一月下旬

第6話

「今日はね、焼鮭なんだよ」

「へー」

 

 ピンポン。

 

「昨日スーパー行ったら、いい感じで脂がのってる鮭があってね」

「うん」

 

 ピンポン。

 

「やっぱ鮭は自分の目で選ばなきゃダメよね」

「そうですね」

 

 ブブッ。

 

 “insist”と“resist”を混同しちゃう現象に病名をつけたい。紛らわしいわ。

 

「てことで、はいあーん」

「……」

 

 無感情、無感情。なんにも思わない。

 

「あ、美味しいですね」

「でしょ!」

 

 茜と付き合ってから数週間が経ち、毎日こうしてともに昼食を取ることにも慣れてきた。というより私はルーティーンのようにこなす不毛なイベントに感情を殺すようになってしまった。人間の適応能力とはすごいものなのだなとしみじみと実感する。

 ブブッ。

 

 あ、また間違えた。

 

 最初との変化といえば、私は前に戻って昼食時に英単語を勉強することが許された。というのも勉強とはやはり積み重ねであり、英単語テストの点数が三回連続低下してしまったのである。毎回満点だったのに一問、二問とチェックが増えていく答案用紙は軽くトラウマだった。

 

 これは由々しき事態として、証拠のテスト用紙を茜へ叩きつけて直訴じきそ、更に私の今までの学習データとこのまま見込まれる学力低下の予測グラフと馬鹿でも分かるプレゼンによって、ようやく勉強の権利を得たのだった。学習権や教育を受ける権利とはこのような過程を経て得られたのだろうか。先人達の努力を垣間見た瞬間だった。

 

「ねぇねぇやっぱり紫水さんってさ……」

 

 教室の端の方から聞こえるひそひそ声。

 

 うざ。

 

 相変わらず周囲からの反応は癪に障る。

 

「こらこら、箸が止まってるぞ。ほら口開けて」

 

 口の中にお弁当特有の冷めた白米が入ってくる。

 しかし英単語の勉強しながら勝手に口に食物が入れられると考えれば効率がいいのでは、と最近思い始めている自分もいるのだ。人間の、悦楽えつらくでもあるが枷でもある『食事』を半自動化できているのだから好都合。茜も一緒に食事をしている現状をよく思っているみたいだし、お互いウィンウィンなのかもしれない。

 

 いや待て待て。何を言ってるんだ私。ウィンウィン? なわけねぇだろ。可能なら今すぐこの椅子と机を蹴るぞ。胸糞悪い。

 

 無意識に心理的防衛機制の一つである合理化が行われている。危ない危ない。

 

「まりーがこんなに打ち解けてくれて私は嬉しいよ。小学校のバーベキューとか以来じゃない? おーいおいおい」

 

 感慨深いといった様子で目頭を抑える茜。おいおいおいなんて泣く人も今時いない気がする。

 

「は? 今すぐやめてやってもいいんだぞ」

「おや、それは自らの主義に反するのでは? お礼はしてもらわないと」

「ちっ」

「ふふふ〜」

 

 スマホに浮かぶ“memory”の英単語。

 記憶。

 全く、こいつの記憶を消せたらどれだけ楽だろうか。ハンマーで殴ると記憶が飛ぶみたいなのは成功率高いのか?

 

「はぁ」

「ねぇねぇ、祐介」

「ん、何?」

 

 自分でもなにか口に入れようと勉強モードから切り替えたとき、ちょうど隣のバカップルの会話が聞こえてきた。確かクリスマスのときの例のやつらだ。不快過ぎて記憶に刻まれている。

 

「今度さ面白い映画見に行きたいんだよ〜」

「どんなの?」

「あれ、話題になってるやつ。『カメラを止めるんじゃねぇぞ……』ってやつ」

「あーあれな。テレビでよく見るわ。よし! 彼女のお願いとあらば聞くしかないな」

「やった! 祐介好きぃ」

 

 隣から布地が擦れ合う音が聞こえてくる。音と少しくぐもった声で何をしているか察するのは容易だ。

 勢いよく、怨恨えんこんを込めて箸をミートボールに突き刺す。映画とかの話はよく分からないがあの二人が気持ち悪いというのは感じることができる。今回はこの肉塊をやつらの頭に見立てることで気を鎮めよう。

 

「ん?」

 

 貫かれた肉塊を持ち上げたところで、さっきまでうるさかった茜が静まっているのに気づく。どこか嫌な予感をしながら見ると。

 

「……」

 

 案の定そこのバカップルを見つめている。表情一つ変えずにぼーっとだ。

 

 ……これまずくないか。

 

「ちょちょちょっと待て。あんた今変なこと考えるでしょ! あれみたいに脇目も振らずにイチャつくとかなんとか。私絶対嫌だからね! やめてよ!」

 

 当人に聞こえるのもお構いなし。

 茜のことだ。私達も対抗して、とか言い出す前に食い止めねばならない。これ以上は私のメンタルが崩壊する。

 とにかく茜の視界に馬鹿どもが入らないよう、手を広げて間に割って入る。前門の茜、後門の馬鹿という状況。最悪の事態を想定する。もしも無理くりイチャつこうとするものなら、この右手の箸が次に突き刺すものは顔についたミートボールということになる。ちょうど二本あるから数もいいだろう。

 

「え? 大丈夫大丈夫。まりーが考えてるようなことはしないよ」

 

 フーッと威嚇する猫のような私に対していつもの明るい笑顔で返す。しかし逆立った体毛が落ち着くことはない。茜は笑顔で人を弄ぶタイプなんだということを最近散々思い知った。

 

「ほらほら怖い顔しないで。座って猫さん」

「うっさい」

 

 イチャつけってことじゃないのか、大丈夫か?

 

 警戒レベルをほんのほんの少しだけ下げて椅子に戻る。さっきから後門が騒いでるが知らん。

 

「どうせまりーはあの子たちみたいにくっつくのは嫌! って思ってたんでしょ?」

「そう」

 

 幼馴染なだけはある。ご名答だ。

 

「いやぁそこじゃないんだよねぇ、考えてたの。あーおばちゃんいいこと考えちゃったわ」

 

 食べ終わったお弁当を片づけ、食後の水筒ティータイムに入る。すぐに私も食べ終え、マイボトルの青汁を口にした。健康的で美味しい。

 

「ふぅ、なんだよババァ」

「こら、おばあちゃんじゃなくておばちゃんです」

「同じだババァ」

「むぅ。てかそこじゃない」

 

 金属製の水筒を半鐘はんしょうにして鳴らしながら唇を曲げる。

 

「じゃなに?」

「デートしよ」

「……でぇと?」

 

 カタカナ語に疎い田舎っぺみたいに問い返す。

 

「それって二人で出かけるってこと?」

 

 その鼻持ちならない名前は気にくわないが、デートを二人っきりで出かけることと定義するならば、茜とは数ヶ月に一回はデートしていることになる。茜がどこか遠い場所、例えば電車の乗り換えが多く必要な場所にはアホ担当ガイドとして呼ばれることがあるのだ。乗り換えやら時刻表やらを精査して、茜の希望通りのプランを作ってやるのはめんどくさいのだが、彼女の親から頼まれることもあるので断りにくい。

 

「デー……それは今までとはなにか違うの?」

 

 その言葉を使うとどこか不愉快なので意識的に避ける。

 

「餅ロンドン! よくぞ聞いてくれた」


 ふんす! と胸に親指を立てる茜。やけに快活である。

 

 あれ、私地雷踏んだ?

 

 そう思ったときにはもう遅かった。

 

「まりーとたっっくさんイチャつきながらお出かけします」

 

 ……聞かなきゃよかった。

 

「断固反対!」

 

 国会前のデモ行進のように声を上げる。『反対』の看板を持ってたら空に高く突き上げるだろう。

 

「え? なんで? ラブラブできるんだからよくない?」

「なんでもなにも、あのクリスマスの悪夢の一部に加担しろってことでしょ⁉︎ 絶対よくない!」

 

 ベタベタカップル、自撮りカップル、姉夫婦、その他諸々が過激なフラッシュを伴ってスライドショーにされる。

 

 うっ、頭が……。

 

「デートルートも私が作ってあげるから。今回はまりーには苦労かけないから」

「それが心配なんでしょ⁉︎」

 

 それだったら私がプランニングして延々と山手線ぐるぐるしてやる。乗った駅に戻ってくるんだから交通費も少なく済むぞ。あ゛ぁ⁉︎

 

「とにかく!」

 

 茜を真正面から刺し貫くように人差し指を向ける。紅い瞳に自分の目を据えて、決して動じずに言ってやった。

 

「さっさと諦めな! 私はそんなのぜぇったい、行かないからね!」

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