雨降りの証明



 夕暮れ時の雨。


 街灯はまだ灯らない。オレンジ色の雲は、太陽を透かしてみせる。

 雨粒が斜めに降り、アスファルトを叩く音が、シトシトとしながら、しだいにパラパラと強さを増す。

 私は傘を持っているというのに、靴はすでに水を吸い、歩くたびに冷たい感触が襲ってきた。


 水の匂いと、濡れた土の匂いが入り混じる。

 そして、わずかに冷たい風が運んできたのは、信じられないくらい澄んだ匂い。まるで、遠い場所の空気をそのまま持ってきたみたいに。


 そんなとき、私の前を歩いていた貴方が、突然傘を下ろす。

 雨粒が容赦なく貴方の肩を濡らし、髪をかきあげると、髪先から雫が跳ねた。

 振り向く貴方の瞳には、夕暮れの色がそのまま映っている。


 貴方は、私の名前を呼ぶでもなく、声をかけるでもなく。

 ただ、こちらを見ている。それだけなのに、胸の奥がぎゅっと締めつけられる。


 私は私の格好なんて、さっきまで気にも留めなかったのに、途端に気になり出した。

 靴先は見失うし、スカートの裾も少し重くなっている。

 お辞儀していた傘の陰に隠れたまま、ほんの少しだけ傘を上げた。

 その仕草を、貴方は微笑んで見守っている。


 ……その笑顔は、私が瞼を瞬かせるたびに、少しずつ崩れていく。

 笑おうとするのに、悔しさの影が滲む。まるで、何かを取り戻そうかと思うように。


 ぼやけた視界の中で、私は温もりを探す。

 でも、手の中には、そんなものはない。

 差し出せば届くかもしれない距離なのに、足は地面に縫いつけられたみたいに動かない。


 その距離は、たった数メートル。

 でも、どうしようもなく遠い。


 これが最後の帰り道。

 いつもなら隣りで笑いながら軽口でも叩きあっているのに、今日は一言も話していない。


 貴方に恋人が出来たら、親友の私は、貴方から離れないといけないらしいから。


「そんなのおかしいよ」


 そう言いたくて、私はキュッと唇を結んだ。


 矛盾した行動だとわかっているのに、結び目は固くてほどけない。

 もし声を出してしまえば、貴方の幸せを壊してしまいそうになる。


 傘の柄を握る手には、知らぬ間に力がこもっていた。

 貴方との時間が終わることは悲しかった。それは濡れた頬の温かさが証明している。


 雨が傘を叩く音が、また少し強くなる。

 風が傘の縁を揺らし、しぶきが頬をかすめた。

 熱を帯びた肌には、ちょうどよかった。


 貴方はまだ、私を見ている。

 一歩踏み出すか、声を出すか。

 選ばぬままに、時だけが過ぎていく。




 そして、結んだ口がようやく開くころには、



 ……雨が止んでいた。







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