第6話獣の瞳をした男に、女は最後の切り札をきる。それは金か、情報か、それとも――



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### 「京都祇園心中」 第六話


あれから、三日が過ぎた。

和夫は約束通り、毎晩八時になるとスナック菊乃のカウンターに座った。ボトルには彼の名が書かれ、まるでそこが自分の居場所であるかのように、彼は黙って酒を呷り続けた。


菊乃はといえば、「もうちょっと待ってな」「今、筋から探り入れとるさかい」「祇園は急いたらアカン」と、煮え切らない言葉を繰り返すばかり。その合間に、巧みに酒を勧め、和夫の財布から夜ごと金を吸い上げていった。


四日目の夜。店の扉を開けた和夫の顔には、もはや焦燥を通り越した、苛立ちが貼り付いていた。彼の眉間に深く刻まれた皺が、その限界を物語っていた。


「……今夜こそ、何か分かったんだろうな」


席に着くなり、和夫は低い声で言った。その声には、抑えきれない怒りの震えが混じっている。


「まあまあ、田中さん。そう焦らんと。まずは一杯」

菊乃がいつもの調子でボトルに手を伸ばした瞬間、和夫の手がそれを制した。その強い力に、菊乃は内心で舌を巻く。


「もういい。酒を飲みに来てるんじゃない。そろそろ教えてくれないか。あんた、俺をカモにしてるだけじゃないのか」

「人聞き悪いこと言わんといて。こっちかて、危ない橋渡ってんのやで」


菊乃が唇を尖らせるが、今の和夫にその芝居は通じない。彼は財布からありったけの紙幣を掴み出すと、バンッ!とカウンターに叩きつけた。散らばる諭吉たち。


「これでどうだ。これで足りないなら、もっと作る。だから、教えろ! 佐知子はどこにいる!」


その瞳は、獲物を前にした獣のように血走っていた。菊乃は一瞬、息を呑んだ。金の量にではない。金では動かせないものの存在を、目の前の男の瞳が突きつけてきていたからだ。内に秘めた暴力性が、ついに牙を剥き、彼は椅子を蹴るようにして立ち上がる。


「もうあんたには頼まん。自分で探す」


背を向け、店を出ていこうとする和夫。

ただのカモ。面白い金づる。そう思っていたはずの男が、自分の心をかき乱す。このまま行かせてはいけない。金のため? いや、違う。もっと別の、得体の知れない衝動が、彼女を叫ばせていた。


「待って!」


菊乃の叫びに、和夫の足が止まる。振り返った彼の目に映ったのは、いつもの食えない笑みを消し去り、見たことのないほど真剣な、追い詰められた女の顔だった。


「ほんまやねん……。ほんまに、あの子の居場所、もうすぐ分かるんや。せやから……」


菊乃はカウンターから駆け寄ると、和夫のコートの裾を掴んだ。その指は、かすかに震えている。何かを言いかけては、唇を噛む。まるで、自分でも口にする言葉をためらうように。やがて、すがるような瞳で和夫の顔を射抜くと、絞り出すような声で、とんでもない言葉を口にした。


「……わてを、抱いてんか」


静まり返った店内に、その言葉だけが生々しく響いた。

金か、情報か、それともただの気まぐれか。いや、違う。その瞳の奥にあったのは、孤独に震える女の、むき出しの渇望だった。


和夫は、言葉を失った。彼が探し求めるのは、聖女のような過去の幻影。しかし今、目の前にいるのは、打算と孤独にまみれた、生身の女。


祇園の夜の闇が、二人の間にどこまでも深く、濃く、垂り込めていた。

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