雨の日の大好きな肌触り

弥生 知枝

雨の肌触り


 雨は嫌い。


 髪が広がるから。プリーツスカートの裾が濡れるから。教科書が湿っちゃうから。


 何より、背中を見るだけの彼との距離が、傘の分だけ遠くなるから――


 だから雨は嫌い。



 けど



 ヒタリと頬に当たる感触。これは好き。無機質で固い傘の柄だけど、胸が温かくなる。


「ふふ、傘好きな変わりモノみたい」


 呟いて、柄の馴染んだ感触を頬で堪能する。


「でも、雨の日だけの細やかな楽しみなんだもん。良いよね」


 シンプルで校則をしっかりと守った紺色の傘。一見普通ではあるけれど、雨の日の憂鬱を「好き」に変えるトクベツな仕掛けがある。


 特徴のない傘の花が並ぶ歩道の先。すぐに目当ての背中に視線は引き寄せられた。


「おはよ」


 ずっと距離は空いていて、聞こえないと確信しつつ、目の前の背中に小さく声を掛ける。


 反応なんて無い。なんなら最善のゴールは気付かれずに学校まで到着することだから、このままが良い。


 すり、と傘の柄に頬擦りすれば、開いた距離と雨で冷えていた心がちょっぴり温まる。


 頬に微かに引っかかる感触は、彼の名前を書いた小さな『お名前シール』のモノで……



 ぐるん



 と、目の前の傘が急に振り返った。

 紺の庇の下では、大きく見張った彼の目が、ピタリとわたしに焦点を合わせる。


 やば


 気まずさを紛らわせたくて「おはよ」と声を絞り出す。が、挨拶は返ってこない。


「あ、え? オレの?」


 視線をウロウロと泳がせた彼が、ひたすら狼狽えている。


 妄想まみれの尾行に気付かれた気まずさに、頬が急に熱くなって、ガビガビと引き攣れた感覚までする。

 片想いから踏み出せなくて、背後を付いて歩くだけのわたしなんて不審者でしかない。最悪だ。


 居た堪れなくて、急いで追い抜こうとしたのに——


「いや、ちょっと待った!」


 焦った声と一緒に、真っ直ぐわたしに向けて伸ばされた手がそっと頬をなぞる。


 傘の柄とは違う、温かい感触に背中がゾクリと震えた。なんのご褒美だろう、これは!? 身体中が熱を持って全身が心臓になったみたいにドキドキする。


「これ、シール」


 彼が口元をもにょもにょさせながら、頬をなぞった人差し指を向けて来る。


 指先には彼の名前が書かれたシール。もちろん筆跡はわたしのものだ。


 ざっと全身から血の気が引く心地を味わっていると、もにょもにょしていた彼の口が開く。




「ホントなら嬉しい」






 その日から、雨の日の大好きな肌触りは――


 想像よりもずっと温かくて、くすぐったいものに変わった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

雨の日の大好きな肌触り 弥生 知枝 @YayoiChie

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画