第五話 博士と父

 ドアを叩くどこか弱弱しいノックの音を聞いて、森野メグリは返事をした。


「失礼します。おはようございます。森野博士」


「ああ、おはよう」


 入って来たのは、新米研究員の瀬戸リヒトである。いつも通りのどこか眩しそうにしているような、不安気な顔をして、ドアに入ってすぐのところで棒立ちになっている。おそらくは、メグリが了承をくれるのを待っているのだろう。


「ああ、どうぞ、座って。何か用事?」


 メグリは一応は応接テーブルとソファということになっているところを、リヒトに薦めた。机の上はごちゃごちゃと書類の山が積み上がり、とても人を歓迎するような風には見えないが、それでもまだかろうじて、そこだけは領土侵犯をされないようにと、メグリ自身が常日頃から細心の注意を払っている甲斐あって、未だ清潔さを保っているソファが一つだけあるのだ。促されるまま、リヒトはそこにちょこんと収まった。


「ええ、はい。実は、スズミ博士の書籍をいくつかお借りしたくって……。アケイシ博士に訊くと、森野博士が自室に多く持っていらっしゃるということだったので」


「確かに持ってはいるけれど……。そんなにたくさんはないよ。分野は?」


「世界終末論についての方面です」


 言われて、はっとした。スズミ博士とは、メグリの実の父親の、森野スズミのことである。前世紀に流行った世界の終末に関する予言は、あくまでも予言の域を出ない言わば流行病のようなものであったのに対して、森野スズミを筆頭にした、最近の学者たちの提唱する世界終末論とは、より現実的な根拠に基づいたものだった。


 つまりそれは、訪れるだろうものではなく、起ころうとしている終息の時に対して、人々は何ができるのか、その実践的な取り組みについての議論なのである。


「そうか。それは困ったな……。実はね、今さっきのことなんだけれども、父の本を一冊失くしてしまったところなんだ」


「そうなのですか?でも意外と、この部屋を本気になって探せば、見つかったりはしませんか?」

 

 物と物とが雪崩を起こしたようなあり様の部屋を見回しながら、リヒトはぽつりとそう尋ねる。


「君の言わんとするところは分からないでもないけれど……、あまりそう軽率なことを言うもんじゃないよ。もちろん、君がこの部屋の掃除もついでにしてくれると言うんなら、話は別だけれど」


 にたりと目元を三日月型にしながら、組んだ腕の上に顎を置いたメグリが、リヒトの方を見やると、彼はぶるぶると首を振った。この部屋を本気になって捜索に当たるということは、必然的にこの部屋の掃除をすることと同じになるのだ。


「じょうだん、じょうだん。そうなんでも真に受けないでさ。そこの本棚のところに、父の他の本が何冊かあったはずだから、どうぞ自由に持って行って」


「ええ、ありがとうございます。僕の部屋も大体こんな具合で、博士はよくその本を失くされたってわかりましたね。僕だったら、きっと部屋のどこかにはあるだろうって、失くしたとしても気づけないでいると思います」


 

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