未熟な夜


 未熟な夜空。


 昼の熱が地面の奥にまだ潜んでいて、風はようやく涼しさを取り戻しはじめていた。空は夜に染まりきれず、どこかためらっているように見える。群青ぐんしょうの奥に、薄い白がしぶとく残っている。そんな空を見上げながら、私は足を止めた。


 未熟という言葉には、どこかやさしい響きがある。

 完成していないこと、途中であること、欠けていること。

 それは『まだこれからである 』という雰囲気があった。


 夜の世界は静かに呼吸している。昼の名残と夜の予感が、溶け合いもせず、争いもせず、ただ並んでいた。そんな曖昧さが、どうしようもなく美しく、私の目を奪う。


 風通しのよくなった季節は長袖の袖口を押し上げて、私は人気のない道を歩き始めた。

 遠くの家々から、夜食やしょくの香ばしい匂いがかすかに漂ってきて、誰かの生活が、窓の奥で確かに息づいている。


 なのに、この道には私しかいない。周りを見ても人っ子一人いない。私の足音だけが、舗道ほどうの上で小さく跳ね返った。


 夜は、まだ夜になりきっていない。

 星たちも準備を怠けているようで、いつもの星よりも元気がない。

 その不完全な光の群れを見上げていると、まるで私自身を見ているような気がする。


 まだどこかで迷っている。

 まだ何かを手放せずにいる。

 だけど、それを恥じる気にはなれない。

 この空のように、未熟であることは、まだ希望を手にしているということだから。


 私は未熟な夜が吐く空気を、深く吸いこむ。


 草の匂いと、夜の湿り気と、夜食の暖かな気持ちが混ざり合って、深く、胸の奥にしみてくる。


 未熟で、曖昧で、どこか頼りなくて、それでも、ホッとする夜。


 空気を吐き出すと、魂まで抜け出してしまいそうだった。


 私もこの夜のようにまだ完成してはいない。でもこの夜をこえて、私は、少しだけ完成に近づいていく。


 ……そんな気になった。






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