第3話・外と話。
気づけば夜が明けて、7月6日の朝を迎え、未だ深い眠りを貪る
少し前までの自分なら、何をやっているんだともっと自分を責めていただろう。けれど、私を包み込む広大な自然に、そんな無意味なことはやめろと慰められて、それほど落ち込まずに済んだ。
こんなに涼しい7月を過ごすのは初めてで、暑さによるイライラがないのも、清々しい気持ちにしてくれる一因だと思う。
正直、都会っぽい雰囲気の方が好きだから、なぜ田舎を選ぶ人達が多いのか不思議だったけれど、軽井沢とかに別荘を建てるお金持ちの気持ちが少しわかった気がする。
「……今日も寄ってみようかな」
教室に戻って忘れ物を回収したあと、再び寮へと戻る最中、かなりの遠回りをした。
自然の音が接種したくなって、ワイヤレスイヤホンをカチッとケースに戻し、空を仰いだり、遠くの緑に目を凝らしたり、どこかから聞こえてくる川のせせらぎに耳を澄ませたりしながら、私はなるべくゆっくり、とぼとぼ歩いた。なるべく下は向かないようにした。
そして自然と足は、いつものところに向かっていた。
いつ頃まで使われていたのだろう。今はもう、すっかり苔や青草に覆われている、野外ステージがあり、そのすぐ傍に、初見では小屋だか倉庫だかわからない建物がある。
そこはおそらく、そのステージの舞台に立つ側の人々に使われていた、楽屋らしかった。
転校してきたばかりで居場所がなかった私が偶然見つけた、秘密の休憩場所。
外からの鍵はかかっておらず、ドアノブを回せば誰でも出入りできる。一応中から簡素な鍵はかけられるけれど、立て篭もられたらピッキングするよりドアごと破壊する方が手っ取り早そうだ。それくらい簡素。
電気もちゃんと通っていて扇風機も動くし、蚊取り線香とチャッカマンが常備されていている上に、座布団は黴臭くも埃臭くもなくて意外と快適だった。
寮に戻れば楸がいる。話すことでリフレッシュもできるけれど、一人になりたいときはそこで過ごした。
そんな風に今日も何気なく立ち寄ってみたところ……違和感。
ドアの前に立ってみると、換気扇が回っていて、微かに蚊取り線香の匂いがする。それはつまり、中に人がいるということだった。
ここを見つけてから、そんなことは初めてだった。
「その代わり!」
「!」
中の様子を探ろうとしたとき、中から響いてきた知らない人の声。別段大きくはないけれど、切れ味の良い刃物が豆腐を突き刺さるように、鋭く耳を通って鼓膜が揺れる。
「
「!?」
突然、自分の名前が挙がり驚いたのはもちろんのこと、それに連なる不快なワードに……鳥肌が立った。
ば、罰ゲーム……愛の告白……。
『冗談じゃん、そんな顔しないでよ、
「っ」
ほんの数ヶ月前に刻み込まれたトラウマが脳内を駆け巡り、生傷を突かれたように胸が痛んだ。
「なんでこんな……こんなところに来てまで……こんな……!」
目眩がして、とにかく、正しく呼吸することを意識して。
静かに、静かにその場を離れ、やがて衝動を抑えきれなくて、足が勝手に駆け出した。
×
寮に帰って部屋のドアを開けると、こちらに向けられていた楸の後ろ姿がビクンと跳ね上がった。
「うわっ、びっくりした。お願いだから静かに開けてよ」
特にそんなつもりはなかったけれど、彼女の反応を見るに私が悪いのは間違いなかった。
「この学校もやめる!」
それでも、謝罪より先に咆哮するしかなかった。
「……なんで?」
楸は疑問というより面倒くさそうな視線をこちらに送る。
「まぁ……ちょっと紅茶でも飲もうよ。話聞いてあげるから」
「……うん」
あまりに余裕ある彼女の態度に、これまでの自分が急に恥ずかしくなって、精神は徐々に落ち着きを取り戻していった。
×
「それはないと思うけどな~そんなに浅い人じゃないよ、今咲さんは」
私が耳で得た情報を伝えると、楸はカップをソーサーに音もなく乗せて言う。
「たとえば、今咲さんがしぃちゃんのことが好きで、それを誰かに相談に乗ってもらってて、その誰かが、きっかけを作るためにそういうことふっかけたんじゃないかな?」
「……他人事だと思って適当言わないで。そんなわけないじゃん」
推理もへったくれもあったもんじゃない。今咲さんが……私のことなんて……。
「どうして? しぃちゃんだってロクに絡みないのに今咲さんのこと好きじゃん」
「私の感情と現状は関係ないでしょ!?」
「あるよ。しぃちゃんはそうなのに、今咲さんはそうじゃないってなんで言い切れるの?」
何も知らない子供を、いい歳こいた大人が論破するように、楸は口をへの字にして言った。
「…………むぅ~相談者を論破すな〜!」
そりゃそうだったら嬉しいけどさぁ~! なんか論破されて嬉しいっておかしなことになってる〜!
「それ以外、理由が思いつかない。はい終了。めでたしめでたし」
「ひ、楸も騙されてたんだよ!」
「私の数少ない知人の悪口言わないで」
珍しく、気怠げではなく冷ややかにそういう楸の態度で、しっかり罪悪感が湧いて出た。
「……ごめんなさい」
「はぁ……。一応まだ告白されたわけじゃないんでしょ? されたときに悩めば? 普通に杞憂だったらこの時間もったいないよ?」
もう話は終わり。とでも言うように楸は体をモニターに向け直し、ヘッドフォンを付けてなにやら作業を始めた。
「それは……そう、だね。……いろいろ聞いてくれてありがと。あと、ドア、ばーんって開けてごめんね」
もう何も聞こえてはいないであろう同寮人へ、一応の返事と感謝と謝罪をしておく。
確かにそうだ。信じよう。私が好きになった人のことを。というか謎の狂人が謎の独り言を発していた可能性だってあるもんね! それはそれで一番怖いけどね!
×
――なんて、希望的観測はその翌日、あっけなく打ち砕かれた。
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