第33話 天使
「いや~今日は本当にすごかったな。」
「これほどこの世界の食事がうまいとは。」
「沙也様には感謝しかないな。」
「本当ですね。沙也様には私からしっかりお礼を述べておきます。」
ホテルの部屋に入った四人は、まだ回転寿司の余韻を引きずっていた。
沙也から受けた部屋の説明は頭に入っているが、それでも目の前の光景は衝撃的だ。
壁も床も清潔で、家具は整然と配置され、空気はほのかに香る。
――これは、貴族の館か?
全員が同じ疑問を胸に抱く。
「沙也様に言われたようにシャワーを浴びましょう。私は部屋に戻り浴びてからこちらへ参ります。」
イレイザが静かに部屋を出て行く。
「ギルちゃさんからどうぞ。」
促され、ギルシア王がバスルームへ向かう。
扉を開けた瞬間、思わず息を呑む。
広くはないが、真っ白な壁と床が光を反射し、まるで神殿の一室のようだ。
見たこともない器具が並び、天井からは柔らかな光が降り注ぐ。
アルバートが横に立ち、丁寧に説明を始める。
「おひとりで入ることになりますが、わたくしがこのカーテンの横に待機しておりますので、なにかあればお声をおかけください。」
シャワーの使い方、シャンプー、トリートメント、ボディーソープ――
ギルシア王は半信半疑で蛇口をひねった。
「おっ…おっ…なんと! 暖かい湯が出る。気持ちいい…しかも香りがよい洗剤だ。髪がさらさらになっていく。」
湯気の中で、王の声は子供のように弾んでいる。
「なんと泡立ちの良い石鹸だ。すでに液状になっておるので洗いやすい。」
その独り言は止まらず、アルバートは思わず口元を緩めた。
続いてヘインズ聖王もシャワーへ。
「おお…これは…」
ギルシアと同じ反応に、アルバートは心の中で「やはり」と笑う。
全員がシャワーを終え、再び一部屋に集まった。
ふわりと漂うシャンプーの香り。
肩まであるギルシア王とヘインズ聖王の髪は、月光を受けた絹糸のようにさらさらと揺れる。
異世界の政治の戦場を駆ける二人が、今はまるで舞踏会の貴族のようだ。
「さて、沙也様がお酒とデザートはこの小さな箱に入れておけと言っていたから入れておいたが…」
アルバートが冷蔵庫を開ける。
中から取り出した缶は、手に持った瞬間ひんやりと冷たい。
「まだ冷たい…なんだこの箱は? 魔法か?」
イレイザの瞳が好奇心で輝く。
八重子の家にも似た箱があったことを思い出し、四人は顔を見合わせた。
――この世界は、未知の魔道具で満ちている。
「せっかく沙也様が買ってくださったのだから、皆でもう一度飲もうではないか。」
ヘインズ聖王が缶を並べる。なぜか全て違う種類だ。
「どうぞ、ギルから選んでください。」
「そうか、ならば…これだ!」
ギルシア王はブドウの絵が描かれた缶を手に取る。
「では、私はこれを。」ヘインズは桃の缶を選ぶ。
残ったオレンジはアルバート、レモンはイレイザの手に渡った。
「「「カンパーイ!」」」
缶が軽く触れ合い、金属音が響く。
一口飲んだ瞬間――
「う、うまい!!!!!」
ギルシア王が声を張り上げる。
ヘインズは深く頷き、アルバートは天を仰ぎ、イレイザは頬に手を当てた。
甘み、酸味、香り…全てが新鮮で、舌が喜びに震える。
「アルバートよ、国に帰ったら一度飲み物の研究をさせたほうがよいかの?」
「ギルちゃさん、そのほうが良いと思います。賢者様に相談してみましょう。」
「ヘイちゃんもいっぱい飲んでください。」
イレイザが新しい缶を差し出す。笑い声が部屋に満ちた。
「沙也様がお勧めのデザートって言って買ってくださったものがあります。みんなで食べませんか?」
イレイザが冷蔵庫からティラミスを取り出す。
人数分、きっちり揃っている――沙也の心遣いだ。
スプーンですくい、口に運ぶ。
ふわりと広がる甘さとほろ苦さ。
ギルシア王は天井を見上げ、ヘインズは目を閉じ、アルバートは一瞬息を止めた。
――天使が飛んでいる。
「これはなんだ? なんなんだ? あの世が見えたぞ!」
「なんと素晴らしい…天使が見えた。」
「私もです。」
三人の言葉に、イレイザは返事もせず、夢中でスプーンを動かす。
最後の一口を口に入れた瞬間、胸に広がるのは幸福と、そして名残惜しさ。
――これで終わりなのか。
思わず涙が滲む。
異世界おそるべし。
その夜、四人の心に深く刻まれた言葉だった。
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