The day after 戸籍抹消
朝ほど急いでいくには体力が足りなかったから、学校に着いたのはそれから四十五分後だった。授業は四時間目の半ばで、廊下から見たクラスメートたちは、眠そうだったり、疲れていそうだったりした。今、誰かのお腹が鳴った。わたしは、まったくお腹が空いていない。朝から何も食べていないのに。もとからわたしはユーレイで、ずっとあの女に憑依していて、それが今日解けただけなんじゃないか。そんな悪い想像をしてしまう。
いや、そんなわけはない。この思い出は、ぜんぶぜんぶわたしのものだ。家族写真にはわたしは写っていなかったけど、それでも、わたしのものだ。
あの女はなんと寝ていやがった。誰も私が見えないから、教卓の方から回り込んでもいいけど、なんとなく憚られて、机と椅子の隙間を通り抜ける。女の席にやっとのことでたどり着き、頭を小突く。変な反応されてもあとで――わたしがわたしを取り戻したあとで――変な扱いを受けたら困るから、眠りから覚める程度に、軽くにしてあげた。いっそのことハンマーか何かでひと思いに「えいやっ」とやってしまったほうがいい気もするが、生憎ハンマーの持ち合わせはなかった。
「ああ、おはよう、碧唯ちゃん」
「わたしの見た目で寝るんじゃないわよ。アンタには聞きたいことがあるの。授業が終わったら付いてきて」
「寝たくて寝てるんじゃ、ないよ。お腹が空いて鳴っちゃうから、寝てるんだよ」
さっきのはこいつか。
「そんなの知らないわよ。すぐに中庭に来なさい。いいわね?」
「ご飯食べたい」
「はぁ!? ママが作ったお弁当があるでしょ!?」
「もう、食べちゃった。ここ、食堂とか、ないの? あるなら連れて行ってよ」
「〜〜〜〜!!」
「へえ、ここが食堂かあ。公立の割に広いね」
「うっさい。食べるなら早く食べなさいよ。わたしの財布、スカートのポッケに入ってるから」
女――こいつの名前は何なんだろうか。別に興味はないけれど、女、女と呼称し続けることには抵抗がある。あとで名前を聞いてみよう――はポケットをまさぐり、財布を取り出す。
「ベリベリの財布だあ、なつかしー」
「お札の顔は伊藤博文じゃないから、びっくりするんじゃないわよ」
「そんなにおばあちゃんじゃないよお。知ってる。今は野口英世――」
確かに野口英世は現在も使われているが、去年から新貨幣が発行されている――私の財布には北里柴三郎の千円札が入っている。
「――そうそう、北里柴三郎だったね」
「…………」
やっぱり、こいつがユーレイだ。そして、死んだのは去年の七月以前――発行と同時に全国で新紙幣が循環する訳では無いが――だと推測できる。そして、『伊藤博文が使っていたほどおばあちゃんではない』とも言っていた。
こいつは一体、いつの時代の幽霊だ?
「で、何か訊きたくてここに戻ってきたんでしょう?」
私の静止も聞かず体育系男子学生が食べるような肉肉しい定食を私のお金で買いやがった女は、ふてぶてしさをおくびにも出さず訊いてくる。
「そうよ。そのはずだった。でもこんな人が多い所だと訊けない」
「どうして? ご飯を食べながら友達とランチ、最高じゃない」
「どこがよ! わたしは誰からも認識されないし、何も食べれない」
「そんなことないよお」
「はあ!? ならなんで、お母さんが私をすり抜けるのよ? なんでわたしがわたしじゃないのよ!? 全部アンタのせいじゃない!」
女は途端、口角を上げた。ニンマリというか、ニタニタという擬音が合うだろう。とにかく不気味な笑顔だった。
「碧唯ちゃんは、わたし以外のヒトがこの状況を作ったとは思わないんだね」
「……え?」
「もし碧唯ちゃんが碧唯ちゃんじゃなくて、誰か別のヒトが碧唯ちゃんだったらって願わないって、どうしてわかるの?」
「え、いや、それは、そんなこと」
「どうして、決めつけられるの? どうして自分だけが被害者だって思い込むの?」
「ウソでしょう?」
女はもう笑っていなくて、真面目な顔をしていた。わたしはこの女のこんな顔を初めてみた。
「意味が分からない。どうして、アンタじゃないの? じゃあ誰が」
「わたしにも、わからないよ。朝起きたらこうなってた。知らない人になってた。碧唯ちゃんの家族の反応で気づいた。学生証で、名前と高校の名前が分かった」
最悪だ。この女をどうにかすればいいと思ってただけに、あてが外れ、今朝からの疲労がのしかかってくる気がする。
女は耐えきれなくなっあように吹き出した。
「なんてねー」
「……え?」
「碧唯ちゃんはさ、きっと純粋な子なんだと思うんだ」
なんだ、急に。
「そうそう簡単に私の言うことを信じていいんだ。信用してくれるんだね」
まさか。
「嘘だとは言わないよ。もしかしたら、そうかもしれないし、もしかしなかったら、違うかもしれない。もしもの話だよ」
要は、何もわからないってことか。
「そう。何も分かんない。わたしが本当は誰なのか、そもそも、あなたがほんとうにほんとうのわたしなのかも」
ごっちゃになってきた。
「アンタには質問がいくつかあるの。この謎をすべて解き明かしたら、状況は
「へえ。そりゃあいいね。どんなの?」
「ひとつめ。わたしを認識――声を聞いたり、触れたり――できる人に心当たりない?」
「ないなあ。そもそも記憶がないからねえ」
まさかそこまでわからないとは。
「ふたつめ。……っていっても、記憶ないんじゃ難しいな。あのさ、わたしとアンタがいれかわったとするじゃない」
「いれかわり。たしかに、ここに人はふたりいるから、そう考えるのがふつうだよね」
「なら、どうしてわたしの存在はなかったことになってるの?」
「なるほど、じゃあわたしがユーレイだね」
女はあっさりと自分がユーレイだと認めた。逆にわたしは動揺する。
「で、でもさ、まだわかんないわけだし。そんなすぐに認めなくても」
「でも、そうじゃない? 写真の顔がわたしのに変わったのも、呪いとか、どうとかで説明、つかない?」
ついてしまう。しかしそうなるとわたしはどうすればいい?
お祓い? その場合寺にこの女が行って『私を祓ってください』とでも言うことになる。無理だろ。わたしの体は一生――本当にユーレイなら永遠?に戻らないことになる。それは嫌だ。
「じゃあさ、こうしよう。すっごい不謹慎な仮定だけど、あんたは今昏睡状態とかで、意識がないとする」
「わあ、すっごい不謹慎だね」
「そしたら、同じ状況にならない? てか、なってもらわないと困る」
「なら、そうしようか。それで、これからどうするの?」
「 できるだけ記憶を取り戻してもらう。それで、あんたの故郷的なところに行って、あんたのことを調べる。
あんたのことを知ってる人が見つかって、わたしのことが見えなかったら、わたしがユーレイ。見えたら、どっちも生身。
気になるのは、わたしは物を触れるけど、向こうからは触れないことね。ああ、あともう一つ質問」
「なあに?」
なんだか、気恥ずかしい。
「あんた、名前なんて言うの……って、記憶ないか」
「そうだねえ。それも誰かに聞かないと」
どうやってだよ。自分の顔を指さして『わたしの名前は何ですか』とでも聞くつもりなのか。
「なんかさ、占いとかで、なんか、ないかな」
占いか。たまに建物と建物の間でやってるのは見るけど。うさん臭い。あと、そもそも占いが古い。
「また、人をおばあちゃん扱いする」
実際そうだと思い始めている。
「わたしは碧唯ちゃんの弱点、握ってるんだからね。ウカツな発言は控えてもらおう」
なぜか女――アンノウンだから、アンとでもしておこう――は、胸を張って偉そうな態度。
「なによ、弱点って」
「わたしには碧唯ちゃんの記憶があるんだからね。あ、これこそ、碧唯ちゃんが実在する証拠か」
え
「みんなには笑われてたけど、わたしは面白いと思うよ、あのライトノベル」
「うわあああああああああああああ!!!!!!」
The Day After … 雨宮 命 @mikotoamemiya
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