第23話



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**『京都祇󠄀園四条大橋心中』より**


**作者:志乃原 七海**


母親の甲高い声が、冷え切った部屋の空気を切り裂く。

その罵声が、鞭となって菜々美の心を打つ。

その瞬間、田中和夫の中で、張り詰めていた最後の理性の糸が、音を立てて断ち切れた。


「やめるのは、あんただよっ!!」


自分でも信じられないほどの、腹の底から絞り出したような怒声だった。

教師としてではなく、ただ一人の人間として、目の前の理不尽に突き動かされた魂の叫び。


シン、と世界から音が消えた。

罵声を浴びせていた母親も、残飯を口にしていた菜々美も、まるで時間が凍りついたかのように動きを止める。菜々美の小さな手から、握りしめていた鶏の骨が、カタリと音を立てて床に落ちた。


母親の、和子と呼ばれた女が、ゆっくりと田中の方へ顔を向けた。

酔いと怠惰で濁った瞳が、初めて闖入者の存在をはっきりと認識する。その目は、驚きよりも先に、自らの領域を侵された獣のような、不快と侮蔑の色をありありと浮かべていた。


タバコのヤニで黄ばんだ唇が、嘲るように歪む。


「は?」


低く、吐き捨てるような一言。

たっぷりと間を置いてから、彼女は気だるそうに身体を壁にもたせかけ、値踏みするように田中を頭の先から爪先まで眺めやった。


「……あんただれね?」


それは問いかけではなかった。

あんたなんかに、何がわかるの。あんたなんかが、何様のつもり。

言葉にならない毒を含んだ響きが、ねっとりと田中に絡みつく。


田中は、はっと我に返った。自分が教師という立場を、完全に逸脱してしまったことに気づく。だが、後悔はなかった。

ただ、目の前の少女の、虚ろな瞳が自分をじっと見つめている。その瞳の奥で、ほんの僅かに、今まで見たことのない光が揺らめいたのを、彼は見逃さなかった。


それは、絶望の淵に差し込んだ、一条の光だったのか。

それとも、地獄の釜の蓋を開ける、破滅への誘いだったのか。


冬の弱い日差しが、部屋に散らばるゴミを白々と照らし出している。

この日を境に、もう二度と、元の場所へは戻れない。

田中は、ただ静かに、その運命を覚悟していた。

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