座り、箸を割る。


「唐揚げ代」


 テーブルの端に封筒が一つ。中身は見ない。換金所を通す約束。後で申請すればいい。

 月城は一口、魚を食べてから言った。


「お前の核、構造が綺麗だ。扱いやすい。事故率が下がる。市場の噂になる」


「噂?」


「“斎宮核は安全”ってやつだ。価格は――」


「上がる?」


「上がる。だが、上がると狙われる」


「狙う?」


「買占め、囲い込み、スカウト」


「スカウト、昨日来た」


「それは学園。外のスカウトは、もっと黒い」


「黒い」


「黒い」


 二人で、唐揚げと焼き魚を黙って食べる。

 月城は唐揚げには手を出さない。私は魚に手を出さない。世界の均衡。

 食べ終わる頃、彼は席を立ち、短く言った。


「面白い後輩だ。よろしく、臨界点」


「よろしく、唐揚げ先輩」


「……二つ名が雑すぎる」


 彼は笑い、去っていく。

 窓の外で、夕焼けが校舎の端に滲む。胸の小袋の石が、一つだけ、風に合わせて鳴いた。

 祖父の声に、少し似ていた。



 夜、自室。

 寮の部屋は狭いが清潔で、机の上には昼に書いた護符が乾いて並ぶ。机の端に、小瓶の塩。窓の外には中庭の桜。

 私は、ポケットから今日の石を出す。鳥、犬、影。

 掌で転がしながら、ひとつひとつに名前をつけたくなる衝動を、なんとか押さえる。売る石に名前をつけるのは、少し寂しい。


「……おじいちゃん」


 声に出して呼ぶ。

 返事はない。けれど、不滅の石が胸で静かに光る。

 私は小袋の紐を撫で、寝転がって天井を見た。

 明日は“臨界特修”の初回。黒江が来る。御影先生も来る。灰島も来るかもしれない。

 鍵穴のしまい方。紙を破らない運び。売買のルール。――全部、食べるみたいに覚える。

 その最中に、きっとまた誰かが扉を叩く。財閥か、企業か、裏の人か。

 私は扉を開ける。開けて、笑う。ご飯、食べる? と聞く。

 それが一番、私らしいと思うから。


 目を閉じる直前、胸の石が一つ、からん、と鳴った。

 眠りに落ちる。鍵穴は静かに閉じる。

 夢の中で、祖父の背中は、いつも通り、手を伸ばせば届く距離にいる。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る