第5話
運命のいたずらか、悲惨にもリア充になってしまってから迎えた初めての朝。
天気は快晴、心は大雨。
道行くリーマン、OL、学生皆尽く、私から放出される負の電波と舌打ちを避けていく。勝手に自分用の道ができるのだから、ただ歩いている分には城下に降りた王様や大海を渡るモーゼのようだ。
今向かっているのは学校とは反対方向、茜の自宅である。『彼女』としての最初のお勤めは朝に『彼女』をお迎えにあがることだそうだ。大変名誉な素晴らしい使命である。
小さい頃なら見慣れていたが、今では懐かしい気がする茜宅に到着。玄関の一段を登り、インターホンを目潰しするように一突。間も無く茜がドタドタと出てきた。
「おはよ、まりー!」
「おはようございます」
「どうしたの? なんか……顔色悪いよ?」
「……」
落ち着け私。そのきつく握った拳をゆっくりと解いていくんだ。まだ間に合う。
「ふぅ〜、ほら行くよ」
深呼吸を挟んでから、茜を置いてさっさと歩き出す。
「あ、ちょっとちょっと」
すぐに茜が横に並ぶ。
「はい」
「あ?」
ヤのつく自営業さんみたいな反応で目を向けると、そこには右手が差し出されている。
「手、繋ご?」
「はぁ? なんでそんなこと——」
『どんなことでも聞いてくれる?』『オーケー、オーケー』
どこからか流れてくる聞き覚えのある会話。
「……ねぇ、それ貸して」
「なんで?」
「いいから」
「え、やだよ。絶対まりー、トラックの前に投げるでしょ」
「ほう、よく分かったね。褒めてあげる。だから貸して」
「だからの使い方おかしくない?」
くそ。
ボイスレコーダーに同情していた自分はまんまと足元すくわれたわけだ。昨日のうちにトドメを刺しておけば良かったがもう遅い。茜はこの先も、初めてエアガンを手にした子供のように、いろんなところで持ち出してくるだろう。耳障りなあの機械を早急に破壊するのも今後の課題だ。
「ほぅら、手」
「くっ……」
私の手は無抵抗に茜に組み付かれてしまった。しかも俗に言う恋人繋ぎとかいう形態。自分が気持ち悪い行為をしているという事実に鳥肌の波が全身を巡る。このまま茜の手を潰してやろうとも思ったが、この前の体力テストで私の握力はせいぜい20キロもいってない。大して痛くも痒くもないだろう。
私弱過ぎ。
「ふふん」
鼻歌混じりで、背中に翼でも生えているようだ。
なにがそんなに楽しいんだ、不愉快な。
「ねぇねぇ、まりーはさ恋をしたら、やりたいことってないの?」
「あるわけないじゃん。あのね。私はまず恋をしたいと思ったことがない」
「ふーん」
それもそっか、と顔に浮かべながら茜は繋いだ手を大きく振った。
「私はあるよ」
うわ、聞きたくない。本当に。
「キス……したい」
聞きたくなかった!
「まりー、私とキス……しよ?」
茜は自分の唇に人差し指を置いて小首を傾げてみせた。あざとい。
私は美少女のラインは知らないけど、茜はまぁ間違いなく美少女に分類されると思う。そんな顔面から繰り出されるあざといムーブはきっと刺さる人には刺さるんだろうが、私には効くわけがない。逆効果とさえいえる。
「私はキスなんてぜぇったいしないから! 想像しただけで
不快な心情を包み隠さず吐き捨てた。
私は恋愛、そしてキスが嫌いな理由を何度も語っている。茜が知らないわけがない。ふとした雑談で色恋沙汰の話になると、私はリトマス試験紙のように分かりやすく難色を示して、毒づくからだ。
だから茜が私にキスを求めてくるのは理解できないというか、記憶失った? と疑ってしまう。
「私はまりーの唇欲しいよ? ツヤツヤでぷるぷるしてて。なにも塗ってないのにどうしてそこまで私を魅了するの⁉︎ あぁ神様これが至宝なんですね⁉︎」
「きっつ」
「おぉ冷てー。キンキンだこりゃ」
口と口の接触。
混ざり合う吐息。
ゼロ距離の淫らな顔。
それらを想像してしまった私は少し気分が悪くなった。
意味分かんない。
「キスのなにがいいの?」
湧いてしまった膿を出すために問いかけた。
けれどそれは『疑問』ではなくて『
別に答えが欲しいわけじゃない。アホらしい返答を得て、アホくさと一蹴したいだけだった。
「えーだって、キスって恋人っぽいじゃん」
「アホくさ」
思い通り。
「茜は恋人らしさ演出するため、恋人という関係性に箔をつけるためにキスがしたいの?」
私は繋いで手を上げてみせた。
「茜もキスは恋人の証って思うタイプ? だったらキスは飾りに過ぎなくて、それ自体にはなにも無いんだね」
「えーそういうわけじゃないけど……。なんか、こう……幸せ? 嬉しい?」
「なんでキスをすると嬉しいの?」
「んー好きな人と繋がる感じ。愛し合ってるって実感できて……」
「愛し合ってる? 私は違うけど?」
「いぁー」
茜はどうしたものかと頭を抱えた。見るからにパンク寸前だ。
茜は言語化するの苦手だからね。ノリとテンションで突き進む系女子。
「てか、まりーまた難しいこと言って私のこと黙らせようとしてる!」
そうだよ。ただの憂さ晴らし。私が今できる反撃。
「でも私はホントにしたいと思ってるから! はい決めた! 恋人期間中にキスするから絶対!」
「どうせ無理」
「ふん! やるもんね! キュンキュンなキスを味わわせてやる!」
「あーはいはい」
「なんなら最終手段襲うから!」
「催涙スプレーとスタンガンどっちが好み?」
「……どゆこと?」
極力手に力を入れないようにして歩く。軽やかな茜の歩幅に合わせているため、いつもの登校より数十分早いペースだ。学校に近づくにつれ、同じ制服が目立ち、更に女子には同学年を表す赤いリボンも見え始める。
私はサッと目線をつま先に合わせた。
「ねぇ、あれ紫水さんじゃない?」
「うっそでしょ、あの子人付き合いないじゃん」
「でもあれ」
「あ、ほんとだ。友達いたんだ」
追い抜くたびに浴びる好奇の声と視線。正門を越え、校舎に入るとそれはますます多くなった。
「見てあれ」
「紫水?」
「いつもぶすっとしてるのに」
「もう一人は小榑でしょ、バスケ部の」
「なんでだろ」
……うっせぇな。
今度は私が茜より速く脚を動かす。そうして私達の教室に入るにあたり、私は乱暴に手を振り払った。
「もういいでしょ、嫌なんだけど」
「えー、ま、そうだね。ありがと、いつもよりとっても楽しかったよ」
「こちらこそ最高な朝でしたありがとうございます」
「あ、まりー」
足に絡みつくような声を振りほどいて、窓際の椅子にドッカと座る。いかにも不機嫌な私から逃げて行くように、窓辺に寄りかかる生徒が散っていった。
別に好奇の目は慣れてるさ。
教科書を机の中に突っ込む。
もともと周りの人とは別な生き方をしている。違ったことをしてれば変な目で見られるのは当然。やつらはたとえ新しい物やスタイルが先進的であるとしても、既存の常識から逸脱したものは毛嫌いする生き物なのだ。
だけど。
なにか問題を解こうとワークを見つめるが内容は一切入ってこない。
だけど今回の好奇の目は常識から逸脱したものへ向けられたものではない。
この紫水茉莉花が周りの俗人と同じくだらないことをしている。心がどうあれ、その確かな事実には私のプライドを木っ端微塵にして、不機嫌のボルテージをMAXにする力があり過ぎていた。
そうしてイラついたまま午前中が過ぎていく。もちろん授業内容は頭に入ってこない。終いには今年度新採で来た気弱な超若手先生が「お、怒ってますか?」とビビってしまう程だった(これに関しては素直に申し訳ない)。
このままだと成績下がるんじゃないか? いや逆にもう下げて、それを口実に打ち切ってやるか?
流石にそれはナンセンスだわ、と思っていたらいつの間にかお昼休み。とりあえずいつも通り昼食を並べ、英単語アプリを起動する。
しかしそんなときにもやつはやってきた。
「まりー! 前座るよー」
「……は?」
前の生徒の椅子を滑るようにするりと回して私の真正面を陣取る。
「え、何?」
「え? 彼女なんだからもちろん一緒に食べよ!」
茜が周りなど一切気にせず声高々に言った。
教室の空気がサァッと変わった。まるで飛行機が雲海の中に突っ込んで周りの風景が一様に変わってしまう、そんな感じだった。朝私達を見ていた生徒からの「やっぱりか……」となにも知らない生徒からの「そうだったの……?」の困惑が入り混じる。
その困惑の理由ははやはり「あの紫水が」に帰結していた。
「は、はぁ⁉︎ なに言ってんの⁉︎ い、いつものバスケ部連中と食べてりゃいいじゃん⁉︎」
教室「あ、彼女の部分はべつに否定しないんだ」
そんな声にならぬ声が聞こえたような気がして否定するところを間違えたと気づく。慌てて訂正。
「て、てか
「いつもの友達にはこれから別の人と食べるからって言ってあるから」
訂正届かず。
バスケ部連中「別の人って彼女かよ、しかも紫水さん」
私のクラスのバスケ部所属が一斉に注目。中でも一人、目つき悪くじろじろと穴を開けんと睨め付けてくる。
「っ——!」
時既に遅し。
最悪だ。
机を目一杯殴りつける。5ダメージ。
できる限り、というか永遠に私がカップルなんていう低俗な存在になっていることは隠しておきたかったが、その願いは早くも初日にして砕け散った。こうなればやつらの情報拡散を止めることはできない。『学年一位の紫水がお付き合い⁉︎』の見出しでタイムラインは洪水状態になるだろう。回線落ちを願うしかない。
「ほらほらご飯食べよ」
「……嫌だって言ったら?」
「ふふん」
その手には憎きボイスレコーダー。
「勉強したいです」
「頭いいから大丈夫」
「……英語の成績落ちるかも」
「流石まりーだ、なんともないぜ!」
「……もういいや」
諦観とともに箸を手にする。
楽しい昼食なんて数える程しかないが、これは間違いなく人生で最も不快な昼食だ。
「見て見て〜この玉子焼き。今朝早起きして私が焼いたんだ」
「へー」
「ほら、口開けて。あーんしたげる」
「あ、わたしたまごあれるぎーであなふぃらきしーしょっくおこしちゃうんで」
「幼馴染なんだからそれくらい嘘だって分かりますぅ。はい、あーん」
「……」
まるで生気が宿っていない顎関節を動かす。周囲の痛い視線と玉子焼きと徒労に終わるだろう抵抗を一緒くたにして
味はなにもしなかった。
死にたい。
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