第3話 挫折
あの屈辱的な夜から数日、俺は自室に引きこもっていた。
腹の痛みはとうに消えたが、心の奥深くに突き刺さった棘は鈍い痛みを放ち続けている。
学校は休んだ。転生の可能性という翼をもがれた気持ちであの教室に行く勇気が湧かなかった。
ふとPCの電源を入れると、嫌味のようにデスクトップの中央に鎮座する『異世界転生考察』フォルダが目に入った。
数日前まで、俺の聖典であり希望だったものだ。だが今はただの痛々しい妄想の残骸にしか見えない。
俺は自分を塗りつぶしたかった。
絶望した黒い気持ちを真っ白に…
無意識に、新しいドキュメントを開いて、何も書かれてない真っ白なモニターを前に「そもそも論」を考えてみた。
問1. なぜ俺は転生したいのか?
キーボードを叩き、ありきたりだが正直な答えを書き連ねる。もはや翼を失い地上に落ちたイカロスには格好つける相手などいなかった。
「特別な存在になりたいから」
「今の現実から抜け出したいから」
「あいつらを見返したいから」
「ちやほやされたいから」
俺はさらに深く自分に問いかける。
なぜ特別な存在になりたい?
━━ 今の自分が、あまりにも無価値だからだ。いてもいなくても世界は何も変わらないから。
毎日教室でうすうす感じていたが見ないようにしていたことを言語化してしまった。
なぜ現実から抜け出したい?
━━ この世界で、人と関わることが怖いから。傷つけられるのも、無視されるのも、うんざりだ。
書けば書くほど自分の醜い弱さが浮き彫りになっていく。嫉妬、劣等感、そして何よりも生きることに対する圧倒的な不信感と恐怖。
そして俺は最後の問いを立てた。
俺が本当に望んでいることは異世界に行くことか?チート能力を手に入れることか?
違う。
指が勝手に動いていた。
俺は異世界に「行きたい」んじゃない。
ただこの世界から「逃げたい」だけだ。
この息苦しい現実から。
この無力で、惨めで、臆病な自分から。
ここではないどこかへ逃げたい。
それができないのならいっそ消えてなくなりたい。
打ち終えた瞬間全身から一気に力が抜けた。
ああそうか。俺の転生願望は希望なんかじゃなかった。ただの逃避願望だったんだ。
その事実に気づいた時、不思議と涙は出なかった。心のどこかで既に知っていたことをただ脳に伝えただけという感覚だった。
その瞬間乾いた笑いがこみ上げてきた。
なんて滑稽なんだろう。
逃げたいだけの人間は、たとえ世界が変わったところで幸せになれるはずがない。
きっと転生先でもまた何かから逃げ続けるだけだ。
俺は『異世界転生考察』フォルダを、デスクトップのごみ箱アイコンの上までドラッグした。
だが、指を離すことができなかった。
これを消してしまったら、俺の空っぽの青春が本当に無価値になってしまう気がした。
いつの日か、今よりもっと成長した自分がーもしそんなことが万一起きればだがー 懐かしくこのフォルダーを見ることができるように…
そのために…俺のかつての弱さと愚かさの記念碑としてこれを残しておくのはどうだろうか…
フォルダは元の場所に戻した。
しばらくはもう開くことはないだろう。
窓の外はもう夜の闇に包まれていた。
転生という逃げ道を自ら塞いでしまった今、俺はこの世界をこの身体のまま生きていかなければならないという「十字架」を背負ってしまった。
覚悟を決めた。
絶望的な事実のはずなのに、なぜかほんの少しだけ胸のつかえが取れたような気がした。
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