第一話 解凍

 かちりと音がしたのと同時に、浦芽うらめスイミはスリープ解除のコマンドを入力されたみたいにきれいに目を覚ました。幾度となく耳にしてきたその音は、この部屋の扉の鍵を開けた時の音に違いない。


「おやすみ?それともおはようなのかな?」


 ふらりといつもの時間に部屋に入って来た森野もりのメグリは、いつもより高い位置にいるスイミのことを見つめて、そんな風な口を聞いた。宙づり状態にある友人に対しての第一声がこれなのだ。メグリの人格というか道徳というか、ひとまず何かしら大切な一部分が欠けてしまっていることは確かだと思う。


「……あれ、もしかしてお喋りができない?しょうがないやつだなぁ」


 溜息交じりに手提げかばんを机の上に置くと、メグリは手近なところにあった座椅子を引っ張って来て、彼女の足元の辺りに設置した。ひょいと飛び乗って、彼女と、天井の照明器具との間を固定していたロープに手をかける。結び目はかなり頑丈にされているらしく、メグリは五分くらいそれを解くのに格闘していた。


「これで、どう?」


「……」


「ええ?なに?ひどい声だね。もしかしなくとも、一晩中そうやっていたわけ?」


 首筋の辺りをさすりながら、しばらくの間、スイミは元通りの発声ができるようになるまで試行錯誤を強いられた。首元の圧迫感は依然として残留し続けている。どうやらメグリの指摘も、あながち間違いではなさそうだ。


 「た、助かりました……。もうずっとこのままかと。トイレにも行けていなかったし」


 「あれ?排泄なんていう無駄な機能、君につけた覚えがないんだけれど」


 「ジョークです。博士のよくやるやつです。つまらなかったですか?」


 落ちた衝撃もそのままに、尻餅をついた状態でいる彼女は、メグリからの冷たい視線をもろに浴びせかけられることになった。でも、すぐにメグリはスイミのことには興味を無くしたらしく、室内の窓の方に向かう。メグリのいいところの一つ目には、この切り替えの速さがあるように思う。


「鍵は……、かかっているのか」


 からし色の淡いカーテンを横にやって、メグリが窓を開けると、室内に暖かな日差しが差し込んできた。この部屋がこんな風に換気されるのはいつ振りのことだろう。いや、もしかしなくても……。


「初めてのことじゃないですか?この部屋がこんな気持ちの良い朝を迎えるのは」


「……気持ちの良いだって?」


 室内の方々へと隈なく視線を這わせていたメグリは、スイミの一言に敏感に反応して、くるりとこちらに厳しい視線を差し向けた。


「そんな表現、私にはとても思いつけそうもないな。朝はいつだって平等に億劫なものだよ。それにね、君が昨晩の時点から、つまり私とお別れの挨拶をしてから一晩の間で、まるで人間のするようにこれ以上生きていくのはご免だという結論に達した結果、この部屋で首を括ったというのならそれで構わないけれど……、君の様子を見るに、そうじゃないんだろう?」


「ええ、残念ながら……」


 メグリのどこか鬼気迫る物言いに、スイミはずいぶんと驚かされた。というより、呆気に取られたという方がより正確かもしれない。私は一体全体、どの時点で彼女の余計なスイッチを押してしまったのだろう。


「残念ついでにもう一つ、博士にお知らせしなければならないことがあります」


「なに?」


「私、昨晩二十二時十七分以降の記憶を保持していないのです」


 

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