第2話・筆と恋。

『ご相談というのはですね』

 私もこの学園で過ごすようになって十年目に突入したわけだが、こんな場所があるだなんて知らなかった。

 明日香あすか曰く、この野外ステージは過去、様々なイベントに用いられていたものの、記念館ホールと言う快適な屋内イベント会場が出来てしまったため、徐々に廃れてしまったそうだ。

 ステージも客席も雑草や錆、土埃だらけ。学園側もどう扱おうか決めかねたまま、時間だけが流れてしまったのだろう。

 私と、私の友人である今咲いまさき 明日香あすかは現在、その野外ステージの脇にある楽屋で二人、密談を交わしていた。

浦城うらきさん』

 私の名字を、こんなに美しく綴る人間を未だ見たことがない。そのまま半紙に拡大コピーをしても違和感はないだろう。

『どうしたらもっと、淵野辺さんに頼っていただけるのでしょうか……?』

「……明日香はどうして、淵野辺さんに頼ってほしいって思ったの?」

 ボランティア活動で毎日目が回るほど忙しいはずの彼女から、放課後、時間を作ってほしいと頼まれて来てみれば、割と予想外の話題を切り出されて少し焦る。

『もっと淵野辺さんの力になりたいからです』

「もっと具体的に。それはなぜかを考えてみよう」

『それは……』

 いくつか点を打った後に筆が止まって。それから一気に、ダムが決壊したようにスラスラとインクが紙をほとばしっていく。

『そうですね、よくよく考えてみれば、語弊がありました』

『私が淵野辺さんと、もっとたくさん一緒にいたいのです』

『彼女が転校してきて初めてあの瞳を見たときに、今までの人生では感じたことのない引力で惹き込まれました』

『孤独や不安を塗りつぶすような、力強くて、優しい瞳に』

『あとは……香り、でしょうか』

『ごめんなさい、変なことを言っていますね』

『でも本当なんです。彼女が私の前に座るたびに、あの香りが鼻腔をくすぐって……胸がそわそわしてしまうのです』

『甘くて……それなのに爽やかで……』

『それからはもう、あの瞳や香りや、声や仕草を、淵野辺さんの存在をあらゆる角度から感じたくて……』

『それで、淵野辺さんに頼っていただければ、彼女は困り事が減りますし、私は嬉しいですし一挙両得というわけです』

『どうすれば良いでしょうか?』

「そうだねぇ」

 こういう相談を受けるのは珍しくない。

 私が適当に発したアドバイスは運良く望む方向へ導くことが多いらしく、噂が噂を呼び【四季ヶ峰の相談役】なんてへんてこな肩書がついたくらいだ。

 けれど、まさか明日香からこんな相談を受けるなんて。人から頼られることを何よりの喜びとし、そもそも人に頼るなんて思考回路があったことに驚きだ。

 さて、どう転ぶのが一番面白いかな。

「明日香はさ、淵野辺さんに恋人がいたら、どう思う?」

『恋人、ですか?』

「そう。淵野辺さんが、明日香には見せたことのないような笑顔で甘えて頼ってだらけて。頬を赤らめて全てを曝け出して……」

『やめてください』

 いつもよりも大きい文字を、いつもより近くに突きつけられたので口を噤んだ。その表情もあわせて圧が強い。

『考えたく、ありません』

「……それが答えでしょ」

『……つまり?』

 あまりにも鈍感……あえて純情と呼ぼうか。そんな彼女に私は、Aの次はBであることくらい明白な答えを教えた。

「好きなんでしょ、淵野辺さんのことが」

「っ」

 短く息を吸ってから、ペンと手帳を持ったまましばらく停止した明日香は、ぎこちなく文字を書き、それをおずおずと私に向ける。

『これが……好きという感情なのですね……!』

「流石に間違いないと思う」

『なんて素晴らしいのでしょう!』

 今までどうしてもハマらなかったパズルのピースがようやく埋まったのか、明日香は目を細めて、頬を緩めてやや興奮気味に筆を走らせる。

『今までは世界や多くの人の役に立てることを考えていました。しかし……たった一人の人について想うことが、こんなに幸せだなんて思ってもみませんでした』

『私が恋をするなんてことも、思ってもみませんでした』

『もちろん、これが恋ということも、思ってもみませんでした』

『しかし言われてみればこんなに明白なことはありません。浦城さん、私は淵野辺さんのことが好きです。しかも、とっても好きなようです』

「告白の相手が間違っているよ」

『告白! ……する、べきでしょうか? この気持ちを、淵野辺さんに』 

「するべきだろうね」

『迷惑ではないでしょうか? クラスメイトからいきなりそんなことをされては』

「それを知る術はない。現状を変えるには行動するか、諦めるしかないんだよ」

「……」

 ペンを動かす手が完全に止まった。明日香の脳内では今、出力すらも難しいカオスが渦巻いているのだろう。

 けれど、ここで停止してもらっては困る。平和で穏やかなこの学園は……嫌いではないけれど、やはり刺激に欠ける。私は見たい。二人のその先を。

「じゃあこうしよう。私とトランプ……七並べでも神経衰弱でもなんでも良いから勝負をしよう。私が負けたら罰ゲームとして……もう、何も言わない。相談だか惚気だかわかならない話を涼しい顔でこれからも聞いてあげる。その代わり! 明日香あすか、キミが負けたら罰ゲームとして! 淵野辺さんに愛の告白をすること!」

『いえ、ルールのある勝負で、しかもカードゲームで浦城さんに勝てるわけがないので、それはお断りします』

 もっと赤面したりアワアワすると思いきや、明日香は冷めきった表情で私に拒絶を突きつけた。

 いや、冷めきったというよりもこれは……なんか……覚悟……決まってる……?

『しかし、意は決しました』

「ほう、なんで?」

 私の説得が胸に響いたか、なんて思ってニヤけそうになったが――

『今の会話、淵野辺さんに聞かれていたかもしれません』

「!? なんで?」

 ――流石に血の気が引いていく感覚がした。こんな会話が聞かれるなんて、どういう風に転ぶかはわからないにせよ絶対に良くない方向へ進むのはわかる。

『足音です。先ほど、浦城さんが熱弁を振るっていた最中に、微かな足音がドアのすぐ向こう側まで近づいていました』

『小動物かなと思っていましたが、浦城さんが声を尖らした瞬間、逃げるように駆け出したのです。その時に出した音は人間のそれでした』

『そしてここ2週間、淵野辺さんはここに通う頻度が多かったですし、淵野辺さん以外の人は訪れていません』

『これは私の予測ですが、忘れ物を取りに戻ったついでに立ち寄ったら、中に誰かいるので様子を伺っていたところ、自分の話題が出たので驚いてしまったのかもしれません』

『……その様子を想像すると……とても……可愛らしいですね……!』

「こわっ!」

 なんだその推察力と洞察力は。そしてそこまで考えていてなぜそんなに落ち着いていられる!?

 私はまだまだ……今咲 明日香という人間を測りきれていなかったのか……!

『もし今の会話を聞かれてしまったのなら……退路はありません』

 淵野辺さんについて深く知っているわけではないが、彼女はしばしば明日香に対して好意的な感情を滲み出していた。

 だからこそ背中を押した。

 けれど――

『私は前に進みます!』

 ——普段はおしとやかで清楚な明日香がこんな風に筆圧を強く、鼻息を荒くして迫ったら……いや、まぁなんとかなるか。なんとかなれ。なんとかなってくれ。

 そう、明日はなにせ七夕だ。織姫様、どうか一年に一度の幸せパワーを我が友人にお裾分けください……!

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