最終章 ここではないどこかへ

 数日ぶりに制服に袖を通し鏡の前に立つ。そこに映っているのは相変わらず冴えない顔をした取替可能な高校生だった。

  

 ━━ 特別な「スキル」なんて何もない。これが俺だ。


 俺は自分から目を逸らさず、半ば開き直るようにそう言い聞かせた。

  

「行ってきます」

  

 誰に言うでもなく呟き、玄関のドアを開ける。久しぶりの外の空気は少しだけ新鮮に感じられた。

  

 今日の俺には一つの目的があった。

  

 それは、転生願望があったときからずっと考えていた最高難易度のクエスト。

  

 ――隣の席の佐藤さんに、「おはよう」と挨拶する。

  

 逃げるのはもうやめた。たとえ失敗して気まずい空気になっても、転生なきこの停滞した人生に石ころの一つでも投げ波紋を起こしたかった。

  

 朝から転生候補者を探さなくなった脳はどこかぼんやりしていて、いつかのサラリーマンのようにあくびしながら歩いていた。

  

 それは学校のすぐ手前、大きな交差点の横断歩道に差し掛かった時だった。

  

 赤信号で足を止めると、目の前にあの公園の親子がいることに気づいた。

  

 男の子は母グマの袖をしきりに引っ張り、道路の向こう側を指差している。彼女の方はスマホの画面に視線を落としたまま、ちょっと待ってねと返事をしている。男の子が指差す向こうの横断歩道には、小さな芝犬をつれたおじいさんの姿が見えた。

  

 やがて信号が青に変わる。

  

 その瞬間、彼は待ちきれなかったとばかりに母親の手を振りほどき子犬に向かって駆け出した。

  

「あっ、ゆいとっっっ!!!!」

  

 母グマの最大級の警戒態勢の声が周囲に響く。それと同時に俺は目の端で右端から猛スピードで直進してくるトラックの巨大な影を捉えた。

  

 時間が引き伸ばされたようにゆっくりと動き始める。

  

 男の子の小さな背中。

 けたたましいクラクション。

 母親の大絶叫。

  

 思考が追いつく前に俺の身体は動いていた。計算も、打算も、善行ポイントなんていう下心も何もなかった。

  

 ただ目の前の光景があってはならないことだと思った。

  

 俺は全力で横断歩道に飛び出し男の子のその小さな体には不釣り合いなランドセルをありったけの力で前へと蹴り飛ばした。その小さな身体が前に吹き飛ぶ光景がスローモーションで見えた。

  

 そして彼はそのまま前のめりに地面に転がる。ちゃんと手を先に地面につけてるところまで確認できた。

  

 ――良かった。

  

 心の底から安堵したその瞬間、引き伸ばされていた時間はゴムの縮小のように加速度的に元に戻り始める。

  

 次の瞬間、右側から巨大な漆黒の影と鼓膜を破るような轟音が俺をまるごと飲み込んだ。

  

 視界と意識がブラックアウトする刹那、脳内に直接声が響いた。

  

 《――規定に基づき、転生プロセスを開始します》

  

 ああこれか。

  

 数日前までの俺が、何を犠牲にしても聞きたかったあのメッセージ。


 だが今の俺にはもうそれが本物の女神様の声なのか、それとも死を覚悟した脳の最後の断末魔ー幻聴ーなのか分からなかった。

  

 そして、今となってはそのどっちでも良かった。

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いつになったら俺は転生できる? ゆうた @yutateru

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