第28話 修行の前に

八重子は、どう返事をすればいいのかわからなかった。

翔太の提案は――八重子、沙也、アルバート、イレイザ、そして翔太の五人で、新たに冒険の旅に出ないかというものだった。

沙也は目を輝かせ、即座に賛成の声を上げる。

だが八重子は、みんなの気持ちがわからないわけではないものの、自分たちの生活の拠点を異世界に移してしまっていいのかという迷いがあった。


――私は何のために五百年もかけて日本に戻ってきたのか。

その問いが胸の奥で重く響き、返事をすぐにすることはできなかった。


日本に戻ってからの生活は、異世界で暮らしていた頃よりもずっと楽しかった。

便利で、安全で、美味しいものが溢れている。

異世界に順応しすぎたせいで、八重子はある意味「異世界人」になっていたために、日本の快適さは尋常ではないとさえ思えた。

アルバートやイレイザがはしゃいでいた気持ちがわかる。


「本気で言ってるの?」

「もちろんだ。俺はこれほど楽しいメンバーはいないと思う」

翔太の目は少年のように輝いている。

「私も本気で魔法覚えるから!」

沙也までもが身を乗り出して懇願してくる。


八重子は深く息をつき、二人に向き直った。

「二人ともわかってるの? 向こうで旅する意味が」

「食事は美味しくないよ」

「旅するってことは毎日野宿よ」

「魔物に負けたら死ぬのよ」

一つずつ、現実を突きつけるように説明する。思考が完全に異世界に飛んでいる二人には、これくらい言わなければ伝わらない。

しかし返ってきた答えは――

「食事はこっちの世界と行き来したらいいんじゃない?」

「八重子が魔法で風呂沸かしてくれたら野宿でも平気だぜ」

「俺と八重子がいたら魔王以外に負けることなくね?」

……ああ、だめだ。こいつら本気で頭がお花畑だ。

どれだけ楽観的で、どれだけ私頼りなんだろう。八重子はこめかみを押さえた。

「いい? 帰還魔法は一回で私の総魔力の半分を使うの。だから昨日、異世界に行ったときも戦闘に参加しなかったでしょ」

「それに、向こうの時間とこっちの時間は同じように進むの。向こうで過ごして、こっちに戻ってきたら……こっちでは時間が経っていなくても、歳だけは取っていくんだよ」

必死に説明する八重子。

だが翔太は、まるで待ってましたと言わんばかりに口を挟む。

「そこで提案なんだが」

「……なに?」

「そんな怖い顔するなよ。八重子が若返りの魔法を完成させたらいいんじゃないか?」

……ああ、やっぱり馬鹿だった。

部長にまでなって成長したかと思ったけど、根本は変わってない。

八重子は思い出す。魔王討伐の旅も、こんな調子だったことを。

疲れるから、あの頃もなるべく絡まないようにしていたのだ。ため息しか出ない。


「ねぇ八重子。私が魔法を練習して、帰還魔法の魔力を手伝ったらダメかな?」

沙也は、今までの日本よりも異世界の刺激が強すぎて、どうしても行きたい。

そして――アルバートを手に入れたい。

結婚して異世界に移住する未来まで、彼女の頭の中では鮮やかに描かれている。


「沙也、本当に魔法練習したいの?」

「うん! する! 頑張る!」

「厳しいよ。疲れるし、大変だよ」

「大丈夫! 私頑張るから!」

……もう何を言っても通じない。八重子は呆れ果てた。


「とりあえず、一ヶ月後にしか向こうには行かないから。それまでに沙也は魔法の基本を練習ね」

「頑張る!」

「翔太は……」

「俺にできることがあれば頑張る」

「痩せたら……」

「え……」


「あと、私、この間のでお金ないの」

アルバートとイレイザが来たり、買いだめして持って行ったりで、貯金がかなり減った。

二人が行きたがっているのだから、必要な物は二人が買えばいい。

もちろん、全くお金がないわけではない。

ただ、八重子には崩したくない最低限の貯金がある。

結婚資金、家の購入、子どもの養育費、老後の生活費――細かく計算した人生設計だ。


「私は全然いいよ。いつもおごってもらってたから、ほとんど自分のお金ってお昼ご飯くらいだったし」

八重子は愕然とした。

自分が必死に節約してきたのに、ここにただ飯・ただ酒で生きてきた人間がいる。

――むかつく。これが素直な感情だった。


「俺もいいぜ。八重子とは散々一緒に旅した仲だし、だてに部長じゃない。それに付き合った人もいないしな」

さっきまでの苛立ちは、今度は憐れみに変わっていく。

翔太って……かわいそうな存在だったんだ。

「ちょっと、その憐れむような目やめてくれない? 二人ともひどくないか。恋愛は呪いのせいでダメだけど、趣味くらいあるんだぜ」

そう言って翔太はスマホを取り出し、写真を見せてくる。

そこに映っていたのは――「石」。


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「なにこれ?」八重子は率直に尋ねた。

「めっちゃよくない? この滑らかな見た目、この丸み……あ〜癒される♪」

「ほかにもさ、これなんてどうだ? こっちのもすごいんだぜ」

次々と石の写真を見せられる。

八重子も沙也も理解できない。

なぜ石に癒しを求めるのか。

――それほど心が疲れているのだろうか。

二人の中で、翔太はますます「かわいそうな人」という位置づけになっていった。

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