第14話
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### 「京都祇園心中」 第十二話
あの夜以来、和夫は抜け殻のようになっていた。昼間は安宿に閉じこもり、夜になると決まって菊乃の店に現れ、カウンターの隅で黙って酒を飲む。佐知子のことを口にすることもなくなったが、その瞳の奥で燃える執着の炎は、消えるどころか、静かに燃え盛っていた。
一方、菊乃は焦っていた。
和夫と佐知子。あの二人の間には、一体何があったのか。あの化け物のような娘を作り上げた過去とは何なのか。それを突き止めなければ、自分も和夫も、あの娘に喰われてしまう。そんな得体の知れない恐怖が、菊乃を駆り立てていた。
店の客が引けた深夜、菊乃はカウンターの奥で、古いノートパソコンを開いていた。カタカタとキーボードを叩き、検索窓に様々なキーワードを打ち込んでいく。
「田中和夫 中学校教師 事件」
「佐藤菜々美 虐待」
「東京 教師 生徒 トラブル」
片っ端から、過去の囲みニュースや週刊誌のスキャンダルを漁る。だが、ありふれた記事ばかりで、核心に繋がるものは何も出てこない。和夫が何か事件を起こしたという記録もなかった。
「あかん、埒が明かん……」
菊乃が諦めかけた、その時だった。ふと、和夫が言っていた言葉が脳裏をよぎる。
*『卒業式の日に、あいつは俺に言ったんだ。「先生、助けてくれてありがとう」ってな』*
なぜ、何もしてくれなかった教師に、礼を言ったのか。その違和感。菊乃は、検索ワードを変えた。卒業式があったであろう時期と、和夫が勤めていた地域名、そして、「家庭内」「事件」という言葉を。
ページをスクロールしていく指が、ある小さなベタ記事の上で、ぴたりと止まった。
**『都内アパートで女性刺殺、同居の娘を保護。男性教師が発見か』**
日付は、十数年前の三月。
菊乃は、唾を飲んだ。震える指で、記事のリンクをクリックする。そこには、彼女が探し求めていた地獄の入り口が、ぽっかりと口を開けていた。
記事の概要はこうだ。
――都内某所のアパートで、四十代の無職女性が胸を刺されて死亡しているのが発見された。同居していた中学生の長女は、事件後、現場近くを徘徊しているところを保護された。第一発見者は、長女の担任だった男性教師。警察の調べに対し、男性教師は「生徒の家庭環境を心配し、家庭訪問に来た」と証言。死亡した母親はアルコール依存症で、長女に日常的な虐待を加えていた疑いがあり、事件当日も口論になっていたと見られる――
菊乃の心臓が、嫌な音を立てて脈打つ。さらに記事を読み進めていくと、当時の週刊誌が書いたと思わしき、より詳細なルポが見つかった。
――捜査関係者によると、死亡した母親(佐藤◯子)は男性教師(田中和夫)が生徒(菜々美)と不適切な関係にあると邪推し、かねてから学校に執拗なクレームを入れていたという。事件当日も、訪れた田中教師と母親が激しい口論となり、逆上した母親が包丁を持ち出し、揉み合いになった末に……。
だが、記事はそこで終わっていない。続きがあった。
――一方で、保護された長女(菜々美)は「先生が来る前から、お母さんに殴られていた。ビール瓶で何度も頭を殴られた。先生は、私を助けようとしてくれただけ」と一貫して証言。彼女の頭部からは殴られた痕跡が見つかり、正当防衛もしくは過剰防衛の線が強まり、最終的に、田中教師が起訴されることはなかった。しかし、この事件をきっかけに、彼は教職を追われる形で自主退職している――
これよ! これ!
菊乃は、思わず声を上げていた。
全てのピースが、カチリと音を立ててはまった。
和夫は、菜々美を庇って、母親を……? いや、記事は曖昧だ。だが、どちらにせよ、彼は菜々美にとって「自分を地獄から救ってくれた恩人」であり、同時に「自分の母親を死なせた原因」でもあるのだ。
感謝と、憎しみ。
救済と、呪い。
佐知子、いや、菜々美が和夫に向ける、あの氷のような視線の意味が、ようやく分かった。
菊乃は、ノートパソコンをばたん、と閉じた。
これは、自分が思っていたよりも、ずっと根が深い。贖罪だの執着だの、そんな言葉で片付けられるような、生易しい話ではない。
これは、二人の間で終わることのない、「共犯」の物語なのだ。
そして自分は、その共犯者たちの運命に、最も危険な形で首を突っ込んでしまったのだと、菊乃は全身の血が凍るような恐怖とともに、理解した。
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