世界を渡る

 

「世界に危機が迫っている」

「聖女様、危機とは、どんな……?」

「……『青き蝶』、星の輝きを宿す厄災」

「!? そ、それはかの予言の!?」


老いてなお情熱を宿す瞳が、若き神官を見つめる。


彼女の唇から零れたのは神話に記された古い予言の一節。


「『天翔る龍、夜空を穿ち、厄災の蝶が飛来せん』……先日、龍の息吹があったな」

「では、これから厄災が……!? で、ですが聖女様。その予言によれば『青き蝶』は異界から現れた勇者によって討ち払われると……」


聖女は目を閉じた。教会の威厳ある広間で、窓を透過した光が彼女の白い髪を柔らかな金色に染めている。


「既に……」


聖女が涙を流す。


「厄災は既に飛来している」

「なっ!?」


ザワザワと混乱が広がる。しかし続く言葉で再び静寂が教会を包んだ。


「予言の通りに勇者が厄災を払うとして、その犠牲までは書かれていない。由々しき事態だ。我々は勇者を呼ぶべきだ」

「……そ、それは……つまり、女神様と契約を……?」

「そうだ。我々は既に後手に回っている。すぐに準備を」

「わ、わかりました!」


聖女様と呼ばれた女性が教会から去ると、途端に騒がしくなりバタバタと動き始めた。


窓からヒラヒラとアゲハ蝶が飛んでいった事に誰も気が付かなかった。



「いただきます」

「さて、喰うか」


テーブルに乗っているチミチャンガには、具がぎっしりと詰まっていてソースもたっぷり掛かっている。


こんなに余裕を持って暮らしているのには理由がある。


そもそも、魔力をどこから送っているのかが判明したからといって急いで喰いに行く必要も無いんだよな。


確かに今すぐにでも喰いに行きたい。だが、戦闘の為の武装と力と情報を蓄えてからにすることにした。


具体的には、現段階で作れる最高の科学技術を詰め込んだレーザーブレードや、生物由来の毒と除草剤に使われるような化学物質を混ぜた新しい毒を作成中だ。


それと同時進行でこの星全体に思念を飛ばし、昆虫と小動物を支配下に置いて盗み聞きもしている。


「ん〜! 美味しい!」

「ふふっ、それは良かった」


何かを与えるのも楽しいな。


「そういえばなんだか面白いことを聞いたぞ、パルヴァーデ」

「んむ……面白いこと? どんな?」

「いや何、私は光恒神話というのにいるらしくてな、『青き蝶』っていう厄災らしいぞ? 神話デビューは初めてだな!」

「ええ……? というか光恒神話って何? この国のじゃないよな?」

「ああ。ルクス聖王国の国教だ」


家の中で食事をしながら、海の中で魚を喰らいながら、実験場で機械を作りながら、蝶を介して聞いた話をする。


「ルクス聖王国っていうのは……ここ程じゃないがそこそこ発展してる国で、見た感じは宗教国家……信仰国家だな」

「その2つってなんか違うのか?」

「ちょっと違う……が、大体は一緒だな。ルクス聖王国は宗教というよりは信仰だし、法律も信仰とは完全に分かれてるからな」

「ふーん……」


パルヴァーデが冷えた麦茶の入ったコップを口に付ける。


「それにあれだ、別の次元の地球からなんか連れてくるらしいぞ?」

「…………えほっ……! そ、それは本当なのか!? そんな事が出来るのか!?」

「私もそう思ってよくよく調べてみたんだが、これがすごいんだ! 『女神』とやらがいて、そいつがやるらしいぞ!」

「えー? 『女神』ぃ……? なんか胡散臭いというか」

「ふふ、パルヴァーデ。私はそいつが魔力を送ってきているんじゃないかと睨んでいてな」

「! なら!」

「そうだ」


チミチャンガに大口を開いてかぶりつく。


「ん、あー美味い……そろそろ引っ越しになるかもな。どうする? 私はここにも居れるが─」

「私も行く! 私も『女神』とやらを見たいぞ!」

「決まりだな! だが、装備が完成してからな」

「なら手伝う!」


◆◇


一般的な男子高校生、伊藤アキは窓際の席で1人寂しく昼食をとっていた。


一緒に食べるような友だちも、自分から話しかけに行く勇気も彼にはなかった。


「竹ちゃん! 購買いかね?」

「おう、お前の奢りな!」

「は? 自分で買えよ」

「は〜? 誘ったのはそっちだろ〜?」

「はー?」「は〜?」


「─でさでさー! 昨日のケイくんチョーヤバかった!」

「マジで? ウチも行けばよかったわ〜」

「もうスリーポイントめっちゃ入れてんの! ほんとカッコイイ……! 試合終わった時こっちに手振ってきてんんーー!!」

「うわ惚気かよぉ!」

「ウザ! てか、ちょっと前までのじれったい感じはマジ何だったん?」


「斎藤くん、飯田くん。来週のゆめたんのライブ……もちろん?」

「行く。当たり前だよなぁ」

「推しのライブだからね、そりゃあね?」

「…………僕の分まで、楽しんできて」

「「え?」」

「抽選……落ちちゃった! いやー参っちゃうぜ!」

「「あっ……」」

「そ、そうだ瀬戸、唐揚げいるか?」

「んまぁ、外れる時は外れるからしょうがないね。マカロニ食えよ」

「マカロニなんかいるかっ! くそー! チケットを寄越せ!」


(……毎日毎日、うるさいな)


彼が教室の騒々しさに苛立ちを覚えるのは無意識の嫉妬だろう。


熱中できる趣味があれば違ったかもしれない。今からでも遅くはないかもしれない。


でも、そうはならなかった。


放課後。


「─以上でホームルームを終わります。あ、進路表出してない生徒は残って書いてなー。はい、さようならー」


(進路……)


5分もすれば大体の生徒が教室からいなくなった。


放課後の教室に残ったのは伊藤アキと担任の先生を除いて3人。


サッカー部の竹シュン、美術部の瀬戸ヒカリ、写真部の大宮ライ、男子1名に女子2名だ。


「ん、あれ? 瀬戸さん進路決まってねんだ。意外」

「いや第一志望は決まってる。でも第二第三をちょっと迷っててね……大宮さんは?」

「え? ウチは紙無くしただけだし?」

「無くすなよ!」

「え!? 大宮無くしたの!? えー、ちょっと紙取ってくるから待ってて。あと、次からそういうのは早く言いなさい」

「はーい、すんませーん」

「んもー頼むよー?」


担任が教室からいなくなった。


「てかまずいのシュンじゃねー? お前大学行けんの? 普通の推薦だとテストあんだよ?」

「えっ? マジ……?」

「うわー竹くん終わったね」


疎外感。


まるで空気のような扱い。


これが日常、これが当然。


しかし、その日常は突如として終わりを告げた。


「マジかぁ……ま、俺には実家を継ぐという選択肢も……ってなんだこれ!? ちょ、足足足!」

「何、なにナニ!? 何これ!?」

「……!?」


突如として足元に光り輝く幾何学的な模様の何かが現れた。


(魔法陣!? これってまさか──)


教室から4人だけが消えた。


「大宮ー、紙持って……みんなー? どこ行ったー? 全員でトイレ? えー?」


教室の観葉植物から小さな青い蝶がひらひらと舞い、彼らを追いかけるように次元を超えた。

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