第1話 • ファンタジー世界とゲームシステム


 小鳥のさえずりで、レイは目を覚ました。


(……頭が、痛い……)


 まるでひどい二日酔いのような鈍い痛みを感じながら、ゆっくりと身を起こす。

 柔らかな土と、草の匂いが鼻をくすぐった。

 目を開けると、視界に飛び込んできたのは、見慣れた自室の天井ではなく、木々の葉の隙間から差し込む、穏やかな太陽の光だった。


「……どこだ、ここ?」


 思わず声が漏れる。

 周囲を見渡せば、どこまでも続く広大な森の中。自分の身に何が起こったのか、全く思い出せない。確か、ゲームの大会で優勝して、それから……。


「そうだ、ポータルだ!」


 モニターに現れた、あの不気味な黒い渦。

 あれに吸い込まれたのだ。


 レイは慌てて自分の体を確認する。服装はゲームをしていた時と同じ、Tシャツにスウェット姿。体に怪我はないようだ。ポケットを探るが、いつも入れているスマートフォンも財布も、どこにもなかった。


「夢……じゃないのか。じゃあ、俺は一体どこに……」


 途方に暮れて天を仰いだ、その時だった。

 レイの視界の隅に、半透明のアイコンがいくつか表示されていることに気がついた。


(なんだ、これ……ゲームのHUDそのものじゃないか)


 レイは混乱しつつも、目の前の光景を分析しようと努めた。

 視界の左上には自分の名前「Rei」とレベル「1」の表示。右上にはミニマップ。そして視界の下部には、いくつかのメニューアイコンが並んでいる。

 それは、彼が何千時間もプレイしてきたゲーム『エースファイター・オンライン』のインターフェースと酷似していた。


「システム……メニュー?」


 試しに、心の中でそう念じてみる。

 すると、目の前に半透明のウィンドウがすっと現れた。


‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐

【ステータス】

名前:レイ・アオイ

種族:ヒューマン

レベル:1

称号:天空の王者(エースファイター・オンライン チャンピオン)


【スキル】

・エースパイロット Lv.MAX

 (あらゆる航空機の操縦に完全習熟している)

・戦術眼 Lv.MAX

 (戦場の状況を瞬時に把握し、最適解を導き出す)

・言語理解

 (全ての言語を自動的に翻訳し、理解・会話が可能)


【ハンガー】

 所有する機体を召喚・格納する。


【ショップ】

 機体、兵装、パーツなどを購入する。

‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐


「……マジかよ」


 レイは乾いた笑いを漏らした。

 自分の名前は、本名の「蒼井 玲(あおい れい)」から来ているのだろう。そして、ゲームのシステムが、そのまま自分の能力になっている。

 いわゆる、異世界転移というやつか。

 小説やアニメで何度も見たことがある設定だが、まさか自分の身に降りかかるとは。


 普通ならパニックに陥るところだろう。

 だが、レイは長年のゲーマー経験で培われた順応性の高さを持っていた。彼はまず、現状を把握し、利用できるものを確認することにした。


 一番重要なのは、【ハンガー】だ。

 レイはメニューに意識を集中させ、ハンガーを開いた。


 ウィンドウが切り替わり、ずらりと並んだ戦闘機のリストが表示される。

 F-86セイバーのような第一世代ジェット戦闘機から、F-22ラプターのような最新鋭の第五世代ステルス戦闘機まで、彼がゲーム内でアンロックした機体が全てリストアップされていた。


「すげえ……」


 思わず感嘆の声が漏れる。

 しかし、そのほとんどは灰色で表示され、「召喚不可」となっていた。機体名の横には、召喚に必要だと思われるポイントや素材のようなものが表示されている。


「最初から全部使えるわけじゃないのか。まあ、そりゃそうか」


 ゲームバランスというものがあるのだろう。

 レイはリストをスクロールし、召喚可能な機体を探す。

 そして、一つだけ白く表示されている機体を見つけた。


【F-4E ファントムII】

世代:第2世代ジェット戦闘機

状態:召喚可能

武装:M61A1 20mmバルカン砲(残弾640発)、AIM-9サイドワインダー×4


「ファントム……俺の最初の愛機か」


 F-4ファントムII。少し古臭いが、パワフルで信頼性の高い、万能戦闘機。レイが『エースファイター・オンライン』を始めたばかりの頃、ずっと乗り続けていた思い入れのある機体だ。

 どうやら、この機体が初期装備として与えられたらしい。


 自分が置かれた状況が、少しずつ理解できてきた。

 ここは現実とは違う世界で、俺にはゲームの能力が与えられた。そして、この力を使えば、戦闘機を呼び出すことができる。

 途方もない話だが、目の前のシステムがそれを証明していた。


 ショックよりも、ゲーマーとしての好奇心と高揚感が勝り始めていた。

 この世界は、どんな「ゲーム」なんだろうか。

 そう思った矢先だった。


「――きゃあああああっ!」


 森の奥から、女性のものと思われる悲鳴が聞こえてきた。

 続いて、男たちの怒声や、金属がぶつかり合う甲高い音も聞こえてくる。


「戦闘か?」


 レイは音のした方向に目を向けた。

 面倒事に巻き込まれるのはごめんだ。しかし、悲鳴を聞いて見過ごせるほど、彼の性格はドライではなかった。


(……助けに行くべきか? でも、俺はただのゲーマーだぞ。戦闘機はあっても、生身じゃ何も……)


 葛藤が胸をよぎる。

 だが、再び聞こえてきた悲鳴が、彼の迷いを振り払った。


「くそっ、行くしかねえか!」


 レイは決心し、音のする方へと走り出した。

 生身で戦うつもりはない。自分には、この世界にとって規格外の切り札があるのだから。


 しばらく森の中を走ると、視界が開け、一本の街道に出た。

 そこでレイが目にしたのは、ファンタジー映画でしか見たことのないような光景だった。


 馬車が数台停まっており、その周りを、醜悪な緑色の小鬼――ゴブリンと思しき怪物の集団が取り囲んでいた。

 数人の屈強な傭兵たちが剣を振るって応戦しているが、ゴブリンの数が多すぎる。多勢に無勢で、じりじりと追い詰められているのが分かった。


 ゴブリンの一匹が、荷馬車の陰に隠れていた若い少女に狙いを定める。

 傭兵の一人がそれに気づいて叫んだ。


「エララ様、危ない!」


 だが、助けは間に合いそうにない。

 ゴブリンが、錆びた剣を少女に振り下ろそうとした、その瞬間。


「今だ!」


 レイは、街道から少し離れた開けた場所で、システムを起動した。

「ハンガーを開いて、【F-4E ファントムII】を選択! ――召喚!」


 レイが叫ぶと、彼の目の前の空間が、まるで水面のように揺らめいた。

 やがて、光の粒子が集まって門を形作り、その向こうから、巨大な影が現れる。


 ごう、という地鳴りのような低い唸り声と共に、灰色の機体が光の中からせり出してくる。

 二つの大きなジェットエンジンノズル、後退翼、特徴的な下反角を持つ水平尾翼。

 全長約19メートル、全幅約12メートル。鉄の塊であるはずのそれが、まるで幻のように、音もなく静かに地面に降り立った。


「……でかい」


 ゲーム画面で見るのとは、迫力がまるで違う。本物の戦闘機が、今、目の前にある。

 レイは圧倒されながらも、機体に取り付けられたラダーを駆け上がり、コックピットに乗り込んだ。


 キャノピーを閉じると、外の音が遮断され、不思議な静寂が訪れる。

 目の前の計器類やディスプレイは、ゲームで慣れ親しんだものと全く同じだった。まるで自分の手足のように、全ての機能が頭に入っている。


「システム、起動」


 レイが呟くと、計器類に光が灯り、HUD(ヘッドアップディスプレイ)に飛行情報が表示される。

 スロットルレバーを握り、ゆっくりと前に倒していく。


 ゴオオオオオッ!


 先ほどまでの静けさが嘘のように、J79ジェットエンジンが咆哮を上げた。機体が震え、凄まじいGがシートに体を押し付ける。

 レイは、この感覚に笑みを浮かべた。

 ゲームの振動ベストとは比べ物にならない、本物の加速G。


「ファントム、テイクオフ!」


 F-4ファントムIIは、短い滑走でふわりと地面を離れ、空へと舞い上がった。

 眼下に広がる森の景色。どこまでも青い空。

 シミュレーターでは決して味わえない、本物の飛行感覚が全身を駆け巡る。


「最高だ……!」


 レイは感動に浸るのもそこそこに、機首を馬車が襲われている現場へと向けた。

 あっという間に高度を下げ、現場の上空に到達する。


 地上では、誰もが空を見上げて呆然としていた。

 ゴブリンも、傭兵たちも、馬車の中にいる人々も。

 無理もない。彼らの世界には、空を飛ぶ竜はいても、鉄の巨鳥など存在しないのだから。


「な、なんだ、あれは……!?」

「魔物の類か!?」

「鉄の……竜……?」


 傭兵たちの困惑の声が聞こえてきそうだった。


(さて、どうするか。ミサイルや爆弾を使えば一瞬だが、民間人を巻き込むわけにはいかない)


 レイは冷静に状況を分析する。

 目的は、ゴブリンを追い払うこと。殺す必要はない。


「なら、まずは『アレ』で脅してみるか」


 レイはニヤリと笑い、スロットルを全開にした。

 機体は急加速し、音速の壁へと迫る。そして、ゴブリンたちの頭上、すれすれの低空を通過した。


 ―――ドゴオオオオオオオオオオオオッ!!!


 衝撃波が地上を叩きつけ、凄まじい爆音が森全体を揺るがした。

 ソニックブーム。

 ゴブリンたちは、その人生で(ゴブリン生で?)経験したことのない、理解不能な暴力の塊に鼓膜を破られんばかりになり、耳を塞いで地面にひれ伏した。木々がざわめき、馬車が大きく揺れる。

 傭兵たちも、何が起きたか分からず、ただ恐怖に顔を歪めていた。


 一瞬でゴブリンたちの戦意は砕けた。

 だが、レイはダメ押しの一手を打つことにした。


 機体を反転させ、再びゴブリンたちの集団に機首を向ける。

 今度は、機首下部に搭載された20mmバルカン砲のトリガーに指をかけた。


(直接当てるなよ。狙うは、あいつらの目の前の地面だ)


 HUDの照準をゴブリンたちの少し先に合わせ、トリガーを引く。


 ダダダダダダダダダダダダッ!!!


 空気を引き裂くような、独特の発射音。

 毎分6000発という驚異的な連射速度を誇るガトリング砲が火を噴き、曳光弾が赤いレーザーのように地上へと突き刺さる。

 ゴブリンたちの目の前の地面が、まるで巨大な獣に食い散らかされたかのように、土や石をまき散らしながら爆ぜていく。


 恐怖は、完全にゴブリンたちの支配限界を超えた。

「ギィイイイイイッ!」

「ニゲロオオオオッ!」


 訳の分からない叫び声を上げながら、ゴブリンたちは蜘蛛の子を散らすように森の奥へと逃げていく。武器を放り出し、仲間を踏みつけ、我先にと。

 ほんの十数秒で、あれだけいたゴブリンの群れは、一匹残らず姿を消した。


 残されたのは、静寂と、呆然と空を見上げる人間たちだけだった。


「……ミッションコンプリート、だな」


 レイは小さく呟き、機体をゆっくりと旋回させると、離陸した場所へと戻っていった。

 先ほどの開けた場所に着陸し、エンジンを停止させる。

 キャノピーを開けると、森の穏やかな空気が流れ込んできた。


「システム、機体を格納」


 念じると、巨大なF-4ファントムIIは、召喚時とは逆に光の粒子となって霧散し、跡形もなく消え去った。

 レイはコックピットから地面に飛び降り、一つ大きな深呼吸をする。

 これから、あの人たちにどう説明したものか。それが一番の問題だった。


 レイが馬車の方へ慎重に近づいていくと、傭兵たちが剣を構えて警戒しているのが見えた。

 その中から、リーダー格と思われる、髭面の屈強な男が前に進み出て、声を張り上げた。


「何者だ、貴様! 先ほどの鉄の巨鳥は、貴様の仕業か!」


 無理もない警戒心だ。レイは両手を上げて、敵意がないことを示す。


「落ち着いてくれ。見ての通り、俺はただの旅人だ。あんたたちが襲われているのを見て、助けに入っただけだよ」


「旅人だと? あんな魔法、見たことも聞いたこともないぞ!」


 男――護衛隊長のギデオンは、レイを疑いの目で睨みつけている。

 その時、馬車から一人の男が降りてきた。身なりの良い、人の良さそうな中年男性だ。彼がこのキャラバンの主、商人のマルクスだった。


「ギデオン、やめなさい。この方は、我々の命の恩人だ」


 マルクスはレイに向かって、深々と頭を下げた。

「この度は、誠にありがとうございました。あなた様がいなければ、我々は今頃……」


「いや、気にしないでくれ。偶然通りかかっただけだから」


 レイがそう答えていると、マルクスの後ろから、先ほどゴブリンに襲われかけていた少女がひょっこりと顔を出した。歳は16、7歳くらいだろうか。栗色の髪に、大きな瞳が印象的な、可憐な少女だった。


「あの……ありがとうございました! 私、エララと申します」


 少女――エララは、少し頬を赤らめながら、丁寧にお辞儀をした。


「俺はレイだ。怪我はなかったか?」

「は、はい! あなたのおかげで、誰も大きな怪我はありません!」


 エララの屈託のない笑顔を見て、レイは少しだけ安堵した。

 助けてよかった、と心から思う。


 護衛隊長のギデオンは、まだ訝しげな顔をしていたが、雇い主であるマルクスに言われ、剣を収めた。


「レイ殿、と申されましたかな。もしよろしければ、この先の街まで我々とご一緒しませんかな? これは、命を救っていただいたせめてものお礼です。もちろん、街までの護衛も我々が責任を持って」


 マルクスの提案は、レイにとって非常にありがたいものだった。

 この世界のことを何も知らない彼にとって、情報と当面の安全は何よりも重要だったからだ。


「いいのか? それじゃあ、言葉に甘えさせてもらうよ」


「おお、それはよかった! さあ、皆さん、出発の準備を!」


 マルクスの明るい声が響き、キャラバンは再び動き出す準備を始めた。


 レイは、彼らが用意してくれた荷馬車の隅に座らせてもらった。

 隣には、興味津々といった様子で、エララが座っている。


「レイさんは、一体どこから来たんですか? さっきの、空を飛ぶゴーレムみたいなのは、レイさんの魔法なんですよね?」


 矢継ぎ早に質問を浴びせられる。


「まあ、そんなところだ。俺の故郷に伝わる、ちょっと特殊な技術でね」


 ゴーレム、か。鉄の巨鳥よりは、まだ分かりやすい表現かもしれない。

 レイはそう考えながら、曖昧に言葉を濁した。まさか「異世界から来たゲーマーで、あれは戦闘機という兵器なんだ」などと正直に話せるはずもなかった。


 幸い、エララはそれ以上深くは突っ込んでこなかった。

 レイは馬車に揺られながら、これから先のことを考える。


 謎のポータル。ファンタジーのような世界。そして、自分に与えられた『エースファイター』のシステム。

 元の世界に帰る方法は、今のところ全く分からない。

 ならば、まずはこの世界で生き抜くしかない。


 幸い、自分には最強の切り札がある。

 空を支配する、鉄の翼が。


(面白いじゃないか。やってやろうぜ、この異世界ってやつを)


 ゲーマーの血が騒ぐのを感じながら、レイは遠くの空を見上げた。

 彼の新たな戦場は、剣と魔法が支配する、この広大なファンタジー世界だった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

トッププレイヤーだけど、異世界で本物のエースパイロットになった件 @valensyh

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

参加中のコンテスト・自主企画