第10話 菫の咲く旗の下で
都から領地に戻って、ひと月ほどが過ぎた頃だった。
領地の巡回から戻ると、館の入り口に一人の少女が立っているのが見えた。まだ幼さが残る顔立ちだが、その背筋はまっすぐに伸びている。彼女は、きつく両手を握りしめていた。
「ホーエンヴァルト子爵様からご紹介を賜りました、リーゼロッテと申します。ヴィオラ先生の生徒だった者です」
彼女はそう言って頭を下げた。手には子爵からの紹介状が握られていた。軽く挨拶を交わし、応接室にリーゼロッテを通すと、これまでの経緯を聞いた。
子爵が慈善活動として設立した、ヴィオラを記念する学校は、誰もが学べる場所として開放されたという。そこにリーゼロッテが入学し、修了する際の答辞で、ヴィオラ先生のような教師になりたいと夢を語った。それを聞いた子爵が後見人となり、上級学校へ通わせてもらい、彼女は次席で卒業した。つまり、学業においては最も優秀な生徒だったのだ。しかし、既存の学校組織や貴族の家庭教師になるには、相応の身分や経験を必要とする。そのため、リーゼロッテは教師になる夢を叶えられずにいた。子爵が設立した学校で、見習いとして働いていたという。
会話の中で、リーゼロッテは時折、ヴィオラのことを「姉様」と呼びそうになり、慌てて「先生」と呼び直していた。
「先生は、私たちに多くのことを教えてくださいました。読み書きだけでなく、夢を持つこと、そして、その夢を叶えるために努力すること。先生は『誰にも譲れないことを見つけたら、絶対に諦めないように』と何度もおっしゃってました」
その言葉を聞きながら、彼はなんて真っ直ぐな視線で語る少女なのだろうと考えていた。ヴィオラを姉と慕い、教師になるという夢を叶えるために、身分というどうにもならない壁にぶつかっても諦めず、ひたむきにもがき、そして、ここに来た。
彼は長い間、後悔していた。もしあの時、自分のつまらぬ意地を捨てていれば、なりふり構わず彼女に向き合っていれば、彼女は死ぬことはなかったかもしれないと。だが、それは間違いだった。彼女は夢を追いかけ、身命を賭してそれを貫いた。彼女はそれを誇りとしていた。そして、その意志は、確かに、この少女にも受け継がれていた。
「どうか、私をお雇いください。姉様の夢を、わたくしも一緒に叶えたいです」
少女の決意に満ちた言葉に、彼は頷いて、右手を差し伸べた。少女の小さな手を握り、力強く言った。
「ヴィオラの夢のためにも、まずはここを良い学校にしなければならないな」
少しだけ言葉に詰まりながらも、彼はそう言って、笑顔を見せた。それは、彼が何年も忘れていた、心からの晴れやかな笑顔だった。深い悲しみと後悔は、希望へと変わっていた。
領主館の屋根には、辺境伯騎士団の旗の隣に、もう一枚の旗が掲げられている。彼の領地の旗であり、そして、決意でもあった。
『小さな花ですが、とても丈夫なのです』
決して折れない。彼女が貫いた意志のように。
紫色の小さな花が描かれた旗が風に揺られて、ゆらりと、はためいていた。
紫色の小さな花 エーカス @ma1eph
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