第32話 宿屋
「あ~もう食べれない。」
「美味しすぎましたね。」
「なぜ我が国にこのような食べ物がないのか?」
「ヘインズは色々な国に行っているから食べたことありそうだったが、無いのか?」
「こんなうまいものあるわけないじゃろ。我々の世界において、こちらの魚と言われるものは魔魚だろうからな。どこの国に行っても加熱調理が基本じゃ。生で食べれば死ぬ場合だってあるからの。」
回転寿司のカウンターを離れたばかりの四人は、まだ口の中に残る旨味を惜しむように感想を言い合っていた。
皿の上で輝いていた刺身の艶、口に入れた瞬間に広がる甘みと海の香り――それらは異世界の彼らにとって、まるで夢のような体験だった。
異世界には魚は存在しない。似た姿を持つ「魔魚」はいるが、その多くは毒を持ち、生で食べるなど自殺行為に等しい。
弱い魔魚は漁師が、そして八重子がバーベキューで振る舞ったシューティングフィッシュのような危険種は、魔魚ハンターと呼ばれる専門職が命懸けで狩る。
だが、それらは必ず毒抜きや加熱処理を施さなければ食べられない。
――生で食べられる魚など、彼らの世界には存在しないのだ。
会計を済ませた沙也が、ふと四人に尋ねた。
「ねぇ、今日どこに泊まるの? 八重子の家?」
「そうですね、賢者様にお許しを頂ければ…」
「ダメじゃない?」
「なぜですか?」
「だって四人も寝る場所ないよ。八重子の部屋。」
その一言に、四人は一斉に固まった。
現実を突きつけられた衝撃が、表情にありありと浮かぶ。
八重子の部屋はワンディーケー。前回アルバートとイレイザが泊まった時も、八重子はベッド、二人は床。すでに限界だったのだ。
「どうしよう…どうしたら…」
「王よ、申し訳ありません。私の至らなさのせいで…」
イレイザが深く頭を下げる。
王に野宿をさせるなど論外。しかし賢者の家も広くはない。しかも、まだ賢者本人に会えてもいない。
アルバートは眉間に皺を寄せ、腕を組んだまま沈黙した。
そんな空気を破ったのは、沙也の明るい声だった。
「ホテル取ってあげようか?」
「ホテルとはなんでしょうか?」イレイザが首を傾げる。
「あ~、みんなで泊まれる宿屋かな。イレイザは私の家に来る? 男三人に女の子一人が一緒に寝るなんて危ないからね。」
「いえ、私は護衛の任務がありますので、王と聖王がお休みになる部屋の前にいられれば…」
沙也は思わず額に手を当てた。
「あのね、八重子から聞いてるかもしれないけど、こっちの世界で路上や通路なんかで寝たらダメなの。しかも家族や恋人でもないのに男三人に女一人なんて、絶対にダメって言われるのよ。安いホテルあるから、何なら二部屋取ってあげる。」
その言葉に、アルバートの胸が熱くなる。
――女神だ。
彼の目には、沙也が柔らかな光を纏って見えた。
沙也もまた、八重子に迷惑をかけたくない一心だった。八重子は命を救ってくれた恩人であり、親友以上の存在。
そして何より――沙也はアルバートを口説きたい気持ちでいっぱいだった。
彼が他の女性と同じ部屋で一夜を過ごすなど、絶対に許せない。
間違いが起きてはならない。間違いは、私とでなければ。
「ついてきて。あ! そうだ、ついでにホテルの部屋で軽く飲んだり食べたりするものもコンビニで買っていこう。」
ホテルはビジネスホテル。安価な分、食事は付かない。
夜中に小腹が空いて外に出られては困る――沙也の配慮だった。
「ギルちゃさん、ヘイちゃさん、コンビニとはすばらしい場所です。」
アルバートがぎこちない呼び方で二人を呼ぶ。
その表情は真剣だが、どこか嬉しそうでもある。
コンビニの素晴らしさを語り出せば止まらない彼も、今は控えた。
コンビニでお酒とおつまみ、そしてデザートを買い込み、ホテルへ向かう。
チェックインを済ませ、沙也は一通りホテルの使い方を説明した。
カードキーは絶対にインロックしないこと。
寝るまでは同じ部屋でくつろいでもいいが、就寝時は必ず男女別に分かれること。
鍵を掛ければ日本のホテルは安全であること――念入りに、何度も。
「明日は朝、迎えに行くから。この時計の時間がここになったら、この受付まで下りてきてね。時間厳守だから。絶対だよ。」
沙也は真剣な目でそう告げた。
四人が頷くのを確認し、ようやく安心してホテルを後にする。
夜風が頬を撫でる中、沙也の胸には奇妙な高揚感が残っていた。
――明日も、きっと波乱になる。
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