第二話 凝固

「保持していない、というのはつまり、機械的なバグで消失してしまったということ?それとも悪意ある誰かの手によって、ごっそり抜き取られてしまったとでも言うつもり?」


「私の演算システムが正常に動作している限り、後者の蓋然性の方がずっと高いように思われます」


「……そう」


 ほっと息を吐くメグリ。窓際に寄りかかって、そのまま何の違和感もなく深呼吸の動作に移行する。彼女も彼女なりに、柄にもなく自分が興奮しているのを自覚しているらしかった。


「……博士。私、メグリ博士のことは誰より理解しているつもりでいます。ただ一つ言わせていただきたいのは、あまり研究テーマ以外のことに熱を上げるようなのは……」


「言われないでも分かっているよ、そんなのは。でもね、こういういわゆる密室?であってるのかな?そういう私がついつい興味をそそられてしまいそうな問題を持ってきた君の方にも、責任の一端はあるんじゃないのかってこと。私、何か間違ったことを言っている?」


「……」


「……いや、すまない。どうやら朝から、まだまだ頭が回っていないみたいだ。別にスイミがこのことに加担しているのか、それとも単に巻き込まれた被害者なのか、それすらまだはっきりしていないんだものね」


 そう言ってひらひらと手を振ると、メグリはデスクについた。それは彼女のこの部屋での定位置と言える。彼女は朝の九時ごろにはこうしてこの研究室に出て来て、パソコンに向かい、日夜研究を続けている。スイミの役目は彼女の言った通りに彼女の生活の補助であり、そしてその意味合いは広く、時には助手のまねごとのようなこともするだってあるくらいだ。


「……そういえば昨夜は、ちょっとしたパーティーがあっただろう?なんだったか、シュンギク博士だっけ?」


「ええ、彼の送別会です。よく覚えていらっしゃいましたね。博士はいつも、ご自身の研究テーマ以外のことはあまり記憶されていないことが多いのに」


 スイミが言うと、メグリはすっと目を細めた。これは睨んでいるの範疇に含んでもよいものだろうかと、彼女は思案する。なんといっても、データのほとんどは感情表現の乏しいメグリに基づいているのだ。判断材料があまりにも足りていない。


「……まったく、君はもう少しばかり、私以外の人間と接した方がいいのかもしれないね。アンドロイドというものは、主人とのコミュニケーションを通して、より適切で的確なものに成長していくものだと思っていたけれど、この場合私と君の、どちらに非があるのだと思う?」


「五分五分でしょうか?」


 スイミは言下にそう答えた。これは冗談交じりの返答でもあった。こんな風に質問されたことに対して、そのままの解答を提示しない遊びのような余計なものを入れ込むように彼女が進化したのには、十中八九、メグリの影響があったとしか思えない。そういう意味では、実にメグリの予想通りの成長を遂げたものだと、スイミは思うのだ。


「責任も成果も半分こというわけ……?子供じゃあるまいしなぁ」


 くるりと椅子を回転させるメグリ。こういう場合に、彼女はまだまだ仕事モードへの踏ん切りがついていないことが見て取れる。別のことに気を取られているのだ。 

 そして、そんな風に彼女の怠けてしまう要因を取り除くことも、スイミの業務の一つとしてプログラムされている。


「今現在、博士の仕事の能率を低下させている事象は何でしょうか?私にはそれを取り除く義務があります」


「……うぅむ。難しい質問だ」


「それはなぜ?」


「私は作業能率を上げるため、君にとてもむごい仕打ちをすることになるかもしれない。それでも構わない?」


「ええ、それが私の仕事である限りは」

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