第7話**嘘つきな唇からこぼれた、たったひとつの本当の願い
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### 「京都祇-園心中」 第七話
「……何を、言ってるんだ」
和夫の声は、掠れていた。目の前の女が口にした言葉の意味を、脳が理解することを拒否しているかのようだった。コートの裾を掴む菊乃の指先に、さらに力がこもる。その体温が、布地を通してじわりと和夫の肌に伝わってきた。
「聞こえへんかった? この祇園で一番確かな情報は、肌と肌で交わすもんや。あんたは金で情報を買おうとした。うちは、あんたの体でその金を清算する。それだけのことや」
菊乃は早口でまくし立てた。それは虚勢だった。野村真美さんの大きな瞳が不安げに揺れ、潤んでいるのを和夫は見逃さなかった。この女もまた、何かに追い詰められている。自分と同じように。
和夫は掴まれたコートの裾を、振り解かなかった。ただ、黙って菊乃を見下ろしている。その沈黙が、菊乃には拒絶にも、あるいは承諾にも感じられ、心臓が早鐘のように鳴った。
意を決したように、菊乃は堰を切ったように話し始めた。
「佐知子はんは……『桔梗屋(ききょうや)』ゆう芸妓置屋におるんですわ」
桔梗屋。その名を聞いた瞬間、和夫の全身に電流のようなものが走った。ようやく掴んだ、確かな手がかり。彼の視線が、菊乃の瞳の奥を探るように鋭くなる。
「……本当か」
「嘘やない。うちのいた置屋の姉妹筋やから、間違いない。せやけど、桔梗屋は格式が高うて、うちみたいなもんが出入りできるとこと違う。せやから、時間がかかったんや」
菊乃は必死だった。自分の言葉が、最後の命綱であるかのように。そして、彼女は和夫のコートをさらに強く引き寄せ、顔を近づけた。アルコールと、彼女のつけている白粉の甘い香りが混じり合う。
「な! 教えたやろ! な!」
その声は、ほとんど懇願だった。少女のように無防備で、切実な響きを持っていた。
「約束やで……。うちを、抱いてくれまし……」
語尾が、か細く震える。それは、商売女の駆け引きではなかった。夢破れ、歳を重ね、花街の片隅で孤独に溺れていた女が、自分という存在を誰かに確かめてほしくて差し出した、魂の欠片だった。
和夫は、目を閉じた。
脳裏に浮かぶのは、セーラー服を着た菜々美の、穢れを知らない笑顔。自分が追い求めているのは、あの純粋な光だ。目の前の女は、その対極にいる。打算と、諦念と、生々しい欲望にまみれている。
だが。
その打算も、欲望も、すべてを覆い隠すほどの、圧倒的な孤独。それは、今の自分とあまりに似すぎていた。
ゆっくりと、和夫は目を開けた。そして、コートを掴む菊乃の手に、そっと自分の手を重ねた。その手は、驚くほど冷たかった。
「……ああ」
和夫が、ただひと言、そう呟いた。
それがどんな意味を持つのか、彼自身にも分からなかった。情報への対価か、あるいは同じ傷を抱える者への憐憫か。それとも、破滅へと向かう道連れを見つけた、安堵だったのか。
菊乃は、重ねられた手の温もりに、はっと息を呑んだ。そして、堪えていた何かが切れたように、その瞳から一筋の涙が静かにこぼれ落ちた。
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